ワールド・プロジェクト・ジャパン  〜 合奏音楽のための国際教育プロダクション 〜


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【雑誌連載】ブラストライブ


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イラスト:皆川美保子




季刊音楽雑誌 楽器族。ブラストライブ において

  音楽家のためのメディテーション
  「ねこ気功」入門

を連載しています。編集長の許可を得て、以下に
バックナンバーを掲載します。


【インデクス】
2006
第1回【ねこ気功基本功法】
第2回【ぬるぬる呼吸法】

2007
第3回【能楽に学ぶ】
第4回【ハイファイ意識の共鳴】
第5回【巨大な芯の意識】
第6回【海を奏でるには海を】

2008
第7回【上意識と下意識】
第8回【快眠☆ねこ気功】
第9回【空気を変える】
第10回【万物は情報でできている】

2009
第11回【空想と現実のグレーゾーン】
第12回【随意もない、不随意もない。】
第13回【物質世界と意識世界】
第14回【自分を責める自分】

2010
第15回【こまめに疲れをとるために】
第16回【信念の限界を知る】
第17回【優劣はつけられない?】
第18回【フォーカスをきかせる】

2011
第19回【闇を照らす光】
第20回【断定と批判のラプソディ】
第21回【想像と現実の橋渡し】
第22回【平等であること】

2012
第23回【フェアとアンフェア】
第24回【グーリンダイ登場】
第25回【共通要素「開一見合」】
第26回【WHATよりもHOWを】

2013
第27回【チャイルドタイムの量と質】
第28回【日本人に合った練習法?】
第29回【練習は量か質か】
第30回【正解はひとつか】

2014
第31回【悟りはゴール?】
第32回【肩と腰のセルフマッサージ】

るばんが 〜みんな呼吸が教えてくれた〜
第1回【正反対の往復運動】



【快眠☆ねこ気功ブックCD】


【プロフィール】
■寿限無老師(じゅげむろうし)
猫の気功師。年齢や居住地など不詳。水行末の練功
中、気功状態が深まったときにニャンちゃってチャ
ネリングしてメッセージを伝える。水行末筆記の
「哲学ニートのためのねこ気功」
「寿限無老師の愛論」
「ジャズ☆ねこ気功」
などでその功法や思想は知ることができる。


■水行末(すいぎょうまつ)
身体操法、呼吸法、意識操作法などの研究を
続ける一方、寿限無老師のメッセンジャーと
して記述活動を行なう。
「ウォーター&ブレス」
「まま呼息の発見」
など音楽に関する独自の論文多数。
合奏教育のための国際音楽プロダクション
「ワールド・プロジェクト・ジャパン」代表。
金管楽器のハイノート奏法「タングマジック」
企画するなど幅広く活動している。




2006 第1回【ねこ気功基本功法】

2006年10月23日発行 Vol.01


吾輩は猫である。名前は、もうある。ヒト呼んで寿
限無老師。もちろん本名はずっと長い。寿限無寿限
無五劫の擦り切れ、というアレである。弟子は、今
んとこひとり。一番弟子は海砂利水魚じゃったが、
いつの間にかハッシュドビーフだかクリィムシチュ
だかになって活躍しちょる。というわけで、そこか
ら数えてン番目の不肖の弟子に、吾輩の秘伝の「ね
こ気功」を伝授してやろう、と思ったのじゃが...


寿:ああ、よく寝た。

水:おはようございます。「猫は寝子」といいます
  が、ずっとお休みだったのですか?

寿:ああ、400年ほどニャ。

水:へ?

寿:ニャはは。吾輩は寝ているといえば寝ている、
  目覚めているといえば目覚めている。そういう
  ことは超越しとるんじゃ。

水:う〜ん、ホントかなあ...。ま、いいや。老師が
  お休みになっている間に、音楽家がヨーガや古
  武術の身体の使い方を学んで、演奏に生かすと
  いう話をよく聞くようになりました。気功もそ
  ういう分野で役立つと思うんですが、いかがで
  しょう?

寿:当然、役立つニャ。 

水:では、起き抜けに申し訳ありませんが、寿限無
  老師から音楽家、特に管楽器奏者に向けて、ね
  こ気功の視点でアドバイスをいただけますか?

寿:ニャんじゃな、吾輩としては、目覚めにギャル
  たちとムーディーな会話を楽しんでからにした
  いのじゃが...。

水:それはあとのオ・タ・ノ・シ・ミ! ですよ、
  老師。

寿:む? ニャはは。そういうことならよいのじゃ
  が。おっほん。で、ポイントは三つある。一つ
  目は身体の使い方で、これを吾輩は「からだづ
  かい」と呼んでおる。

水:おお、いきなり本題なんですね。はい、それで
  あとの二つは何でしょう。

寿:二番目が呼吸法「いきづかい」、三番目は意識
  操作法で「こころづかい」という。

水:ねこ気功は、身体と呼吸と意識を操作するト
  レーニングなんですね。

寿:そうじゃ。これらは別々のものではなくて一体
  になっておるのじゃが、初心者にはひとつずつ
  説明したほうがわかりやすいじゃろう。

水:では、さっそく「からだづかい」から始めます
  か?

寿:まあ、そう急ぐな。一番最初に、人は何のため
  に音楽をするのかというところをきみにたずね
  ておきたいニャ。

水:は? 「何のために」ですか?

寿:うむ。

水:やっぱり「楽しむため」ではありませんか? 
  文字通り音を楽しむのが「音楽」。

寿:ニャるほど。では演奏者が楽しければそれでよ
  いのかニャ?

水:いいえ、聞いている人にも楽しんでもらえたほ
  うがいいですね。

寿:そうじゃろうニャ。つまり、演奏者と鑑賞者の
  良好なコミュニケーションが必要というわけ
  じゃニャ?

水:おっしゃる通りです。

寿:きみのまわりの音楽家は、聴衆と良好なコミュ
  ニケーションをしておるか?

水:それは、プロの音楽家ですか、それともアマ
  チュア?

寿:そんな区別に意味はニャいぞ。楽器を人前で演
  奏すれば、みな音楽家じゃ。

水:えーと...。答えにくい質問ですねえ。

寿:では、たずね方を変えよう。きみのまわりの音
  楽家は、聴衆とのコミュニケーションをどのく
  らい大切に考えておるか?

水:うーん、心の問題なのでたしかなことはわかり
  ませんが、演奏技術のことで頭が一杯の人が多
  いかもしれません。

寿:ニャっはっは。結構、結構。しかし、演奏技術
  だけでは、それは「音」じゃ。まだ音楽になっ
  ておらん。

水:とおっしゃいますと?

寿:テレビ電波を例に考えてみよう。電波はある種
  の電磁波じゃ。そこに「番組」という情報が
  乗っておる。その電波を受像機で再生すること
  で、番組を楽しむことができるんじゃニャ?

水:なるほど、楽器の演奏技術を磨いても、それは
  電波の送信がスムーズにできるだけで、番組が
  おもしろいかどうかとは別だということです
  か?

寿:まあ、そういうことじゃニャ。

水:で、何がおっしゃりたいのですか?

寿:ねこ気功でいう「気」も同じニャんじゃよ。気
  はある種のエネルギーじゃが、そこには情報が
  乗っておる。その情報をやりとりするコミュニ
  ケーションが気功というわけじゃ。

水:では、音楽と気功はそもそも似たところがある
  んですね。

寿:うむ。吾輩の目から見れば、すぐれた音楽家
  は、みなすぐれた気功師でもある。

水:でも、音楽家は気功の動きはしませんし、気を
  出したりしませんが...。

寿:ニャはは。気功はじっとした状態でもできる
  し、気は楽器の先からでも出るぞ。

水:では、レベルの高いミュージシャンは、楽器か
  ら気を出していると?

寿:当然じゃよ。そしてその「気」にはすぐれた情
  報が乗っておる。それが聴衆の心を動かすの
  じゃ。

水:へえ〜! では、どうすれば楽器を使ってそん
  な境地に至れるのですか?

寿:「境地」とはまた大げさじゃが、ここで話は最
  初に戻るのじゃ。からだづかい、いきづかい、
  こころづかいのトレーニングを積むことで、音
  楽と気功はひとつのものになっていく。

水:そして、音を楽しむ、つまり「音楽」ができる
  というわけですね。

寿:そうじゃ。しかも、このトレーニングを積んだ
  者は、普通の人とは「楽しむ」のレベルが違
  う。

水:名演奏家のプレイが身も震えるほど感動的なの
  は、そのせいですか?

寿:ごく初歩的な意味ではその通りじゃ。しかしこ
  の話はさらに奥が深いので、トレーニングを進
  めながら、少しずつ説明していこう。

水:お願いします!

寿:ねこ気功のやり方は、ここ に基本功法として
  まとめてある。その壱の教え「からだづかい
  (身体操法)」をよく読んで、「ねこばしり」
  の練習から入るといいぞ。

水:ねこばしり、ですね...。え〜と...。

寿:なんじゃ、もう忘れたのか。ホントならネット
  を見て勉強せい、と放り出すところじゃが、初
  回だから大サービスしよう。

水:たしか背骨の開発でしたよね?

寿:その通り。大事なのは「背骨」じゃ。まずは、
  からだを前後にゆらすだけでよい。急いではい
  かんぞ。のんびりとじゃ。力んでもいかん。て
  れーっとじゃ。このとき自分の背骨をよく感じ
  てみなさい。

水:あ、思い出してきました。背骨は「一本の棒」
  ではなくて、「いくつも節のある棒」のように
  感じるんでしたよね? ああ、気持ちいい〜。

寿:うむ。言うまでもなく、背骨はいくつもの小さ
  な骨の集合体じゃ。前後にゆらせば「棒のよう
  に」ではなく、「自転車のチェーンのように」
  動く。練習を重ねるにつれて、背骨はだんだん
  しなやかに動き始める。棒からチェーンに、や
  がてはムチがしなるようになる。

水:そうだ、そうだ。この背骨の前後ゆらしが、ね
  こ気功の中心功法「ねこばしり」でした!

寿:テレビでチーターが草原を走る姿を見たことが
  あるじゃろう。チーターもトラもそこらへんの
  野良猫も、走るときの姿は同じ。つまり背骨を
  前後に波打たせながら走るんじゃニャ。

水:老師、もっとくわしく教えていただけません
  か?

寿:ニャはは。興味が出てきたかニャ? では、先
  述のサイトをよ〜く読むように。

水:ふむふむ、そうか邪気を洗い流して背骨をク
  リーニングするんでした!

寿:次号までに、いい背骨を作っておくのじゃよ。
  ふあああ〜、さて、吾輩はまた寝るとしよう。

水:老師! もうちょっと教えてくださいよ。老
  師ってば! 寝るとか目覚めるは超越されてい
  るんじゃないんですか〜? 老師! ギャルと
  のムーディーな会話はどうします〜? ねえ、
  老師〜!

寿:むにゃむにゃ〜。ZZZ...

(つづく)



♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
  mixiねこ気功コミュに入ろうニャ
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪




***



2006 第2回【ぬるぬる呼吸法】

2007年1月14日発行 Vol.02

吾輩は猫である。名前は、もうある。ヒト呼んで
「寿限無老師」。もちろん本名はずっと長い。寿限
無寿限無五劫の擦り切れ、というアレである。気功
のおかげで不老長寿をエンジョイしとる。あんまり
長生きしたので正確な歳は忘れたけれども、百歳と
も二百歳とも言われるニャ。しかし、今でもお色気
は大好き。今日もレディーたちと夢のようなデート
を楽しんでおったのじゃが...


水:老師!老師!ああ、すっかり寝ちまって、どー
  しようもないなあ...けっとばしちゃえ!

寿:いてて!ニャ、ニャにをするんじゃ!!
  
水:おはようございます。修行の時間でございま
  す。

寿:ああ、そっか...ちぇ、オネエちゃんたちに囲ま
  れてたのになあ。

水:...あいかわらずお盛んですね。あたしゃもう枯
  れはじめてますが(苦笑)。

寿:いつも言っておるように、「性は生なり」、そ
  して「性は聖なり」ニャんじゃ。

水:セクシャルなエネルギーは生命力そのものだと?

寿:その通り! これは「ねこばしり」で使う「ぬ
  るぬるの意識」とも関係しとるんじゃニャ。

水:え、「ぬるぬるの意識」がですか?

寿:うむ。きみはどうして「ぬるぬる」が必要か、
  わかっておるかニャ?

水:えーと、背骨をいい状態にするためにオイルを
  塗る。そのオイルの代わりに「ぬるぬるの意
  識」を使うんでしたよね?

寿:その通りじゃ。しかし、さらに深い理由もある
  んじゃ。

水:といいますと?

寿:生命現象が活発に行なわれているところは、
  「ぬるぬる」しておるのじゃ。

水:はあ...。

寿:カエルでもニワトリでも、卵は「ぬるぬる」し
  とるじゃろう?

水:そういえば、たしかに。

寿:哺乳類も、生殖器官は粘膜でできていて、よい
  状態の時は「ぬるぬる」しておる。

水:なるほど〜!

寿:「私、彼と『ぬるぬる』の恋をしてるの」と女
  の子が言ったら、どう思う?

水:...なんだか、とってもいやらしくて、いい感じ
  がしますね。えへへ。

寿:ニャははは。たしかにちょっとエッチっぽいか
  もしれんが、少なくともこのカップルはうまく
  いっておるニャ。

水:そうですね。「彼とカサカサの恋をしている
  の」だと、別れは近そうですもの(笑)

寿:つまり、「ぬるぬる」とはセクシャルなもので
  あり、生命力あふれるものニャんじゃ。

水:だから、ねこ気功ではそれを重視するんです
  ね。

寿:「ぬるぬる」の質感の中で、生命力を高めてい
  くというわけじゃニャ。

水:おお、老師! なんだかぬるぬると興奮してき
  ましたよ。

寿:よし、生命力が高まってきた証拠じゃ。

水:はい! では、今日のレッスンをお願いしま
  す。

寿:前回は、管楽器奏者に向けたアドバイスとして
  三つのポイントをあげ、その一番目「からだづ
  かい」について話した。

水:今日は二番目のポイントですね。

寿:うむ。二番目は「いきづかい」じゃ。くわしい
  やり方は、ここ に基本功法としてまとめてあ
  る。弐の教え「いきづかい(呼吸法)」をよく
  読んで、「ねこなき」の練習をしなさい。

水:はい! え〜と、ニャンニャンニャ〜ンって言
  うんですね。なんだか恥ずかしいな。

寿:どうして?

水:だって、ばかばかしいし、こんなことをやって
  管楽器がうまくなるなんて、信じられないです
  よ〜。

寿:それがいいんじゃニャいか。

水:え〜? どうしてですか?

寿:ばかばかしいからこそ、リラックスして身体の
  力がぬける。のんび〜りと「ねこじかん」、て
  れ〜っと「ねこだれ」の状態をもたらしてくれ
  るんじゃニャ。

水:どうしても声を出さなくちゃだめですか?

寿:比較してみればわかるが、声を出さずにやるよ
  り、ニャンニャンニャ〜ンと言ったほうが、よ
  り効果が高いんじゃ。

水:でも、抵抗あるなあ。

寿:無声音でもいいぞニャ。

水:やった! ほんとですか?

寿:恋人の耳元でささやくように、そっと無声音で
  ニャンニャンニャ〜ンをやってごらん。

水:(やさしく)ニャンニャンニャ〜ン、スーッ、
  ニャンニャンニャ〜ン、スーッ。おや、これだ
  と恥ずかしくないし、気持ちいいですね。

寿:三つめのニャ〜ン、これを「三の鳴き」という
  が、こいつをできるだけ長くしてみニャ。

水:ニャン、ニャン、ニャ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン
  ...老師、もりもりと活力が湧いてきました。

寿:それが「ねこなき」のおもしろいところニャん
  じゃ。長く、深く息を吐くことで、肺の奥にた
  まった古い息が新鮮な酸素と交換される。そし
  て、細胞内ではエネルギーが生まれる。

水:身体も軽やかに感じますよ。

寿:内蔵がマッサージされて、腹部のうっ血が解消
  するので血行がよくなるからニャ。

水:これは管楽器にもいいんですか?

寿:もちろんじゃ。「ねこなき」そのものは演奏用
  の呼吸ではニャいが、楽器を吹くときに使う呼
  吸筋群を整えるんじゃ。

水:そうか! いつもは自分の呼吸を自分の身体が
  ブロックしているような感じでしたけど、今は
  その障害が取り除かれたみたいです。

寿:楽に深く吸えるし、気持ちよく吐けるじゃろ
  う? 

水:はい。「ねこなき」をくりかえし練習すれば、
  呼吸のコントロール能力も鍛えられそうです
  ね。

寿:そうじゃよ。だから、「ねこなき」は間接的に
  管楽器演奏の助けにニャる。くわしくは先述の
  サイトを参考にして欲しいが、「ねこじかん」
  「ねこだれ」そして「ぬるぬるの意識」で「ね
  こばしり」をやって、「ねこなき」まで来た
  ら、君の心身はほぐれて開放的になっているは
  ずじゃ。

水:はい、とってもオープンな気分です。

寿:昔からメディテーションと呼吸法は深い関係が
  ある。きみの感じているオープンな気分は、あ
  る種の瞑想状態ニャんじゃ。

水:え! 瞑想ってこんなに簡単なんですか?

寿:もちろん、浅い瞑想状態じゃがニャ。

水:で、音楽と瞑想とは、どうつながるんですか?

寿:そのことを本格的に語るのは、第三のポイント
  「こころづかい(意識操作法)」の機会にゆず
  るが、今日は楽器練習とメディテーションにつ
  いて話そう。

水:練習に瞑想が必要なんですか?

寿:その通りじゃ。「日常生活の意識」と「練習の
  意識」とは、きちんと分けたほうがよい。モー
  ドが違うといってもいいかニャ。

水:つまり「練習モード」になれと?

寿:そう。日常モードで練習しても、なかなか上達
  しないばかりか、逆に悪いクセがつきかねニャ
  い。静かに落ち着いて、心身ともに開放された
  練習モードになってから楽器をケースから出し
  たほうがよいニャ。

水:なるほど。

寿:江戸時代の剣術家が、強くなるために座禅修行
  を積んだという話を知っておるか?

水:はい。でも、あれはメンタルコントロールのた
  めだと思っていました。

寿:それもあるが、高いレベルでは心と身体は区別
  できニャい。実際、座禅という瞑想を繰り返す
  過程で、身体の動きや技も高まっていったと考
  えられるんじゃ。

水:へえ〜!

寿:では次号までにたっぷり「ねこなき」をやっ
  て、練習モードを作っておくのじゃ。ニャン
  ニャンニャ〜〜〜〜〜〜〜ンとな。わかった?
  では、吾輩はまたオネエちゃんたちに会いに行
  くのでニャ。おやすみ...

水:あ、また寝ようとしてる! ちょっと老師、も
  うちょっとくわしく教えてくださいよ! 老
  師ってば〜!

寿:むにゃむにゃ、おお、セクシーじゃニャいか!
  おお! おおお! ZZZ...

(つづく)


【ねこ気功ブログパーツで呼吸トレーニング】
くわしくはこちらをどうぞ。

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イラスト:皆川美保子



***



2007 第3回【能楽に学ぶ】

2007年5月24日発行 Vol.03

吾輩は猫である。名前は、もうある。ヒト呼んで寿
限無老師。吾輩の創始した「ねこ気功」は、身体の
使い方(からだづかい)、呼吸法(いきづかい)そ
して、意識の使い方(こころづかい)の三部から成
り立っておる。これまで、からだづかいといきづか
いを説明してきたが、いよいよ音楽家のためのメ
ディテーション「こころづかい」に入るぞよ。


寿:道歌というものを知っておるか?

水:ドウカですか? どうかなあ...

寿:(ズッコケる)...ニャんじゃ、いきなりダジャ
  レかい!

水:季節はずれのダジャレですみません。

寿:ん? ダジャレに季節があるのかニャ?

水:はい、やっぱりダジャレー・ヌーヴォーを飲み
  ながらが最高かと。きゃはは!

寿:お、そりゃ、まんざら無関係ではないぞ。道歌
  は、道徳や武道の精神を詠んだ教訓歌じゃから
  ニャ。

水:なるほど、「ぶどう」の精神ですか、こりゃ参
  りました!

寿:ニャハ、決まったニャん!

水:で、道歌にはどんなものがあるんです?

寿:たとえばこうじゃ。

  稽古をば 勝負するぞと思ひなし 
  勝負は常の 稽古なるべし(直心影流)

水:あの〜それはアレですか、虫封じのオマジナイ
  かなんかですかね?

寿:これ、ボケもたいがいにせえ。勝負の心得をま
  とめたありがたい歌じゃニャいか。

水:へえ〜、どういう意味です?

寿:稽古つまり練習のときは、それを勝負つまり本
  番のようなつもりでやりなさい。

水:はあ。

寿:そして、いざ本番にのぞんだら、いつもやって
  いる練習のようなつもりでやりなさい、という
  ことじゃニャ。

水:いわれを聞けばありがたや。ナマンダブナマン
  ダブ...。

寿:こりゃ、拝むやつがあるか。さて、ここで問題
  になるのが、「勝負のつもりで」とか「練習の
  つもりで」という意識の操作じゃ。

水:そうですよね。いきなり「つもりで」と言われ
  たって無理ですよ。

寿:うむ、そこに参の教え「こころづかい」を練習
  する必要が生じるのじゃニャ。

水:ネット で予習はしてみたんですけどね、イマ
  イチわからないんですよ。

寿:そう思って、今日は別の角度から説明しようと
  思うぞよ。

水:よ、待ってました!

寿:これから述べることは、最終的には音楽家がス
  テージで聴衆の心をどのようにしてつかむか、
  という話になる。

水:それは連載の第一回で老師がおっしゃった「演
  奏者と鑑賞者の良好なコミュニケーション」の
  ことですか?

寿:お、覚えておったか。感心感心。まずは全体像
  をつかむために、能楽を例にとって説明する
  ぞ。

水:能楽って、お能のこと?

寿:うむ。能楽は舞台芸術の大先輩として、参考に
  すべき点がたくさんある。ここでは能楽師の梅
  若猶彦氏のケースを参考にしながら説明を始め
  るぞ。

水:はい、よろしくお願いします!

 参考文献:
 「息のしかた
  ー きもちいい生活のための呼吸法」
 刊:朝日新聞社 著:春木 豊/本間生夫

寿:梅若氏によれば、能楽の名人たちは鍛錬の過程
  で「身体の様相が変わる」のに気付き、これを
  芸術体系に組み入れた。

水:身体の様相?

寿:たとえば「悲しみ」にはその感情に対応する身
  体の様相があり、「名月を見ているとき」に
  は、それに対応する様相がある。つまり、実際
  はそこに「悲しみ」も「名月」もないのだけれ
  ども、それを経験しているときと同じ身体の状
  態に、能楽師は自分を変化させることができる
  というわけじゃ。

水:へえ〜! それなら「稽古を勝負すると思いな
  す」なんて朝飯前ですね。

寿:細かい話は省略するが、梅若氏の説明を要約す
  ると、おおむね以下のような手順を踏んでいる
  と考えられる。

  手順一:毎日、呼吸法と瞑想を鍛錬する。
  手順二:自己内に意図的な変化を起こす。
  手順三:それを自分で体感する。
  手順四:身体が表現体として語り始める。

水:身体が表現体として? どういうことですか、
  そりゃ?

寿:まあまあ、そんなに先を急ぐな。じっくり説明
  するからニャ。手順一はおくとして、手順二
  「自己内に意図的な変化を起こす」とは、たと
  えば「普通の状態」から「悲しみの状態」へ心
  を変化させるようなことじゃ。

水:悲しみを演じるわけですね。

寿:たしかに「演じる」のじゃが、表面的にそれら
  しく見せるということではニャい。能の演者は
  面をかぶっているので、表情で悲しみを見せる
  ことはできないしニャ。

水:なるほど、そうですね。

寿:このとき、演者の脳内情報には大きな書き換え
  が起きて、心の底から「悲しみ」の状態に包ま
  れていると考えられる。

水:精神そのものが、完全に変化しているというこ
  とですね

寿:そうじゃ。そのうえで、手順三「それを自分で
  体感する」。書き換えられた脳内情報に身体が
  反応し、身体もまた「悲しみ」にひたりきった
  状態になるのじゃ。

水:つまりその「悲しみ」という脳内情報に強い臨
  場感を得て、演者はその感情をリアルに体験し
  ているんだ!

寿:そして手順四「身体が表現体として語り始め
  る」とは、能楽師が描き出した「悲しみ」とい
  う仮想世界を、鑑賞者が共有し始めるのじゃ。

水:いったいどうやって共有するんです?

寿:順を追って説明するから待てというに! とに
  かく、この一連のプロセスをまとめると、「日
  常の鍛錬→意識操作→実感→共有」いう流れに
  なっておることを、ここでは理解するのじゃ。

水:はい、そこまではわかりました。

寿:では「自己内に意図的な変化を起こす」という
  意識操作は、具体的にはどのようにするのか、
  そのあたりから掘り下げようじゃニャいか。最
  初に理解すべきなのが「ハイファイ意識」
  じゃ。

水:はいはい?

寿:ハイファイ! ハイ・フィデリティの略。オー
  ディオ用語でもあるな。次回はこのハイファイ
  意識について、そしてそれを自在に作るための
  方法について講義するぞよ。

(つづく)



♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
  mixiねこ気功コミュに入ろうニャ
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪




***



2007 第4回【ハイファイ意識の共鳴】

2007年8月23日発行 Vol.04

吾輩は猫である。名前は、もうある。ヒト呼んで寿
限無老師。吾輩の創始した「ねこ気功」において、
意識の使い方(こころづかい)は最重要項目じゃ。
音楽家の役に立つメディテーションを伝授するぞ。
まずは心の構造を知ることから始めよう。


水:前回は「ハイファイ意識」という名前が出てき
  たところまででしたね。

寿:ハイハイ!

水:ハイファイでしょ。 ボケてないで続きを説明
  してくださいよ。

寿:ニャはは。ハイファイ意識は、ねこ気功の専門
  用語じゃ。これは日常意識とは異なる状態で、
  深いリラックスと鋭い集中がうまくバランスの
  とれた意識のことをいう。

水:それって、脳波のアルファ波みたいなものです
  か?

寿:うむ、それも近い。しかし、ねこ気功的に重要
  なポイントがある。それは「ねこじかん」と
  「主客転倒」じゃ。

水:「ねこじかん」は、からだづかいの最初にやり
  ましたね。のん〜びりすること。シュキャクテ
  ントウってなんですか?

寿:たとえば「ねこばしり」をするとしよう。最初
  のうちは「私が背骨を動かす」ことになるが、
  それがある時点から「背骨が私を動かす」よう
  な意識状態へ変化する。

水:なるほど。文字通り主客が入れ替わったように
  感じるんですね。

寿:このように「のんびり」「主客転倒」しながら
  「高度な集中」状態にあるとき、これをハイ
  ファイ意識と呼ぶのじゃ。

水:ハイファイ(HiFi)は、オーディオ用語ですよ
  ね。ハイ・フィデリティ(High Fidelity)の略
  で、原音を忠実に再生する「高忠実度」を意味
  するはずですが。

寿:そう、意識がハイファイ(高忠実)とは、心が
  情報を忠実に反映すること。つまり与えられた
  情報を「あるがままに」とらえ、ダイレクトに
  反応できる状態じゃ。

水:そうするとどうなるんです?

寿:たとえば、みずから描いたイメージなど仮想世
  界の情報に対しても「現実味」を感じるのじゃ
  ニャ。

水:ははあ。つまり、頭で作った「悲しみ」が臨場
  感あふれるものになるためには、ハイファイ意
  識が前提となっているということですね!

寿:ハイハイ。

水:(ズッこける)こーゆーとこでボケないでほし
  いなあ。

寿:ニャはは。ユーモアは人生の潤滑剤じゃ。

水:しかも老師は「人」じゃないし!

寿:ひと口にハイファイ意識といっても、この境地
  に至るのは簡単ではニャい。

水:そうでしょうね。

寿:前号で紹介した能楽師の梅若氏の場合、立禅
  (立った姿勢で行なう瞑想)と腹式呼吸の鍛錬
  を毎日行なうそうじゃ。ハイファイ意識を自在
  に作れるようになるためじゃろうニャ。

水:ねこ気功でいうと、呼吸法(いきづかい)と瞑
  想(こころづかい)を練習するわけですね。

寿:うむ。その具体的な方法を話す前に、もう少し
  梅若氏のケースを分析しよう。

水:お願いします。

寿:ハイファイ意識下で「悲しみ」を描き出したと
  き、それがリアリティの高いものであればある
  ほど、演者の身体は「悲しい状態」になる。

水:心身ともに「悲しい」ということですね。

寿:その通りじゃ。さて、ここで人間の心身には、
  「共鳴」のメカニズムがあることを理解しなく
  てはならん。

水:共鳴...、ですか?

寿:たとえばじゃ、社会心理学でいう「同調現象」
  を知っておるか。

水:いいえ。

寿:同調とは、人々の意見がある一定方向に傾いて
  いくことをいう。

水:まわりの人とついつい同じ行動をしてしまうよ
  うなことですか?

寿:まあ、そうじゃニャ。同調は、行動レベルでも
  起きるが、生体リズムでも起きることが知られ
  ておる。

水:生体リズムというと?

寿:大学や会社の女子寮で共同生活をしていると、
  いつのまにかお互いの生理周期が同じになって
  くる「ドミトリー効果」という現象がある。

水:へえ〜、びっくりですね!

寿:生理のような長い周期の生体リズムばかりでな
  く、分単位や秒単位でも同調は起きる。たとえ
  ば同じ部屋で長く一緒に話しているだけで、人
  間は呼吸や心拍数、まばたきの回数が同期して
  くるのじゃニャ。

水:同調は、群集心理とかファッションの流行とも
  関係してるんですかね。

寿:関係あると考えられるが、同調のメカニズムは
  複雑なので、さらに多くの研究が必要じゃろ
  う。ここでは、人間には生理的同調が起こりう
  るということを確認するにとどめ、それを「共
  鳴」と呼ぼう。

水:共鳴ということは、理屈で納得するのではなく
  て、身体が勝手に同調してしまうというニュア
  ンスを感じますね。

寿:お、いいぞ。正確には「身体が」ではなく「心
  身が」じゃがニャ。

水:心も身体も勝手に共鳴してしまう?

寿:うむ。ここにAさん、Bさんという二人がいると
  しよう。この二人の心身が同調するとき、どっ
  ちがどうなると思うかニャ?

水:足して二で割ったあたりに落ち着くんですか?

寿:ニャはは。正解は「弱いほうが強いほうに同調
  する」じゃ。

水:弱いとか強いとかって、何がですか?

寿:人間は、強いもの、大きなもの、豊かなもの、
  すぐれたものなどに影響を受けやすい。「朱に
  交われば赤くなる」というじゃろう?
 
水:はあ。

寿:気功的に表現すれば「気」じゃが、もっと一般
  的な表現なら「意識」じゃニャ。たとえばAさ
  んの意識が、強く、大きく、豊かで、すぐれて
  いるほど、Bさんに与える影響力は強いのじゃ
  よ。

水:あ、そこでハイファイ意識が出てくるんです
  ね!

寿:お見事。その通りじゃ。

水:演者がハイファイ意識下で「悲しみ」を描き出
  し、身体が「悲しい状態」になったら、鑑賞者
  はその状態に共鳴するんだ!

寿:もちろん、そこへうまく誘導するには、いろん
  な条件を整える必要があるけれども、だいたい
  それであっておるぞ。

水:梅若氏の「手順四:身体が表現体として語り始
  める」とは、このことですね。

寿:そうじゃ。したがって、演者は自分の意識をど
  こまで「ハイファイな」状態にできるかによっ
  て、鑑賞者との心理的決闘に勝つか負けるかが
  決まるとも言える。

水:舞台ではお客さんを「のめ」といわれますけ
  ど、その前提が強力で上質なハイファイ意識な
  んだ。

寿:舞台・客席という空間を制する力、それは「意
  識のハイファイ化による共鳴力」と考えれば理
  解しやすいじゃろう。

水:でも、具体的にはどう練習すればいいんです
  か?

寿:そこでメディテーション「ねこおもい」の登場
  となるのじゃよ。

(つづく)

nekouta.jpg
イラスト:皆川美保子



***



2007 第5回【巨大な芯の意識】

2007年11月24日発行 Vol.05

吾輩は猫である。名前は、もうある。ヒト呼
んで寿限無老師。音楽家は舞台でお客さんを
「のめ」といわれるが、その前提となるのが強
力で上質な意識状態。これが舞台・客席という
空間を制する力を生むのじゃ。では、そういう
強い意識をどのように育てていくかについて語
ろうかニャ。


水:人間の心身には「共鳴」のメカニズムがあ
  るんでしたね。

寿:うむ。

水:共鳴とは、理屈で納得するのではなくて、
  心身が勝手に相手と同調してしまう現象
  で、意識の強い方が弱い方に影響を与える
  ということでした。

寿:吾輩が若いおネエちゃんに強い影響を受け
  るのは、そっちの方面では吾輩の意識が弱
  いからじゃ。ニャはは。

水:もう、老師ったら、ふざけてないで、どう
  やったら「強い意識」を作れるのか、練習
  方法を教えてくださいよ! 

寿:ニャはは。では、まず、思いっきり大きい
  ものを思い浮かべてごらん。

水:え、大きいものですか? 神楽坂飯店の一
  升チャーハンとか?

寿:ニャんじゃ、スケールが小さいのう。

水:えーと、豪邸とか、東京タワーとか...

寿:うむ、いいぞ、いいぞ。

水:大聖堂、パルテノン神殿、奈良の大仏、あ
  とは、えーと、えーと...

寿:自然のものでもいいぞよ。

水:あ、富士山だ。エベレストもある。あと、
  アマゾンの密林とか。

寿:うむ、結構じゃ。しかし、まだまだスケー
  ルが小さい。どうして地球とか、太陽系と
  か、銀河系とか、宇宙とか、そういうもの
  が浮かばんかのう。

水:あ、たしかに。これはアタシの人間の器が
  小さいってことでしょうか。

寿:それはある意味ではあたっておる。どれだ
  け大きいものを思い描けるかは、その人の
  想像力の限界を示しておるからニャ。

水:とほほ。よ〜し、思いっきり大きなものを
  考えてやるぞ〜。練習だ!

寿:ところで、大きなものを心に思ったとき、
  どんな感じがするかニャ?

水:そうですね、なんだか自分まで大きくなっ
  たような気分でしょうか。

寿:ほう。では、きみはいろんな街の中心にタ
  ワーがあったり、教会の天井が高かった
  り、山岳信仰が生まれたりするのは、偶然
  だと思うかニャ?

水:おお! たしかに、大きなものは信仰の対
  象になっていますね。

寿:人間は大きなもののそばにいたり、それを
  心に描いていると、安心感を得るんじゃ。

水:へえ、そうなんですか!

寿:これに「共鳴」のメカニズムを組み合わせ
  るのが、他者の心をリードする第一歩にな
  るんじゃ。

水:そうか「強い意識」とは、たとえば大きな
  意識のことなんですね!

寿:サエとるのう。その通りじゃ。いい子いい
  子してやろう。ニャゴニャゴ。

水:えへへ...。

寿:もちろん、大きいだけが「強い意識」では
  ニャいぞよ。たとえば「重い」でもよい。
  腹の中にボーリングの玉があると想像して
  ごらん。

水:ええ〜? ボーリングですか? うーん、
  なんだかどっしりとした感じです。

寿:精神状態はどうじゃニャ?

水:そうですね、落ち着いているというか、
  堂々としているというか...

寿:それがいわゆる「ハラができた」状態ニャ
  んじゃ。専門的には「丹田が効いた」状態
  ともいう。

水:つまり、大きいだけでなく、ものすごく重
  いイメージでもいいわけですね。

寿:「強い意識」には、大きさ、長さ、重さ、
  なめらかさ、心地よさ、複雑さ、明確さな
  どいろんな要素があるんじゃ。

水:ということは、心の中に、なにか圧倒的な
  スケールのものを、強く思い描けばいいと
  いうことになりますね。

寿:うむ。そのような強い意識を持った者は、
  周囲の人間の心に、実際は「心身に」じゃ
  が、影響を及ぼし始める。

水:共鳴現象が起きるんですね。

寿:そして、大きいものとか重いものは、ただ
  のイメージであるよりも、たしかな身体感
  覚をともなうものになると、さらに影響力
  は強くニャる。

水:とすると、なるべくシンプルなもの、実感
  を得やすい身近なものを思い描くほうがう
  まくいきそうですね。

寿:その通り。だから初心者には「大きな山」
  とか「ボーリングの玉」とか具体的なもの
  を思い浮かべるほうが取り組みやすいん
  じゃよ。ところで吾輩の名前と同じ題名の
  「寿限無」という落語があるじゃろ。

水:私の名前「水行末」も出てきますよね。

寿:あの中に「五劫(ごこう)のすりきれ」と
  いう言葉があるのを知っておるか。

水:はい。劫(こう)とは、ものすごく長い時
  間のことですよね。たしか「一劫」は一辺
  160kmの岩を3000年に一度天女が舞い降り
  て羽衣で撫で、岩がすりきれてなくなって
  しまうまでの時間だったような。

寿:まあ、気の遠くなるような長い時間のこと
  じゃニャ。大事なのは、こういう信じられ
  ないほど長い時間の単位をイメージする想
  像力じゃ。

水:なるほど。大きいものを想像しろといわれ
  て、一升チャーハンなんて答えているよう
  では、やっぱり小物だということか...。

寿:まあ、そう悲観することはニャい。イメー
  ジ能力は訓練しだいで、いくらでも発達さ
  せることができるからニャ。

水:では、音楽家が聴衆の心へ訴えるために、
  具体的にはどんな練習をすればいいんで
  しょうか?

寿:いよいよ核心にせまってきたニャ。まず、
  ねこばしり、ねこなきなどで、軽いハイ
  ファイ意識を作り出す。

水:そこまではお手のものです。毎日練習して
  ますからね。

寿:そのうえで、とてつもなく大きなものを思
  い浮かべるのじゃ。本格的に取り組むつも
  りなら、吾輩がお薦めしたいのは、身体の
  「芯」じゃ。

水:芯ですか! シンじられな〜い!

寿:(ずっこける)こりゃ、まじめにやれ。
  ま、寒いギャグは地球温暖化を救うという
  説もあるから大目にみようかニャ。

水:そんな説ありませんてば(笑)

寿:身体の中央を上下に貫く「芯」、これをど
  こまでもどこまでも長く伸ばすのじゃ。

水:自分の身体の外に伸ばすんですね。

寿:そう、下は地球の中心まで。上はとりあえ
  ずお月さんくらいまで伸ばしてごらん。

水:ひええ〜! けっこう難しいですねえ。

寿:天と地と人を芯で結ぶ。ねこ気功ではこれ
  を「天地人芯」と呼ぶ。ハイファイ意識下
  で天地人芯を作る練習を繰り返すと、まず
  心が澄んでくる。そして気持ちが落ち着く
  のを感じるじゃろう。

水:たしかに、この状態でステージに出れば、
  アガるなんてことはなさそうです。

寿:この状態をいつでも自分の心身に作り出せ
  るようにする。これが梅若氏のいう「手順
  二:自己内に意図的な変化を起こす」そし
  て「手順三:それを自分で体感する」とい
  うところの具体的な練習方法じゃ。

水:なるほど、芯を伸ばす、芯を伸ばす...。

寿:それじゃ、次回までによ〜く練習しておく
  ように。吾輩は「秘伝ねこあそび瞑想」で
  おネエちゃんたちとヴァーチャル修行には
  げむんでな。

水:あ、またこれだよ。老師! ぼくの姿勢の
  チェックをしてくださいよ! ねえ老師っ
  たら〜!

寿:ニャん、ニャん、ニャん♪ ニャはは!
  むにゃむにゃ、ZZZ...。

(つづく)



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***



2007 第6回【海を奏でるには海を】

2008年1月23日発行 Vol.06

吾輩は猫である。名前は、もうある。ヒト呼
んで寿限無老師。たとえば「海」をテーマに
した曲を演奏するとき、海のイメージを思い
描く必要があるかニャいか。きみはどう思う?
今回はそういう話じゃよ。


水:実際に曲を演奏するときに、心では何を
  思えばいいんですか? たとえば「花」が
  テーマの曲は花を、「海」がテーマの曲で
  は海を思い浮かべるとか。

寿:そうすれば効果があると思うかニャ?

水:いえ、とても効果があるとは思えないんで
  すよ。だってただのイメージですもん。

寿:ニャはは。

水:でもね、たしか絵を描く人のための格言で
  こんなのがあったような。「竹を描くには
  かならずまず成竹(せいちく)を胸中に得
  (う)」と。竹の絵を描こうとするなら、
  まず心の中に完全な竹のイメージを思い浮
  かべ、それから筆を取りなさい、という意
  味ですよね。

寿:つまり演奏家がイメージを描いただけで、
  そのイメージを聴衆と共有できるか、専門
  用語でいうなら「共鳴」するか、というこ
  とが聞きたいのじゃニャ?

水:そうです、まさにそれです!

寿:その答えは、前号までを読めばわかるはず
  じゃがニャ。

水:といいますと?

寿:ニャんじゃ、わからんのか。不肖の弟子を
  持って吾輩は悲しいぞよ。

水:すみません、そう言わずに教えてください
  よ。お願いしますよ〜。

寿:よかろう。海を演奏するときに海を思い描
  くかどうか。意識操作の観点からは、イエ
  スともノーともいえるニャ。

水:はあ...。

寿:いくつかのレベルで説明が必要じゃが、ま
  ず日常生活の意識レベルでいえば、答えは
  「ノー」じゃ。

水:つまり頭で海のことを考えながら演奏した
  からといって、演奏には影響しないという
  ことですね。

寿:いかにも。

水:では、どういうときに答えが「イエス」に
  なるんでしょうか?

寿:もっと深い意識レベルにおいてじゃニャ。

水:不快な意識ですか?

寿:不快ではニャい、「深い」じゃ! まじめ
  にやらんと教えんぞ。

水:すみません、なにか無理やりにでもギャグ
  をやりたい体質なもので...。

寿:まず、あらためて確認しておきたいのは、
  人間は他者と「意識場」を共有しうるとい
  う事実じゃ。他人と自分はまったく別の意
  識を持っているようでありながら、時とし
  て同じ意識場を共有することが経験的に知
  られておる。

水:だからある特定の条件が整ったとき、人間
  の意識は「共鳴」現象を起こすんでした。

寿:その通り。わかりやすくいうと、複数の人
  間が、実際にはそこにないものを「現実」
  として見たり「印象」として感じたりする
  のは、十分に起こりうることニャんじゃ。
  このとき脳はどうなっていると思う?

水:オウ、ノー!

寿:(むっとして)吾輩は帰るぞ!

水:あ、やだなあ、罪のないギャグじゃありま
  せんか。老師も人間が、というか猫ができ
  ているわりに短気なんだから。

寿:(気をとりなおして)共鳴現象が起きてい
  るとき、各人の脳内の情報はみな似た状態
  になっていると考えられるのじゃよ。

水:へえ、なるほど〜。

寿:そしてその脳内状態に強い実感(リアリ
  ティ)を感じた場合、人間の脳はそれを
  現実と区別することが難しくなることが知
  られておる。

水:軍隊やカルトの洗脳って、そうやるんじゃ
  ないですかね。

寿:その通りじゃ。政治や広告における情報操
  作も、これらの人間心理に関する知識を
  ベースに立案・実施されていると考えるべ
  きじゃろうニャ。

水:で、それと海のイメージはどうつながるん
  ですか?

寿:本当にニブイやつじゃニャ。ここまで説明
  すれば答えを言ったのも同じじゃろう。

水:すみません、飲み込みが遅いもんで...。

寿:たとえば演奏家が海のイメージをものすご
  く強く、深く、大きく、たくましく描き、
  あたかも自分が海そのものであるかのよう
  に感じながら演奏した場合はどうなると思
  うかニャ?

水:ははあ、前号でやった「強い意識」ってや
  つですね。

寿:お、少しは覚えておるようじゃニャ。

水:強い意識を持っている者に、弱い意識の者
  は共鳴してしまうんでしたよね。

寿:そうじゃ。その強烈な意識状態が周囲の人
  間の意識場に影響を及ぼすため共鳴現象を
  引き起こす可能性が高まるのじゃ。

水:だとすると、その場にいる聴衆は、演奏者
  が描くリアルな海のイメージを脳内情報と
  して共有し、そこに海を感じることになる
  わけですね。

寿:ところがおもしろいことに、聴衆はそれを
  自覚するとは限らないのじゃ。

水:え? 自覚しない?

寿:潜在下ではたしかに海のイメージを共有し
  て、それに強く影響を受けているにもかか
  わらず、顕在意識でそれを自覚しないケー
  スが多いのじゃ。

水:するとどうなります?

寿:こういう場合は、海を感じるというより、
  「えもいわれぬ迫力」とか「不思議な感
  動」を覚えることになる。もちろんはっき
  り自覚的に海を感じる場合もあるじゃろう
  がニャ。

水:ということは、海を思い描くといっても、
  頭でイメージを浮かべる程度ではダメで、
  全心身で海をリアルに感じる必要があると
  いうことでしょうか。

寿:うむ。能楽の世界では、このような現象に
  早くから気づいていて、それを技芸の訓練
  体系に取り入れていたようじゃ。また、舞
  踊や演劇などの舞台芸術でも、明示的か暗
  示的かを問わず、さまざまな表現技術の一
  部として研究され、ノウハウが蓄積されて
  きたと考えられるニャ。

水:音楽の世界にはないんですか?

寿:すぐれた演奏家が個人的な技術としてこの
  テクニックを使用していたのは間違いない
  じゃろうが、それが体系的ノウハウとして
  伝わっているかどうか...。

水:では「ねこ気功」は、音楽表現における意
  識操作体系化のさきがけとなるんですか?

寿:さきがけかどうかはともかく、微力ながら
  お手伝いさせてもらおうかニャ。次回はい
  よいよ「上意識」「下意識」の話に入るの
  で、しっかりニャ。

水:はい!

(つづく)

retro.jpg
イラスト:皆川美保子



***



2008 第7回【上意識と下意識】

2008年5月24日発行 Vol.07

吾輩は猫である。名前は、もうある。ヒト呼
んで寿限無老師。きみは自分の心をどれくらい
理解しているか。自分の心をコントロールでき
ると思うかニャ? 今回は「上意識」「下意
識」の話をするぞよ。


水:前回、演奏者が強烈に「海」のイメージを
  思い描いた場合、鑑賞者は「潜在下で」そ
  れを共有し、強く影響を受けるとうかがい
  ました。

寿:うむ。そしてほとんどの場合、鑑賞者はそ
  の「共有」を自覚しないとニャ。

水:そのあたり、もう少しくわしく説明してい
  ただけませんか?

寿:よかろう。まず、人間は、というかこの世
  のすべての存在はじゃが、もともと「意識
  場」を共有しておることを理解しなくては
  ならんぞ。

水:ちょ、ちょっと待ってください。人間以外
  にも「意識」があるんですか!?

寿:もちろんじゃ。吾輩は猫じゃが意識がない
  と思うかニャ?

水:老師は別ですよ。でも、石ころとか自動車
  とか、そういうものにも意識があるんです
  か?

寿:うむ、たしかにある。しかしここではそれ
  に深入りせず、とりあえず人間の意識につ
  いてのみ語ろう。あらゆる人間は、意識の
  場、つまり「意識場」をもともと共有して
  生きておる。だからこそ共鳴という現象が
  起きるのじゃ。

水:え〜と、よくわかりませんが...。

寿:ここで上意識と下意識について話さねばな
  らんじゃろうニャ。

水:ジョウイシキ、カイシキですか?

寿:これもねこ気功の専門用語じゃ。一般には
  顕在意識と潜在意識と呼ばれているものに
  似ておる。

水:ああ、それなら知ってます。ねこ気功の
  「上意識」「下意識」は何が違うんです
  か?

寿:ねこ気功でいう上意識とは、いま現在自分
  が自覚している情報のことじゃ。たとえば
  きみは吾輩の言葉を上意識で処理している
  が、まわりの空気の温度や湿度については
  まったく関心を向けていないじゃろう?

水:あ、たしかにそうですね。

寿:空気の温度・湿度は、感覚情報としてはき
  みの皮膚からたしかに入力されておる。し
  かし、きみはその情報を自覚していない。
  そういう情報は、きみの下意識にあるわけ
  じゃニャ。

水:なるほど。でも、そうすると上意識の情報
  というのは少ないし、下意識には膨大な情
  報があるということになりませんか?

寿:その通りじゃ! よいところに気づいた。
  いい子いい子してやるぞニャ。

水:えへへ...。

寿:少なく見積もっても、上意識と下意識の情
  報量の比率は「1:100万」くらいになると
  いわれておる。

水:ええ〜! 1:100万ですか? ということ
  は、私たちはすごく狭い情報世界で生きて
  いるわけですね。

寿:いかにも。実際その通りニャんじゃ。人間
  は、まわりのことも自分のことも、ほとん
  どなにもわかっていないのじゃよ。

水:たとえていえば、真っ暗な部屋をライトで
  照らしているような感じですかね。光のあ
  たっているところが上意識で、部屋の暗い
  ところが下意識...。

寿:なかなかよいたとえじゃ。しかし、それで
  もまだ不十分じゃろうニャ。下意識がアマ
  ゾンの大密林で、上意識が小さな豆電球く
  らいのスケールで考えたほうがいいぞ。

水:ひぇ〜〜! 私たちの意識って、そんなに
  狭いところしかとらえてないんですか!

寿:じゃから、いろんな宗教で「まず汝を知
  れ」と教えるんじゃないかニャ? 

水:で、それが意識場の共有とどう関係するん
  ですか?

寿:下意識というのはとてつもなく広い情報世
  界だと考えればよい。そして、それは底の
  ほうでつながっておる。

水:は? なにがつながっているんです?

寿:全人類の意識同士がじゃよ。

水:あ、それって、ユングのいう集合的無意識
  というやつですか? 

寿:まあ、そのようなものと考えてよいじゃろ
  う。細かい点では異なるかもしれんがな。

水:つまり、人間は別々に存在しているように
  見えるけれども、意識の深いところではつ
  ながっている、ということですね。

寿:そうじゃ。その「下意識のつながり」が意
  識場の共有を支えているわけじゃニャ。

水:ははあ、上意識と下意識の関係が1:100万
  なので、上意識は下意識で起きていること
  がわからない。だから意識は「つながって
  ない」ように感じるわけですね。

寿:そういうことじゃ。

水:う〜む。

寿:で、じゃニャ。その「誤解に満ちた」上意
  識を少し休ませた状態がハイファイ意識
  ニャんじゃよ。「ハイファイ」は高忠実度
  じゃろ? 自分の心の「あるがまま」をよ
  り忠実に再現する意識状態がハイファイ意
  識じゃ。

水:はあ、なるほど〜。

寿:主客転倒の話を覚えておるかニャ?「主」
  が上意識、「客」が下意識だと考えればわ
  かりやすいじゃろう。

水:そうすると、ハイファイ意識を作るとは、
  上意識を消すことですか?

寿:ハイファイ意識もある段階までは上意識主
  導じゃ。しかし主客が転倒することで、ハ
  イファイ度がぐっと深まる、つまり「視界
  が晴れる」のじゃ。

水:するとどうなります?

寿:演奏者も鑑賞者もともにハイファイ意識と
  なった場合、共鳴現象のインパクトは強く
  なるといえるニャ。

水:あ、なるほど。上意識がジャマをしないの
  で、ダイレクトに下意識同士で情報を共有
  するということですね。

寿:サエとるのう。そういうことじゃ。

水:てへ☆

寿:これが梅若氏のいう「手順四:身体が表現
  体として語り始める」じゃろう。

水:つまり能楽師は、動きとして舞ったり言葉
  を発するほかに、別のメッセージを下意識
  で発しているのですね。

寿:うむ。そして鑑賞者の下意識とメッセージ
  の交換をしておる。それは能だけでなく、
  ほかの舞台芸術も同じじゃ。

水:え〜と、老師、ここまでいろんな話を習っ
  てきましたが、ちょっと頭が混乱している
  んですが...。

寿:ニャはは。たしかに情報量が多かったかも
  しれんニャ。では、次回は情報を整理して
  実践的な応用法を伝授しようかニャ。

水:いよ、待ってました!おもしろくなってき
  たぞ〜!!

寿:では吾輩は...

水:あ、また、おネエちゃんですか?!

寿:ニャはは、むにゃむにゃ。ニャ〜ん♪
  
(つづく)



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2008 第8回【快眠☆ねこ気功】

2008年8月23日発行 Vol.08 

吾輩は猫である。名前は、もうある。ヒト呼んで
寿限無老師。このたび「ねこ気功」のブックCDが
リリースされたニャ。眠りとめざめの中間にある
「まどろみ」から気功を体験しようというファン
タジー仕立てのユニークなアプローチじゃ。


水:これまで、音楽家のための意識操作法をいろ
  いろと教えていただきましたが...

寿:が、ニャんじゃ?

水:正直言って、情報量が多すぎて混乱している
  んです...。

寿:ニャはは、きみには少し難しかったかもしれ
  んニャ。

水:で、老師の監修のもと、私なりに理解したこ
  とをまとめ、ブックCDとして出版させていた
  だきました。

【快眠☆ねこ気功ブックCD】

寿:うむ。ニャかニャか親しみやすいものに仕上
  がったと思うぞよ。

水:で、ですね、出版を記念して、このブックCD
  の解説などお願いしたいのですが。正直言って、
  まだ消化不良なもんで...。

寿:おお、よかろう。あれは誰にでも手軽に取り組
  めるシンプルな体裁になっておるが、内容的に
  はかなり高度なものじゃからニャ。

水:まずは、睡眠と瞑想について教えていただけま
  すか。睡眠と瞑想って同じなんですか?

寿:連載第二回で「ねこじかん」というのをやった
  じゃろう?

水:のんびりすることですね。

寿:ねこじかんは、ねこ気功のスタート。まずは思
  いっきりのんびりすることが大事じゃニャ。現
  代人は心身ともに大きなストレスの中で生きて
  おるから、のんびりしたくてもなかなかできニャ
  いんじゃよ。

水:たしかにそうですね。いつも神経が高ぶってい
  る。だから不眠に苦しむ人も多いようです。

寿:セカセカとした日常意識を休めて、のんびりと
  「ねこじかん」を体感する。ところが、これは
  まだ「仮性ねこじかん」じゃ。

水:仮性? 仮性近視みたいですね。

寿:ニャはは、まあそんなもんじゃ。ほんもののね
  こじかんではニャいから仮性じゃ。

水:ほんもののねこじかんって?

寿:うむ、ほんものの、つまり「真性ねこじかん」
  こそがメディテーション、つまり瞑想状態じゃ。
  一般の気功ではこれを「入静(にゅうせい)」
  とも言うがニャ。

水:はあ。でも、眠ってしまったら瞑想にはならな
  いんじゃないですか?

寿:その通りじゃ! いいところに気がついた。ホ
  メてやるぞ、ニャゴニャゴ。

水:てへへ...。

寿:座禅でもヨーガでも、あるいは気功でも、瞑想
  する者を苦しめるのが「睡魔」じゃ。

水:そうですよね。すぐに眠くなりますものね。

寿:仮性ねこじかんから真性ねこじかんへうまく入
  れればいいが、多くの場合、睡眠のほうへ行っ
  てしまう。日常意識から仮性ねこじかんを経て、
  瞑想と睡眠に枝分かれするんじゃニャ。この分
  かれ道を「瞑睡分岐点」と呼ぼう。(図参照)

2.%E7%9E%91%E7%9D%A1%E5%88%86%E5%B2%90%E7%82%B9.jpg

水:ブックCDでは、めざめと眠りの境界にある「ま
  どろみ」を手がかりにするとのことでしたよね。

寿:そうじゃ。仮性ねこじかんを経て、瞑睡分岐点
  へいたる手前あたりが「まどろみ」じゃ。寝て
  はいない、しかし起きてもいない、意識ははっ
  きりしているが、きわめて受動性の強い状態じゃ。

水:この「まどろみ」を利用して瞑想状態へ入ろう
  ということですか。ただですね、「快眠☆ねこ
  気功」というタイトルからすると、睡眠のほう
  へ行くのが目的のようにも感じられるんですが。

寿:そこじゃよ! 瞑想しようとする時みんなが悩
  まされる眠気を逆手にとるわけじゃニャ。眠り
  たい人はぐっすり眠る、眠れない人はすっきり
  瞑想に向かう、ということを狙ったんじゃ。

水:ははあ、なるほど! どっちに転んでも得るも
  のがあるということですね。

寿:しかも、このブックCDには、もうひとつの仕掛
  けがしてあるぞ。

水:といいますと?

寿:それはファンタジーじゃ。「きゃたりうむ」とい
  う仮想の街が舞台ニャんじゃよ。

水:どういうことですか?

寿:ファンタジーというのは、現実と空想の境界と言っ
  ていい。

水:え、100%の空想じゃないんですか?

寿:すぐれたファンタジーは、荒唐無稽な話のようで
  いて、どこかリアリティがあるもんじゃ。ただの
  デタラメに人は興味を覚えニャいんじゃよ。

水:たしかにそうですね。

寿:めざめのような眠りのような、現実のような空想
  のような世界へリードされることによって、気功
  的な意識操作がスムーズにできるようになるんじゃ
  よ。そもそも気功とは、身体と心の境界領域への
  アプローチじゃ。

水:それは、え〜と、たとえば身体を上下に貫く「芯」
  とかのことですか? (連載第五回参照)

寿:お、なかなかサエとるのう。その通りじゃ。

水:考えてみると、「身体の芯」って、実際の器官で
  はないし、ただのイメージでもない。身体と心の
  中間にある感じですものね。

寿:下腹部にあるといわれる「丹田」や、ヨーガでい
  う「チャクラ」「ナーディ」なども、身体と心の
  中間領域と考えられるニャ。

水:心身の中間にある「芯」を感じたり、操作したり
  するのが気功というわけですか?

寿:「芯」だけでなく、そもそも「気」という概念も
  心身の境界にあるのじゃ。多くの流派で、身体を
  水のように、あるいは液体のように感じることを
  練習する。ねこ気功でも「ねこだれ(連載第二回
  参照)」といって、やはり身体の液体性を引き出
  そうとするじゃろ?

水:たしかに、身体だけじゃなくて、心も液体になろ
  うとしますよね。

寿:そうじゃ。このように「心身の境界」へアプロー
  チするワークの集積が気功ニャんじゃよ。

水:意識操作と身体操作を同時にやるわけですね。

寿:その通り。そこに呼吸操作も加えながら効果を高
  めるんじゃニャ。

水:なるほど、なるほど!

寿:ブックCDに収録されている「パジャマで出かける
  呼吸旅行」という歌は、そのままねこ気功の呼吸
  トレーニングに使えるぞよ。

水:重宝してますよ。歌声にあわせて、短い呼吸から
  長い呼吸へ誘導され、また短い呼吸に戻ってくる。
  不思議なトリップ感覚ですよね。

寿:ユキイナバさんの透明な歌声、オーシャン小林さ
  んのスケールの大きなシンセサイザー演奏、そし
  て皆川美保子さんの神秘的なイラスト。

水:そして、アタクシのシブい声! 

寿:これ、修行中の身で調子に乗るんじゃニャい。

水:失礼しました...。ところで、ちょっとうかがいた
  いんですけど。

寿:ニャんじゃ?

水:このCDを聞いていると、最初の10分くらいでもの
  すごく眠くなるんです。

寿:そうなるように作ったからニャ。

水:ところが「レトロ自転車」という歌が始まって、
  自転車のベルでハッと目がさめちゃうんですよ。

 【註】快眠☆ねこ気功ブックCDには以下の内容が収録
  されている。
 1.快眠☆ねこ気功四つの特徴
 2.背骨に感謝します
 3.ゆったり揺らします
 4.いざ、きゃたりうむへ
 5.レトロ自転車(歌)
 6.パジャマで出かける呼吸旅行(歌)
 7.きゃたりうむ幻想曲第一番(演奏)

【快眠☆ねこ気功ブックCD】

寿:それがどうしたのかニャ?

水:いえ、せっかく眠りに入ろうかというところで起
  こされないほうがいいなと...

寿:ニャはは。そこには深い計算があるんじゃ。さき
  ほどから吾輩が「境界」という言葉を何度も使っ
  たのに気づいておるかニャ?

水:ええ、めざめと眠りの境界、現実と空想の境界、
  身体と心の境界、ですよね?

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寿:CDの最初の10分くらいで、まどろみから瞑睡分岐
  点を超えて、さっさと眠りに行ってしまうときもあ
  るじゃろ?

水:ええ、眠いときなんかそうですね...、あ! わかっ
  た!! そのまま深い眠りに行ってしまわないよう
  にベル音でわざと目をさまさせてるんですか?! 
  つまり、めざめと眠りの境界に、いつまでも漂って
  いられるように。

寿:その通り。「レトロ自転車」がアップテンポの曲に
  なっているのもそのためじゃ。さらに、このCDに
  は気功瞑想への導入、夜の熟眠への導入以外に、第
  三の使い方がある。

水:え? なんですか?

寿:良質な仮眠じゃ。

水:仮眠って、お昼寝とか?

寿:そうじゃ。10分〜15分程度の午睡は午後の仕事の能
  率を上げると言われておる。ブックCDをかけて昼寝
  をする。最初のリードメッセージで軽く眠る。そし
  て「レトロ自転車」のベルからにぎやかな歌が始ま
  る。

水:なるほど、それがめざまし時計代わりになるんだ!

寿:いずれにしても、このコンパクトなパッケージには、
  ねこ気功のエッセンスが凝縮されておる。

水:ねこ気功はエコロジーとも関係あるとうかがいまし
  たが?

寿:うむ。「ベッドで始める体内エコロジー」というん
  じゃが、その話はまたの機会に。では、吾輩もブッ
  クCDを聞きながら...

水:あ〜、また寝ようとしてる! ちょっと老師! 
  「ねこ気功はエコ気功」なんですよね? それって
  どういう意味なんですか? ねえ教えてください
  よ〜!

寿:ニャはは、またニャ〜☆ ZZZzzz... 

(つづく)


【快眠☆ねこ気功ブックCD】




***



2008 第9回【空気を変える】

2008年11月24日発行 Vol.09 


吾輩は猫である。名前は、もうある。ヒト呼んで
寿限無老師。コンサートにおいて、演奏者が聴衆
の心をつかむには、その場の「空気を変える」必
要がある。今回はそんな話じゃ。




水:「KY」という言葉が使われる機会が多いですね。

寿:空気(K)が読めない(Y)人のことかニャ?

水:「空気読め!」という意味で、
  耳元で「KY」とささやくこともあるようです。

寿:日本社会はもともと空気を読むことを重視してきた
  ニャ。阿吽(あうん)の呼吸という言葉もある。

水:察し合いは美徳であり、さらに高度なものとして
  「腹芸」という文化も生みましたよね。

寿:しかしこの傾向がネガティブな面であらわれると
  「内向きの論理」「談合体質」「もたれ合い」
  「無責任体制」「凡庸」「事なかれ主義」など、
  窮屈で息の詰まるような社会状況にもつながる
  ニャ。

水:「付和雷同(ふわらいどう)」もそうですね。自分
  の意見を持たないで、まわりの言動につられて行動
  したり、深く考えることなく、簡単に同調すること
  とか。

寿:「KYプレッシャー」が個人の生き生きとした活動
  を制約してしまうんじゃろうニャ。

水:アップルコンピュータの「Think Different」とか、
  落合博満の「オレ流」、岡本太郎の「四方八方に生
  きる」などの言葉は、空気を読みつつ空気に負けな
  い強さが感じられますよね。

寿:状況を敏感に察知しつつ、その状況にとらわれない
  というのは、かなり高度な意識操作じゃニャ。

水:ねこ気功を学ぶとそんな境地に至れるんでしょう
  か?

寿:まじめにトレーニングを続ければ、という条件付き
  じゃがニャ。

水:おお、それは楽しみですね。

寿:ところで、KYは環境問題とも関わっているのに気づ
  いておるかニャ?

水:え、環境問題ですか?

寿:うむ。空気ばかりを気にしているうちに、みんなが
  欲しがるものを自分も手に入れることでしか豊かさ
  を感じられなくなる。それが環境破壊に一役買って
  おるんじゃよ。

水:う〜ん、よくわかりませんが。

寿:本来、人間はみな好みが違う。みんなが同じものを
  欲しがるのは、じつは不自然なことニャんじゃ。

水:はあ...、それが環境破壊とどうつながりますか?

寿:みなが自分の価値観を大切にし、「自分独自の豊か
  さ」を追求するとどうなると思う?

水:う〜ん、競争がなくなる、もしくは大幅に減るよう
  な気がします。

寿:ほほう、よいところに気づいた。そうじゃ、ひとつ
  のモノをみんなで取り合うから争いごとが起きると
  いうことじゃニャ。そこには資源は有限であるとい
  う前提がある。

水:パイを取り合うという考え方ですね。

寿:うむ。しかし、ある者はパイを望み、別の者はライ
  ス(米)を望んだ場合、取り合いにはならんじゃろ
  う?

水:なるほど、パイそのものが大きくなったのと同じ計
  算ですね。

寿:ねこ気功は、人間(吾輩の場合は猫じゃが)と天つ
  まり宇宙の関係、および人間と地つまり地球の関係
  を改善することが目的じゃ。

水:いわゆる「天地人」という考え方ですね。

寿:他人が欲しがるものを争って自分も得ようとするの
  は「人人人」の関係しか眼中にないことになるニャ。

水:はあ。

寿:天地の豊かさは無限であるという前提で考えるなら、
  人は他者と競うのではなく、天地から競い合うこと
  なく恵みを受けることができるはずじゃろ?

水:えー、日常生活とあまりにかけ離れた価値観なので
  戸惑ってますが...。

寿:もちろんこれは理屈なので、現実の世界とのギャッ
  プはある。しかし、他人と異なるものを求めること
  で、パイそのものを広げることは可能だとは思わん
  かニャ?

水:それはたしかにそうですね。

寿:豊かさは、競争に勝利することで得られるものでは
  なく、競争を超越することで得られる。それが天地
  人のルールなんじゃよ。

水:うわあ、壮大な話ですね。私にはついていけない世
  界です。

寿:このような考え方が広まれば、環境に対する負荷は
  格段に減るのじゃが、その話はまた機会をあらため
  よう。

水:お願いします。話をKYに戻してもらっていいです
  か?

寿:うむ。ここでは空気を「読む」よりもそれを「変え
  る」ことを考えてみようじゃニャいか。

水:空気を変える、ですか?

寿:空気を読むこと自体は悪くニャい、というよりすぐ
  れた能力じゃ。

水:ですよね。

寿:ただ、その空気に流されてしまうのは心の弱さじゃ
  ニャ。

水:う〜ん、耳の痛い話です...。

寿:第五回対談(2007年vol.05)で「巨大な芯の意識」
  の話をしたじゃろう?

水:自分の身体を貫く大きくて強い芯を感じることで、
  周囲の人間に影響を与えるということですね。

寿:そのような芯を常に感じられる人は、まわりの空
  気に流されることはニャいんじゃ。

水:文字通り「一本筋が通った人」ということになる
  のかな。

寿:そのうえで、今度は周りの空気を変えて行くの
  じゃ。

水:はあ、どうすればいいんです?

寿:コンサートに行ったとき、第一部よりも第二部の
  ほうが盛り上がるのを経験したことがあるか
  ニャ?

水:あ、それはよくありますね。演奏者も聴衆も、最
  初はどうしても緊張しているというか、冷えてい
  るというか。

寿:つまりステージも客席も、まだ準備ができていな
  い。これを「場ができていない」と呼ぼう。

水:「場」ですか...。

寿:日常モードの「空気」に負けている状態とも言え
  るニャ。

水:でも、いわゆるスターはいきなり自分の「場」を
  作ってしまいますよね?

寿:そこじゃよ!

水:はあ...。

寿:スターがスターたりうるのは、その部分の差が大
  きいんじゃ。

水:どういうことです?

寿:すぐれた舞台芸術家は、それは能楽師でも、俳優
  でも、ダンサーでも、ミュージシャンでも、とに
  かく自分の「場作り」がうまい。

水:場作り?

寿:力のあるアーティストは、まず自分の場を作るの
  じゃ。それをどこに作るかというと、最初は自分
  の意識の中にじゃニャ。

水:え〜と、場って実際には何なんですか?

寿:ある特定の心身の状態と、今は理解すればよいじゃ
  ろう。

水:つまり、自分の心身に「演奏の場」なるものを空想
  するということですかね?

寿:ふつうの感覚で言えばたしかに「空想」と表現でき
  るじゃろう。しかし名プレイヤーの場合は、一般人
  がなんとなく空想するのとはレベルが違うんじゃよ。

水:ああ、あたかも現実のようにリアルに思い描くわけ
  ですね。

寿:その通りじゃ。そしてその「場」が本物の現実と同
  じくらい確固たるレベルに達すると、周囲の人間の
  意識場と「共鳴」が始まる。

水:あ、それも第四回対談(2007年vol.04)に習いまし
  たね。

寿:覚えておったか! いいぞ。

水:つまり、いわゆる「空気」というのは、その場にい
  る人たちの意識場のことと考えていいんですか?

寿:ま、おおざっぱに表現すればそういうことになる
  じゃろうニャ。「空気を読め=KY」というのは、
  意識場の状態を感知せよというのに近い。とは
  言っても、ずいぶん次元の低い話ではあるがニャ。

水:しっかりした意志や考えを持っていない人たちが集
  まるところでは、ちょっとした刺激でワーッと間
  違った方向に流されてしまう。これはよくない意識
  場に染まるということでしょうか。

寿:そのように考えてよいじゃろう。意識場の状態が不
  安定ニャんじゃ。そういうところでは、あまり敏感
  に空気を読まないほうがいい。というか、自分の意
  識場が確立していない段階では、いたずらに空気を
  読むこと自体を慎むべきじゃろうニャ。

水:では、周囲の情報を遮断して、ひたすら自分のカラ
  にこもるとか?

寿:ニャはは。それではただの鈍感なヤツじゃよ。

水:では、どうすればいいんです?

寿:空気を鋭敏に読みつつ、空気に負けない強さを獲得
  するためには、外柔芯剛の心身を作る必要がある。

水:ガイジュウシンゴウ?

寿:文字通り、外が柔らかく、芯がしっかりしているこ
  とじゃ。

水:それは空想をリアルに思い描く、つまり想像力を豊
  かにするということとは違うんですか?

寿:それもあるが、最初の段階では身体の外柔芯剛を中
  心に学ぶ。そしてトレーニングが進むにつれて、心
  の外柔芯剛となってくるのじゃ。

水:身体と心の感度を磨くと考えればいいのかな。

寿:うむ。一流のアーティストは、その場で起きている
  ことは誰よりも深く感知しているものじゃ。しかし、
  それとは別の世界に自分の主体を置き、あたかもア
  ウトサイダー(部外者)のように現場を見る目も持
  つ。

水:ひええ〜! 高度な話ですね!

寿:そのように二つの視点を同時に体現するのが外柔芯
  剛の世界じゃ。

水:教えていただけますか、その外柔芯剛を。

寿:では次回からとりかかろうかニャ。

(つづく)

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イラスト:皆川美保子




***



2008 第10回【万物は情報でできている】

2009年1月23日発行 Vol.10 


吾輩は猫である。名前は、もうある。ヒト呼んで
寿限無老師。身体の外は柔らかく、芯は強靭に。
そういう身体を開発すると、精神にも影響が及ぶ
のじゃ。自分に不都合なことはやんわり受け止め
て、しかし意志を曲げない。「空気に流されな
い」強さを身につけるというわけじゃニャ。


水:老師、気功にはたくさんの流派がありますよね?

寿:数え方にもよるが、数千流派あるといわれておるニャ。

水:そんな中で、ねこ気功という新しい流派を立ち上げる
  意味はあるんですか?

寿:質問の意図がよくわからんが?

水:この世に正解がひとつなら流派もひとつでいいんじゃ
  ないかと思うんです。

寿:ケン・ウィルバーを知っておるかニャ?

水:えーと、アメリカの現代思想家でしたっけ?

寿:うむ。ウィルバーによれば、あらゆる視点はかならず
  何らかの真実を含むという。

水:はあ...。

寿:逆にいえば、あらゆる視点はかならず間違いも含んで
  おるのじゃ。

水:どうしてですか?

寿:たとえば遠くを見るとき、近くのものは見えにくいじゃ
  ろ?

水:たしかに。

寿:同様に、全体像を見ようとすれば詳細な部分が見えにく
  い。右側から見れば左側が見えにくい、という現象が生
  じるニャ。

水:なるほど、正解はひとつでも視点は無数にあるのか!

寿:どこかに焦点をしぼることで、それ以外の部分が盲点に
  なりうる。人間の認識とはそのようなものニャんじゃ
  よ。

水:だからいろんな流派が必要なんですね。いろんな角度か
  ら、いろんなスケールで、いろんなアプローチをするた
  めに。

寿:そういうことじゃニャ。気功は健康体操のように見える
  かもしれんが、そうではニャい。宇宙の構造を直接体験
  するのが気功ニャんじゃ。

水:うわ、こりゃまたスケールの大きな話だ。宇宙みたいに
  大きなものを体験するなら、本当にいろんな視点が必要
  でしょうね。

寿:ここでいう「宇宙」には、人間も含まれる。動物や植物
  や鉱物も含まれる。液体や気体も含まれる。森羅万象あ
  らゆるものの総体、それを宇宙と呼んでおる。

水:じゃあ「世界」といってもいいですね。

寿:その通り。しかもそこには、想念や気分や記憶なども含
  まれる。

水:え〜!? 

寿:ニャはは、驚いたかニャ? この宇宙はつきつめれば
  「情報」で構成されているといってよい。万物の構成要
  素は情報ニャんじゃよ。

水:あの、えーと...。

寿:そのことに昔から気功修行者は気づいておった。気功だ
  けでなく、ヨーガや瞑想などを通じて、この真理に気づ
  いた者は少なくニャい。

水:ちょ、ちょっと待ってください。話についていけてない
  んですが。

寿:ニャはは、いまはニャんとなく聞いておけばよい。この
  世の究極の構成要素である情報のことを、気功では
  「気」と呼んだのじゃ。少なくともねこ気功では「気」
  をその意味で使っておる。

水:気とは情報のことなんですか!

寿:といっても、きみたちが日常使っているのより、もっと
  広く深い意味じゃがニャ。たとえばきみは占いを信じる
  かニャ?

水:星占いとか手相とかですか。まあ信じるような信じない
  ような...。

寿:タロットとか風水とか、ああいうものは当たると思って
  おるか?

水:あまり深く考えたことはありませんけど...

寿:気功的に見れば、占いや予言の類いをインチキと決めつ
  けることはできニャい。そういうものは確かに存在する
  と考えたほうがよい。

水:そうなんですか。てっきり老師はオカルトを否定される
  ものと思っていました。

寿:ウィルバーもいっておるように、あらゆる視点は何らか
  の真実を含むからニャ。

水:あ、そうでしたね。

寿:しかし占いに関していえば、ふたつの留保条件がある。

水:といいますと?

寿:ひとつめの留保条件は、あきらかなインチキやトリック
  もたくさんあるということじゃ。

水:それはそうでしょうね。ちょっとした手品で人を信じ込
  ませることはできますもの。

寿:もうひとつの留保は、たとえそれが「本物」だとして
  も、その影響力は小さいということじゃ。

水:影響力が小さい? じゃあ、厄年とか大殺界とか、あま
  り気にしなくていいんですか?

寿:ねこ気功では運勢と命勢という考え方をするニャ。

水:ウンセイ? メイセイ?

寿:運勢とは、いわゆる運気の流れのことじゃ。占いの多く
  はこれを読み解こうとする。「厄年」も運勢の一種と考
  えればよいじゃろう。

水:そういうものは存在するわけですね。

寿:うむ。しかし運勢よりはるかに大きな影響力を持つのが
  命勢じゃ。

水:これは初めて聞く言葉ですね。

寿:命勢とは自分の心のありようのことじゃ。少し難しく表
  現すると、「心の構造」といってもよい。

水:心の構造ですか...。

寿:そして、運勢と命勢の関係いかんによって、その人の
  「運命」が決まるのじゃ。

水:へえ、そういうことだったんですか!

寿:つまり多少運勢が悪そうに見えても、命勢がしっかりし
  ていればその人の運命は好転しうる。逆に運勢が良くて
  も、命勢が弱ければ、苦難が待ち受けているともいえる
  ニャ。

水:命勢を強くしておけば、運勢をそれほど気に病む必要は
  ないということですね。

寿:たとえば厄年を気にして、ことあるごとに「今年は厄年
  だから」といい続けていれば、かならず厄はおとずれる
  じゃろうニャ。自分で厄を呼び寄せるというか創造して
  しまうのじゃ。

水:その場合、命勢にあたるものはなんですか?

寿:厄を期待する心の構造、それが命勢になるのじゃ。

水:厄を期待する? そんな人いませんよ〜。みんな厄はい
  やですからね。

寿:期待するという言葉は誤解されやすいかもしれん。では
  「厄に関心を向ける心の構造」と言い直そう。

水:はあ、なるほど。関心を向けるとそれが実現する可能性
  が高まるということですね。

寿:前回(vol.09)の話でいえば、空気に流されるのと似て
  おるニャ。

水:厄年に関心を向けすぎるのは、空気ばかり読んでいるの
  と同じということですか?!

寿:ここで、運勢も命勢も情報、つまり気であることを確認
  しておこうかニャ。

水:すると、自分の外側にある情報が運勢で、自分の内側に
  ある情報が命勢になりますね?

寿:ほほう、めずらしく鋭いのう。その通りじゃよ。

水:てへ...。

寿:外的情報つまり運勢は、それ自体では意味を持たニャ
  い。それに意味を与えるのは内的情報つまり命勢ニャん
  じゃ。

水:運勢+命勢がワンセットになって初めて、その体験に
  「意味」が生じるということですね。

寿:ここでいう意味とは、プラスのものばかりではニャい。
  イヤな体験だなと思うことも、つまりそういうネガティ
  ブな意味を与えることも、運勢と命勢の組み合わせの一
  種ニャんじゃ。

水:情報が体験を作るということか...。

寿:まさに情報がその人にとっての「世界」を、つまり「運
  命」を創造するのじゃ。

水:とすると、ねこ気功って、情報操作能力のトレーニング
  なんですか?

寿:すばらしい! それは連載が始まって以来もっともよい
  気づきじゃニャ。最大級にホメてつかわすぞ。よしよ
  し。

水:へへへ、いやあ、まあ、なんというか、あはは...。テレ
  るなあ。

寿:たとえば「外柔芯剛」じゃ。

水:(シャキッとして)身体の外側が柔らかくて、芯が強く
  通っている状態のことですね。

寿:身体の「芯」とは何かといえば、それは情報でしかニャ
  い。

水:たしかに芯という器官はなにもありませんものね。

寿:しかしそれは背骨近辺のあるラインに沿って形成され
  る。「芯」と重心線がピタリと揃うと、理想的な立ち方
  ができるのじゃ。

水:「芯」は情報にすぎないけれども、きちんと位置が決
  まっているし、あたかも実体があるかのような働きをす
  るということですか?

寿:そうじゃ。同時に、身体の外側部分が柔らかい「外柔」
  のほうもまた情報ニャんじゃ。

水:え〜? 筋肉が硬いか柔らかいかは実体の世界じゃない
  んですか?

寿:ここは大事な話なので、段階をふんで説明することが必
  要じゃニャ。

水:お願いします!

寿:初歩的な段階では「実体としての身体」と、「情報とし
  ての身体」を分けて考えたほうがよいじゃろう。

水:情報としての身体って?

寿:さっきの「芯」と同じじゃよ。芯は背骨の近くに形成さ
  れるが、背骨そのものではニャい。情報の身体である芯
  は、実体の身体である背骨と密接に関係しながら存在す

  るのじゃ。

水:同様のことが体表面の筋肉でも起きるということです
  か?

寿:ピンポーン♪ 実体としての筋肉は硬直していても、情
  報としての身体を解きほぐすことは可能ニャンじゃよ。

水:うっひゃ〜、衝撃の事実! なんだか気功の奥義に入っ
  てきた感じがしますね。

寿:「快眠☆ねこ気功」ブックCDの解説をしたときに、吾
  輩は何度も「境界」という言葉を使ったじゃろう?

水:めざめと眠りの境界、現実と空想の境界、身体と心の境
  界ですね。

寿:情報としての身体は、まさに心と身体の境界に存在する
  のじゃ。それは身体でもなく、心でもない。これをアロ
  マねこ気功では「境体」と呼んでおる。

水:キョウタイ、境目の身体という意味ですね。

寿:次回は外柔芯剛の実践的トレーニングから、境体コント
  ロールについてくわしく説明するぞよ。

水:うわあ、ものすごく楽しみです。ゾクゾクしてきちゃっ
  た。

(つづく)

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2009 第11回【空想と現実のグレーゾーン】

2009年4月9日発売 Vol.11


吾輩は猫である。名前は、もうある。ヒト呼んで寿限無老師。ねこ気功の基本「外柔芯剛」。これは身体のトレーニングでもあり、意識のトレーニングでもあり、その中間に
ある「境体」のトレーニングでもあるニャ。


水:今日は外柔芯剛(がいじゅうしんごう)のトレーニングについてですね。

寿:立っている姿勢において、「外柔」と「芯剛」は表裏一体の関係になっておる。外が柔らかいほど内側が強く、芯が効くほどに体表面はゆるんでくるのじゃ。

水:どうしてそういうことになるんですか?

寿:まず「立つ」という姿勢を維持するためには筋肉を使うニャ。

水:重力に逆らうための筋肉ですね。

寿:ところが人によって、あるいは状況によって立つことに使う筋肉は千差万別じゃ。

水:いい立ち方と悪い立ち方があるとか?

寿:もちろんそうじゃが、まずはニュートラルな立ち方について理解したほうがよいぞ。

水:ニュートラル?

寿:立つ姿勢を維持するための、ギリギリ最小の筋力で立つことじゃ。

水:立つことに必要のない筋肉は一切使わないわけですね。とすると、骨を使って立つのかな。

寿:そうじゃ、骨格の構造をうまく使って立つ。そのとき必要なのは重力に対抗して骨格を維持するための筋肉。それらをミニマムに使うのじゃ。

水:ふんばるためじゃなくて、骨を支えるために筋力を使うのか!

寿:それは体表面のアウターマッスルではなく、身体の内側、つまり背骨に近い部分にあるインナーマッスルという筋肉群が使われる。これが「芯剛」の正体じゃ。

水:そのときアウターマッスルを脱力するのが「外柔」ということですね。

寿:外側の筋肉群を固めて立つのは、筋肉を骨の代わりに使うようなもので、たいへんに効率が悪い。体重はできる限り骨で支えるのがよいのじゃよ。そのとき主観的には「芯」で立っているような感じがする。これが外柔芯剛じゃ。

水:ははあ、外に力が入ればそこに頼って体重を預けてしまう、でも外を脱力すれば内に入力せざるを得ないということなんだ!

寿:したがって外柔芯剛の練習をする場合、立った姿勢つまり「立位」がもっともわかりやすいので、これが基本姿勢となるのじゃよ。

水:寝た姿勢では重力を感じにくいですものね。

寿:座った姿勢でもできなくはないが、やはり立位が一番わかりやすいニャ。

水:外柔と芯剛が表裏一体の関係にあるのが、よく理解できました。ではどのようにそれを練習すればいいんですか?

寿:大きく分けて外柔系のトレーニングと芯剛系のトレーニングがあるぞ。

水:外柔系とはどんなものですか?

寿:最初は動きをともなう運動で筋肉をほぐしていく。たとえば「ねこばしり」などじゃ。
※「ねこばしり」ほかアロマねこ気功基本功法はココロとカラダと音楽と第一巻を参照ください。

水:背骨を前後にゆっくりゆらす動作ですね。では芯剛系にはどんなのがありますか?

寿:動きをともなうものもある。たとえば「ねこばしり」をじっくり長くやると、芯剛系になる。一方、じっと重力を感じるような静的ワークも芯を育てるには効果的じゃ。

水:身体が液体になって垂れていくとイメージしたりするものですか。

寿:うむ。地球の中心、これをアロマねこ気功では「地節(ちせつ)」と呼んでおるが、そこい向かって液体化した自分の身体が流れ落ちていくのを感じる。そしてそのラ
インが鋼(はがね)のように硬く硬く硬くなっていくのを感じる、とかニャ。

水:いわゆるイメージトレーニングですね。

寿:初歩段階ではニャ。

水:え?

寿:最初のうちはただのイメージ操作じゃ。しかしそれを「体感」していくのが気功ニャんじゃ。

水:体感...ですか。

寿:イメージを身体で確認すると言ってもよい。

水:そこんとこが、よくわからないんですよ。

寿:順を追って説明しよう。現代人は情報のほとんどを視覚もしくは聴覚から得て、それを脳で処理しておる。

水:たしかに目と耳からの情報が中心ですね。ビジュアルに理解するか、言語的に理解するかどちらかがほとんどだと思います。

寿:「イメージ」というのは、ほとんどの場合視覚的なものじゃろう?

水:あ、たしかにそうですね。色とか形ばかりを思い描いているような気がします。

寿:味覚、嗅覚、触覚などのイメージを持つことは難しいと思わんか?

水:う〜ん、やってできないことはありませんけれども、あまり慣れていませんね。

寿:視聴覚以外の感覚を「体性感覚」と呼ぶのを知っておるかニャ?

水:聞いたことがあるような、ないような...。

寿:皮膚、筋肉、関節、内臓などの器官から得られる感覚のことじゃよ。

水:皮膚が温度や湿度を感じたりするのも体性感覚ですか。

寿:いかにも。温冷感や乾湿感のほかに、痛みや振動、ザラザラやツルツルなどの質感を感知することも含まれる。

水:内臓の動きも感じることがありますよね。

寿:筋肉の緊張状態や関節の角度なども、よく注意を払えばとらえられるしニャ。

水:へえ〜、すごい。

寿:「身体が液体化する」というのも、視覚イメージだけで思い描くのと、体性感覚で把握するのとではその深みがまったく異なる。

水:そりゃそうでしょうね。

寿:視覚情報をもとに頭で描いたイメージがただの「空想」だとすれば、体性感覚情報で得た実感は「現実」であるとも言えるニャ。

水:ん〜、そういうことになりますかね...。

寿:さらに厳密に言えば、「空想」と「現実」は白と黒のように二分されるものではなく、その間に無数のグレーゾーンが存在するのじゃ。

水:ええ〜!? 空想と現実のグレーゾーン?

寿:ニャんじゃ。気功修行者が驚くことはあるまい。たとえばずっと話題にしておる「芯」。これは空想か? それとも現実か?

水:実体がないという意味では空想ですが、実感があるという意味では現実、なのかなあ...??

寿:その通りじゃよ。トレーニングが進むにつれて、実感が薄い段階から濃い段階へと変化していくじゃろう? これは無数に存在するグレーゾーンを次々に感じてお
るのじゃよ。

水:はあ...。

寿:このグレーゾンのことを吾輩は「境体(きょうたい)」と呼んでおる。

水:その言葉は以前にもうかがいましたよね。心と身体の境界に存在する「情報としての身体」でしたっけ。

寿:そうじゃニャ。

水:情報としての身体ってのが、どうもピンとこないんですよね。

寿:体性感覚でとらえた微妙な情報は、ほとんどの場合、下意識で処理されておる。

水:カイシキは以前に習いましたね。自覚できている情報が上意識で、感覚器に入力されているのに自覚できていない情報が下意識でした。
※ココロとカラダと音楽と第一巻 p44

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寿:うむ。そのときにも話したが、下意識では膨大な量の情報、その多くが体性感覚情報じゃが、それらが処理されておる。上意識にのぼっている情報が小さな豆電球で照らせる範囲とするなら、下意識はアマゾンの大密林にたとえられるくらい、そのスケールの差は圧倒的じゃ。

水:なるほど。膨大な体性感覚情報は私たちの下意識にはあるけれども、それを通常は自覚していないということですね。

寿:その下意識の世界を「自覚的に」探索するのがねこ気功のトレーニング体系ニャんじゃよ。

水:老師、そこで話を境体に戻していただいていいですか?

寿:よかろう。上意識には、空想も現実もともに存在することを確認しておこうニャ。

水:たしかに。どちらも自覚できてますからね。

寿:では、たとえば身体の中心を貫く「芯」は上意識かニャ、それとも下意識かニャ?

水:きちんと自覚できていれば上意識なんだろうけど、それほど確固たる自覚はないから、下意識なのかなあ。う〜ん、よくわかりません。

寿:ここは大事なところなので、ていねいに説明するぞよ。

水:はい。お願いします。

寿:まず外柔芯剛ができていない段階では、芯は上意識にはもちろん、下意識にも存在しニャい。

水:それはわかります。芯は実体としても実感としても、どこにも存在しないんですね。

寿:つぎに外柔芯剛のトレーニングを始めた初期段階では、芯はただのイメージじゃ。まだ空想の段階と言ってよい。

水:そのときの芯は上意識にあるんですよね。

寿:たしかにイメージとしての芯は上意識にある。しかし同時に、体性感覚としての芯もまた下意識に形成され始める。

水:上意識にはイメージの芯が、下意識には体性感覚の芯が存在すると?

寿:そして外柔芯剛のトレーニングをすることでどんどん体性感覚が高まり、背骨まわりの筋肉の緊張状態など、それまでは下意識にあった情報が浮かび上がってくる。

水:浮かび上がってくる?

寿:上意識でもとらえられるようになるということじゃよ。

水:え〜と、もともと空想としての芯が上意識にあって、体性感覚情報として下意識にあった芯も上意識へと浮かび上がってくるということですか?
 


寿:ピンポ〜ン! 空想としての芯がガイド役となって、実感としての芯を呼び寄せるような現象が起きるわけじゃ。

水:それと境体はどう関係しているんですか?

寿:空想にすぎなかった芯のイメージが、体性感覚というたしかな実感で確認され、あたかも実体があるかのように機能し始める。その舞台になるのが境体ニャんじゃ。

水:境体は舞台なんですか!?

寿:舞台であり役者でもある。つまり、芯は境体の上に存在するとも言えるし、芯そのものが境体の一部であるとも言えるニャ。

水:背骨は肉体内に存在するけれども、肉体の一部とも言えるようなものですね。

寿:まさしくその通りじゃ。

水:境体は身体なんですか、それとも意識?

寿:身体と意識の境界にあるグレーゾーンじゃと言っておろうが。

水:あ、そうか。でも、それは身体じゃなくて、やっぱり意識なんじゃないですか???

寿:ニャはは。境体の話は難しいので、復習しながら少しずつ進めていこうニャ。

水:はあ...。

寿:次回はもう少しくわしい話をしよう。まずは「ねこばしり」でも練習しニャさい。

水:はい、わかりました!

(つづく)

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2009 第12回【随意もない、不随意もない。】

2009年7月10日発売 Vol.12


吾輩は猫である。名前は、もうある。ヒト呼んで寿限無老師。体と心の境界にある「境体」について、今回はくわしく述べるぞよ。まずは随意筋と不随意筋について考えよう
かニャ。


寿:随意筋、不随意筋という言葉を知っておるかニャ?

水:自分の意識で自由に動かすことができる筋肉が随意筋で、意識では自由に動かすことができない筋肉が不随意筋ですよね。

寿:ふむ。まあ、だいたいそれでよいニャ。

水:身体を動かす骨格筋が随意筋で、心臓とか胃腸の筋肉が不随意筋と習いました。

寿:うむ。ここで問題にしたいのは「随意」という言葉じゃ。

水:随意は、自分の思うままにという意味じゃないんですか?

寿:では尋ねよう。きみは自分の腕や手を「自由に」「思うままに」動かせるかニャ?

水:え? それってどの程度の精度の話ですか?

寿:そこじゃよ。では尋ね方を変えよう。きみは自分の腕や手をどの程度、何パーセントくらい「自由に」「思うままに」動かせるか?

水:え〜と、100%というのは無理ですね。90%くらいかな、いや80%? 待てよ...?

寿:ニャはは! もしきみが自分の随意筋を完全に自由に動かせて、オリンピックに出れば金メダルは間違いニャいぞ。どんなスポーツでも超一流選手になるじゃろうし。

水:たしかに。身体を自由に動かせないからこそトレーニングするんですものね。

寿:では、不随意筋について尋ねるぞ。ヨーガ行者の中には、心臓の鼓動を止めたり、消化管を逆蠕動(ぎゃくぜんどう)させたりする能力を持つ者があるという。完全な不随意、つまり0%のコントロールしか及ばない筋肉はあると思うかニャ?

水:これはなんとも言えませんね。少なくとも私は心臓の鼓動を止められないし...。

寿:思考実験じゃよ。もし心臓の鼓動を止められる事例が見つかった場合、心臓は不随意筋と呼ぶのがふさわしいかどうかじゃニャ。

水:う〜ん...。老師がおっしゃりたいのは、完全な随意とか、完全な不随意はないということですか?

寿:そうじゃニャ。すべての筋肉はコントロールできる可能性があり、ただ比較的動かしやすいものと、とてつもなく動かしにくいものがある、と考えるほうが正確ではニャいかということじゃよ。

水:そんなこと解剖生理学で認められますか?

寿:解剖生理学はヨーガのすべてを認めておるかニャ?

水:あ、いや、部分的に認めているだけかな。よくわかりませんけど...。

寿:現在の学説がどうであるかということより、自分の実感として考えてみようニャ。きみの利き手はどっちじゃ?

水:右利きです。

寿:右手と左手とどちらがコントロールしやすいかニャ?

水:もちろん右手です。利き手ですからね。

寿:右手も左手も、ついているのは随意筋のはずじゃニャ?

水:そうですね。

寿:しかし、右手と左手には「随意度」の違いがずいぶんあるということになるニャ。

水:たしかにそうですね!

寿:では、次に意識について尋ねるぞよ。右手と左手ではどちらが意識しやすいかニャ?

水:意識ですか? そうですねえ、やっぱり右手のほうが意識しやすいかな。より細かい部分まで意識できるように思います。

寿:では、手のひらと指先ではどちらが意識しやすい?

水:指先、かなあ...。

寿:手のひらと手の甲ではどうじゃ?

水:手のひらかな???

寿:つまりじゃ、きみの身体の中には、意識しやすい部分と意識しにくい部分が存在するということじゃニャ?

水:はい、そういうことになりますね。

寿:そして意識しやすいところは動かしやすく、意識しにくいところは動かしにくい。

水:おおむねそうだと思います。

寿:そこまで確認しておいて、横隔膜の話をするぞよ。横隔膜は不随意筋であると教えられた時代もあるようじゃが、現在では随意筋と習う。しかし普通に生活しているかぎり横隔膜を意識することはまれじゃろう。

水:呼吸法を習うまでは、横隔膜なんて意識したことありませんでした。

寿:そうじゃろうニャ。だから今でも、横隔膜は動かせないとか意識できないという説は根強くあるんじゃよ。

水:それは「説」なんですか?

寿:ニャはは。説と言えるかどうかはともかく、そのように感じる人は少なくニャい。

水:それって、さっきの右手と左手の話と同じなんじゃないですか? よく使うところは意識しやすく動かしやすいという。

寿:まったくその通りじゃよ。横隔膜を動かす練習が足りなければ、横隔膜の意識は薄いし、コントロールもしにくい。しかし練習次第で横隔膜はかなり「随意度」が上がってくるんじゃニャ。

水:はあ。

寿:ここで話は「境体(きょうたい)」に移る。

水:身体と心の境界にあるのが境体でしたね。

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寿:境体は意識の一種じゃ。しかし身体と密接に関係した意識であると言える。したがって、身体でもあり心でもあり、心身が渾然一体となったものと考えればよい。

水:横隔膜は身体ですよね。

寿:しかし横隔膜を意識すると言ったとき、それは境体について語っておるのじゃ。

水:へ?

寿:きみが意識している横隔膜は、肉体としての横隔膜ではなくて、境体としての横隔膜、つまり「横隔膜境体」とでも呼ぶべきものニャんじゃ。

水:うわあ、そうなんですか!

寿:それは身体でもなく心でもない、しかし同時に身体でもあり心でもある。

水:うーん、わかったようなわからないような。

寿:ニャはは。たとえばこの対談でもよく登場する「芯」について考えてみよう。

水:身体の中央を重心線に沿って上下に貫くラインのことですよね。

寿:重心線に沿ってというのは、力を抜いて直立した場合のことじゃが、一般的にはまあそういう理解でよいじゃろう。

水:たしかに「芯」は身体の器官ではないし、でもただのイメージでもない。たしかな実感を伴って身体上に成立する意識ですね。

寿:まさにそれが境体じゃよ。身体と心の中間領域にある存在。では、その「芯」を中心として身体を旋回させてごらん。

水:胴体を左右に回す感じですか?

寿:うむ。でんでん太鼓を回転させるようにじゃニャ。

水:(やってみる)「芯」が回転軸となって、そのまわりを身体が回っているように感じます。

寿:では今度は、その「芯」を身体の前に出してごらん。自分の目の前30cmくらいのところに「芯」があると想定する。そしてその「体外の芯」を中心とした回転運動をするのじゃ。

水:それはつねに「芯」のほうに顔を向けて、まわりを自分がぐるぐる回るわけですね?(やってみる)
なるほど、できますね。しかも「芯」の存在もくっきり感じます。

寿:つまり境体は体外にも形成できるのじゃ。

水:ははあ。器官として実在しない「体外の芯」が意識できるのだから、実在する器官である横隔膜を意識できないわけがないとおっしゃりたいんですね。

寿:そういう空間構造を「感じる」能力を人間は持っておるのじゃよ。

水:するとトレーニングした人としない人とでは「境体」の感じ方がものすごく違うことになりませんか?

寿:その通りじゃ。身体運動の質を決定する最重要の要素は、この境体コントロールであると言ってもよい。そして気功とは、境体操作を計画的に行なうための練習体系ニャんじゃ。

水:へえ〜! 身体と心の両面に対して境体からアプローチするということですか。

寿:さあ、ねこ気功も徐々に高度な内容になってくるぞよ。楽しみにニャ。

水:はい!

(つづく)







2009 第13回【物質世界と意識世界】

2009年10月10日発売 Vol.13



吾輩は猫である。名前は、もうある。ヒト呼んで寿限無老師。これまでに学んできた意識の構造やテクニックについて、わかりやすく復習するぞ。



水:老師、これまでいろいろと意識操作法を教えていただきましたけど、ここらへんで復習したいんですが。専門用語がたくさんあったのを、結構忘れちゃったんですよ...

寿:ばかもん! 復習くらい自分でやれ〜、...といいたいところじゃが、まあ、よい機会じゃろう。これまでとは違った角度から、図を使いつつ復習してみようかニャ。

水:さすが老師! 大好き!!

寿:ニャはは。「身体と意識の関係図(1)」を見てごらん。

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水:うわ、なんだか難しいですね。

寿:これはもっとも基本的なものじゃ。この先どんどん図が成長していくので楽しみにしてほしいニャ。

水:とりあえず、いま書いてあることを説明していただけますか?

寿:うむ。図のどのあたりを見ればよいかがすぐわかるように、左端に番号、上端にアルファベットをふっておいた。これで座標を指定するぞよ。まず、(2,k)あたりの「個人A」を見よう。

水:ええと、(2,k)ですね。あ、あった。なるほど、こりゃわかりやすいや。

寿:この太い線で囲まれた四角形は人間を表現する。外側の「皮」が肉体じゃ。その中に感覚と意識が含まれておるニャ。

水:「肉体感覚」「上意識」「下意識の一部」と書いてありますね。

寿:肉体には感覚がある。いわゆる五感というやつじゃニャ。

水:視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚ですね。

寿:じつはそのほかにも、いろんな感覚があると考えることができる。

水:どういうことです?

寿:皮膚、筋肉、腱、関節、内臓壁などに含まれる感覚器から得られる情報を、ただ「触覚」と呼んだのではあまりにもおおざっぱすぎるんじゃニャ。

水:はあ...

寿:皮膚感覚には「触覚」「圧覚」「振動覚」「温覚」「冷覚」「痛覚」などがある。また内臓感覚には「伸展覚」や「痛覚」、ほかにも深部感覚といって骨格筋の長さや緊張、関節の角度などの感覚もあるぞ。

水:ひええ〜! そんなの感じられませんよ。

寿:前回、身体のなかには意識しやすいところとそうでないところがあることを説明したが、それは結局、これらの繊細な身体感覚の情報をキャッチできるかどうかということにかかっておるのじゃ。

水:練習すればそれらはキャッチできると?

寿:当然じゃニャ。気功とはそういう鍛錬の積み重ねでできた体系ニャんじゃよ。

水:「上意識」「下意識」という言葉は、以前くわしく教えていただきました。いま自分
が自覚している情報が上意識で、感覚情報として入力されているのに自覚していない情報が下意識でしたね。

寿:しかし下意識にはもっと深い部分が存在するのじゃ。それが座標(5,k)から下のあたりに書いてある。

水:「感情」「本能」「基本的に下意識」というやつですね。(4)のあたりに引いてある横線は何を表現しているんですか?

寿:よいところに気がついた。そこが目に見える世界(物質世界)と目に見えない世界(意識世界)の境界線じゃよ。

水:ははあ、なるほど。(1,g)と(7,g)に説明してありますね。

寿:五感など肉体感覚でとらえられる情報については、その(4)の線よりも上、つまり物質世界のほうに分類しておこう。しかし感情や本能のように、自覚したり確認するのが難しいものは、線よりも下の意識世界に入れておいたぞよ。

水:でも(4,k)から(6,k)にかけての領域も個人Aに属しているということですよね。

寿:当然そうじゃ。きみの「感情」はきみのものじゃろう? 「本能」もしかり。ただ、(4)の線より下は「基本的に下意識」なので存在を確かめるのは難しいがニャ。

水:(3,o)の仮性チャイルドタイム、(6,o)の真性チャイルドタイムは第8回で習いましたね。あのときはチャイルドタイムじゃなくて「ねこじかん」という用語でした。

寿:うむ、日常の忙しい意識を休めて、のんびりした気分になるのが「仮性チャイルドタイム(ねこじかん)」、それがだんだん深まってうまく瞑想状態に入れると「真性チャイルドタイム」となるわけじゃ。

水:SOシフト(4,o)ってなんですか?

寿:Sは主体(subject)、Oは客体(object)の略じゃ。SとOが入れ替わる(シフトする)のがSOシフトじゃよ。

水:あ、それは第4回で習った「主客転倒」のことですね。
※カラダとココロと音楽と第一巻 p26

寿:うむ。たとえば「ねこばしり」をするとしよう。最初のうちは「私が背骨を動かす」ことになるが、それがある時点から「背骨が私を動かす」ような意識状態へ変化する。それがSOシフトじゃ。

水:で、そのように「のんびり」「SOシフト」しながら「高度な集中」状態にあるとき、これをハイファイ意識と呼ぶんでした。

寿:ハイファイ意識は(9,k)に書いてあるぞ。

水:仮性チャイルドタイムがSOシフトを経て、真性チャイルドタイムとなる。その先にハイファイ意識という澄み切った世界があるわけですね。

寿:ハイファイ(高忠実)な意識とは、心が情報を忠実に反映すること。つまり与えられた情報を「あるがままに」とらえ、ダイレクトに反応できる状態のことじゃ。

水:たしかハイファイ意識下では、自分で思い描いたイメージなど空想の情報にも「現実味」を感じるんでしたね。

寿:その結果、たとえば「悲しみ」を心に描いた俳優や音楽家が、全心身でその「空想の悲しみ」にひたり切るような現象が生じるニャ。

水:つまり普通の「イメージ」は(4)の線よりも上の物質世界で起きていることだけど、すぐれた芸術パフォーマーは(4)より下の意識世界で深いイメージ操作を行なっていると。

寿:それはもはや「イメージ操作」という言葉が適切でないほどの臨場感、現実感のある世界と考えたほうがよいぞ。本人にとっては実体験とほとんど変わらないからニャ。

水:ところで(4)から下の意識世界は個人の枠組みがあいまいですよね。下へ行くほど黒い帯がぼんやりしてます。また、(2,k)個人Aの下意識と(2,s)個人Bの下意識がハイファイ意識のあたりでつながっているようさえに見えますが。

寿:ふむ、じつに着眼が鋭い。ほめてやるぞよ。よしよし。

水:えへへ...。

寿:これも第4回で説明したことじゃが「共鳴」という現象と関係しておる。共鳴は人間の意識が深い部分で共有されていることから生じる。それを表現しているのが、この図の7〜9あたりの空白じゃよ。

水:だからハイファイ意識で個人Aが描いた「悲しみ」を、個人Bも下意識で共有することが起こりうるというわけですか!

寿:その通りじゃ。個人Bの意識状態に「ある条件が整ったとき」、共有されたハイファイ意識の情報が、個人Bの上意識にまで昇ってくる。

水:あ、(t)のあたりに、なにやら薄い矢印が下から上へ書いてありますよね。

寿:その話はいずれくわしくするが、個人Bの下意識にトンネルがあいているのがわかるじゃろう?

水:はい。そのトンネルを矢印が貫いています。

寿:さきほど言った「ある条件が整ったとき」というのが、このトンネルじゃよ。

水:個人Bの下意識にトンネルが開くと、個人Aのハイファイ意識が共有できるというか、それを自覚できるということですね。

寿:この図では個人Aと個人Bしか登場してないから、そういう理解でよいじゃろう。これは複数の人間のあいだでも起こりうるし、社会レベルや世界レベルでも起こると考えてよいのじゃよ。

水:え、ええ〜?!

寿:まあ、そこまで話を広げると混乱するじゃろうから、ひとまずは二人の人間が意識場を共有すると考えることにしよう。

水:はい、お願いします。

寿:次回はこの図をさらに「成長」させて、音楽家のメンタルトレーニングについて語るぞよ。

水:メンタルトレーニングですか! おもしろそうですね。

寿:それは「自分とはだれか」という大きなテーマも含んでおる。

水:なんだか哲学的ですね。楽しみです!


<参考文献>
「身体と意識の関係図」は下記文献を参考にさせていただきました。
釋昇空法話集「念仏の道、浄土への道」第二部:命の構造

(つづく)







2009 第14回【自分を責める自分】

2009年12月10日発売 Vol.14 



吾輩は猫である。名前は、もうある。ヒト呼んで寿限無老師。これまでに学んできた意識の構造から「自分(セルフ)」とはなにかについて分析するぞよ。上達のヒントがここにあるかもニャ。


水:老師、今回は音楽家のメンタルトレーニングについて教えてくださるんでしたね。

寿:前回の話は少し難しかったかもしれんニャ。

水:ええ、正直言うと、たいへんでした。

寿:今回はもう少し具体的で身近な話をすることにしよう。

水:ぜひお願いします。

寿:「インナーゲーム」を知っておるかニャ?

水:インナーゲーム...、内側の戦い...。それってテニスのトレーニング理論でしたっけ?

寿:現実のテニスの試合をアウターゲーム、プレイヤーの心の中で行なわれるもうひとつの勝負をインナーゲームと呼ぶ。テニスコーチのティモシー・ガルウェイが作った言葉じゃ。

水:心の中の勝負って、何と何が戦っているんですか?

寿:ニャはは。もっともな疑問じゃニャ。それをガルウェイは「セルフ1」「セルフ2」と名付けた。二人の自分(セルフ)じゃニャ。

水:自分が二つに分かれているということ?

寿:実際の試合(アウターゲーム)の最中に、自分のプレイに対して非難をし続ける自分がいる。これを「セルフ1がセルフ2を攻撃している」と表現したのじゃニャ。

水:非難する自分がセルフ1、非難される自分がセルフ2ということですか。

寿:高度な集中が実現してよいパフォーマンスが行なわれているとき、セルフ1の非難はおさまっておる。

水:そのときセルフ2はどうなります?

寿:セルフ2は潜在的な身体能力の総体じゃ。本来の自分が持つ学習能力や創造力に満ちあふれておる。

水:セルフ1の非難がおさまると、セルフ2はその能力を発揮できるということですか?

寿:そのようにガルウェイは考えたようじゃ。

水:それって、第7回で習った「上意識と下意識」とはどういう関係になるんですか。
※カラダとココロと音楽と第一巻 p44

寿:図で説明しようかニャ。

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水:やや! またこの図ですか。あれ、前回とは少し違いますね。

寿:きみが個人Aだとしよう(2,k)。きみが自覚できているところが「上意識」じゃ。肉体においても、精神においてもニャ。

水:そして自覚できていない肉体や精神の部分を「下意識」と呼ぶんでした。

寿:セルフ1とセフル2の関係は(3,c)と(7,c)あたりに整理しておいたぞよ。

水:セルフ1は肉体、肉体感覚、上意識から、感情、本能までにわたっていますね。

寿:きみがふつうに「自分」と感じるのがセルフ1と思ってよいじゃろう。

水:で、セルフ2はずいぶん深いところにありますねえ。目に見えない世界、意識世界の下のほう、ハイファイ意識の領域です。

寿:(4-6,k)あたりにある黒から灰色へのグラデーションがわかるかニャ?

水:はい。「感情、本能、基本的に下意識」と書いてあるところですね。

寿:この部分が、いわゆる「煩悩」じゃ。それらは、自分の意識の表面、つまり上意識にまで上ってくることもあるし、下意識に潜んでいることもある。それらがセルフ1となって、きみを苦しめるのじゃ。

水:つまり、煩悩が心の中で私を非難し、苦しめるということですか。

寿:そして、煩悩の攻撃をおさめることができれば、きみのセルフ2は堂々と活躍できる。本来の自分の力を発揮できるのじゃ。

水:それがハイファイ意識状態なんですね。でも具体的に、どうすればハイファイ意識になれるんですか?

寿:それについては第4回「ハイファイ意識の共鳴」で説明したニャ。
※カラダとココロと音楽と第一巻 p26参照

水:えーと、えーと...。あ、これですね。ハイファイ意識は、日常意識とは異なる状態で、深いリラックスと鋭い集中がうまくバランスのとれた意識のことをいう。「ねこじかん」と「主客転倒」がポイントである。

寿:図で言うと「ねこじかん」は(3,o)にある仮性チャイルドタイムのこと。の〜んびりした気分のことじゃ。そして「主客転倒」は(4,o)のSOシフトじゃ。

水:「私が背骨を動かす」から「背骨が私を動かす」へと受動的な意識状態へ変化することでしたね。

寿:その「私が背骨を動かす」というときの私はどっちのセルフと思うかニャ?

水:え? ...セルフ1ですか?

寿:では「背骨が私を動かす」の私は?

水:... よくわかりません。

寿:ニャはは。それもセルフ1と考えてよいじゃろう。どっちもセルフ1じゃ。

水:セルフ2はどこにいるんですか?

寿:「背骨」じゃよ。背骨が私を動かすというときの背骨こそがセルフ2ニャんじゃ。

水:はあ...。

寿:「私が動かす」という能動性は、セルフ1が非難を続けている状態と等しい。しかしSOシフトが起きると、運動の主体はセルフ1からセルフ2に移行するんじゃ。

水:なるほど!

寿:ガルウェイはセルフ1の非難を沈静化するためには「今、ここで起きていることに集中せよ」と言っている。善悪の判断をせずに、ただ観察するわけじゃ。

水:アロマねこ気功ではどうするんですか?

寿:もっとも基本となるのは「ねこじかん(チャイルドタイム)」を習慣化すること、それを自在に再現できるように条件付けすること。そして「ねこばしり」で背骨を観察し続けることじゃニャ。「ねこなき」という呼吸法も役に立つぞよ。
※カラダとココロと音楽と第一巻 p9-12、p19-20参照

水:チャイルドタイム、ねこばしり、ねこなき、SOシフト、ハイファイ意識という手順でセルフ2に移行するわけですね。

寿:古今東西を問わず、流派の違いを問わず、人間の身体と意識の関係について、人類は同じ現象をいろんな言葉で表現したのではないかと吾輩は考えておる。ごく一部ではあるがそれを整理したのが次の図じゃ。

身体と意識の図(完).jpg


水:わ、ぐっと複雑になりましたねえ。

寿:「d」のあたりにある「セルフ1、セルフ2」はここまで説明してきたようにガルウェイの言葉じゃ。

水:仏教の言葉もたくさん出てきてますね。(2,a)(8,a)あたりの「自力、他力」とか、(2,g)(6,g)の「色、空」とか。

寿:「j」ラインにある「小悟、大悟」、「l」ラインの「マナ識、アラヤ識」、(9,s)の「如、一如、真如」、「v」ラインの「娑婆、穢土、此岸、極楽、浄土、彼岸、ダンマ、阿弥陀仏、仏性、涅槃」などもみな仏教用語じゃニャ。

水:「v」ラインには「神」とか「Let It Be」なんて言葉も混ざってますね。

寿:くわしく説明を始めると、それだけで何冊も本を書かねばならなくニャるので、残念ながらここでは言葉を紹介するにとどめるぞよ。

水:「g」ラインの「明在系、暗在系」という言葉はどこかで聞いたことがありますね。

寿:理論物理学者デヴィッド・ボームの言葉じゃニャ。ボームは見えない世界を内蔵秩序(暗在系 implicate order)、見える世界を顕前秩序(明在系 explicate order)と呼んだのじゃ。これもここでは深入りせんがニャ。

水:「e」ラインの「濃我、淡我、無我」は何ですか?

寿:これはアロマねこ気功のオリジナル用語じゃ。我々は日常的に濃い「我意識」を持っている。これがメディテーションを通じてSOシフトを経ることで「淡く」なり、その果てに「無我」が訪れる。それはハイファイ意識の世界というわけじゃ。

水:「s」ラインで「如来」と書いてあるのに興味が引かれますね。

寿:アロマねこ気功のハイファイ意識が仏教でいう「如」だとしよう。我々の日常的な意識状態に、なにかの拍子で唐突にハイファイ意識が現れることがある。いわゆる「悟り」の体験といってもいいし、「神の啓示」「ひらめき」などいろんな呼び方があるじゃろう。それらを「如が来る」という意味で「如来」と呼んだのじゃニャいか。

水:へえ、如来ってそんな意味だったんですか!

寿:あくまでもひとつの仮説じゃがニャ。

水:アロマねこ気功って、ニャんニャん言ってるだけじゃなくて、奥深いものだったんですねえ〜。

寿:驚いたかニャ? ニャはは。

<参考文献>
「身体と意識の関係図」は下記文献を参考にさせていただきました。
釋昇空法話集「念仏の道、浄土への道」第二部:命の構造

(つづく)







2010 第15回【こまめに疲れをとるために】

書籍「パジャマで出かける呼吸旅行」
著者:黒坂 洋介
監修:力石香子(ココアロマ)
イラスト:皆川美保子、松本美樹

音楽家のためのメディテーション「アロマねこ気功」
の最重要功法パジャアースを詳細に解説。mp3音源
を徹底的に使いこなして深い練功へと導くためのテ
キストです。美しい歌声とシンセサイザーの音色を
聞きながらさわやかに一日をスタートしませんか。
※本書は「ねこ気功のある生活」を改編、加筆したものです。

目次

アロマねこ気功のある生活

第一章 リードメッセージの使い方
 【使い方その1】快適な睡眠のために
 【使い方その2】おひるねにも使えます
 コラム アロマねこ気功mp3について

第二章 毎朝のウォームアップに
 朝一番にやる最重要功法パジャアース
 基本ワークを学ぶ
   第1のワーク:チャイルドタイム
   第2のワーク: ショルダリング
   第3のワーク:12321
   第4のワーク:ニーモ
   第5のワーク:ボトミング
   第6のワーク:フィッシュスイム
   第7のワーク:ねこだれ
   第8のワーク:SOシフト
 ではパジャアースをやってみましょう
 【使い方その3】あらゆるウォームアップに
   朝、ふとんの中で
   ふとんから出て
   乗り物の中で
   仕事の前に
   休憩時間に
   練習の前に
   本番の前に
   一日の終わりに 
 一生パジャアースだけでもOKです
 コラム SOシフト呼吸法

第三章 繊細で壮大な世界
社会則と自然則
 ねこおもい瞑想
 ねこおもいは考えない
 トラブルではなくてドラマ
 不便を楽しむ
 上意識と下意識
 ハイファイ意識
 イメージと境体
 コラム 随意もない不随意もない
 キュー&モードとは
 条件づけを強化する
 ハイファイ意識で感謝する
 ねこまんまの時間
 コラム よい姿勢とはニャんじゃろう?

第四章 さらに進んだ使い方
パジャコスモス
 基本ワークを学ぶ
   第9のワーク:三脚四腕
   第10のワーク:足節
   第11のワーク:メルトバウ
   第12のワーク:てれ〜
   第13のワーク:ニーノ
   第14のワーク:ボトミング
   第15のワーク:ジェリーフィッシュ・フロート前半
   第16のワーク:仙節
   第17のワーク:閉吸開呼
   第18のワーク:ジェリーフィッシュ・フロート後半
   第19のワーク:キャットラン
   第20のワーク:キメラダンス
 ではパジャコスモスをやってみましょう
 宇宙スケールのキメラダンス
   第21のワーク:ドラゴンツイスト
   第22のワーク:カンガルーパイル

 本格的な気功トレーニングへ
  ステップ1:意識と身体のシフト
   第一段階:意主体従
   第二段階:体主意従
  ステップ2:意識と気のシフト
   第三段階:意主気従
   第四段階:気主意従
   第五段階:気主気従
 コラム まちがうために生まれてきた
 気持ちよさが長さになる
 くふうするトレーニング
 快は一里塚

まとめ
著者プロフィール


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2010 第16回【信念の限界を知る】

2010年7月12日発行 Vol.16


吾輩は猫である。名前は、もうある。ヒト呼んで寿限無老師。人間の意識は多層にわたる構造をしておる。そのうち自覚できる部分はほんのわずかにすぎん。今回は自己の意識の深層を探る旅に出ようかニャ。



寿:以前に上意識(じょういしき)と下意識(かいしき)について説明したのを覚えておるかニャ?

水:いま現在自分が自覚している情報のことを上意識というんでしたね。一方、感覚情報としては入力されているが自覚できていない情報は下意識にある。

寿:うむ。自覚できていない「思考」や「欲求」なども下意識にあるんじゃニャ。

水:意識の世界はほとんどが下意識という巨大な暗闇の中にあり、そのごく一部が小さな灯りで照らされている。その明るい部分を上意識というんでしたね。

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寿:では尋ねよう。きみは「信念」は大切だと思うかニャ?

水:はい。私は自分の信念を大切にしています。

寿:きみの信念には限界があると思うかニャ?

水:は? 限界ですか?

寿:信念はどこまで信頼できるかじゃ。

水:う〜ん...???

寿:人間がこの世に生きていく上で、たしかに信念は大切なものじゃ。しかし同時に、信念の限界を知ることはもっと重要ニャんじゃよ。

水:信念の限界ってなんですか?

寿:グルジェフの言葉を知っておるかニャ?「もし、戦争をやめさせたいと思う人々が十分な数だけ集まれば、彼らはまず、彼らに反対する人々に戦争をしかけることから始めるだろう」。

水:はあ...

寿:さらに続きがあるぞ。「また彼らはまちがいなく、別の方法で戦争をやめさせたいと思っている人たちにも戦争をしかけるだろう」とニャ。

水:つまり「戦争をやめさせたい」という信念が逆に戦争を引き起こしてしまうということですか。どうしてそうなるんでしょう? 

寿:人間が価値判断をするとき、自分が「どのような基準によって判断しているか」を自覚することはまれじゃ。

水:え、私は自覚しているつもりですが...

寿:仮にそこまでは自覚しても「なぜその基準を使うのか」はほとんど自覚できニャい。

水:そうでしょうか。私はそれもはっきり自覚しているつもりですが...。

寿:自覚しているということは、その価値判断や価値判断選択基準が、きみの上意識にあるということじゃろ?

水:たしかに。

寿:しかし意識の世界はほとんどが巨大な下意識にあると、きみは先ほど言ったところじゃ。

水:つまり私には自覚できていない価値判断や選択基準が、意識の深層にたくさんあることになりますね。

寿:その通りじゃ。たとえばなにかが「欲しい」とき、その欲求を支えているのは「自分にはそれが不足している」という信念じゃろう?

水:あ、なるほど!「欲しい」のほうは自覚できていても、「不足している」という思いのほうは自覚していないかも。

寿:さらに意識の深層を探っていけば「それがないと困る」という信念もそこにはある。

水:そうか。自分で意識的に考えていることの裏には、それを支える無意識の信念があるということですね。

寿:人間が「これはリアリティー(現実)だ」と認識していることも、じつはその人が「リアリティーだと思っている」だけニャんじゃ。それはその人の信念体系が描き出したひとつの世界にほかならニャい。

水:え? 私たちはみんな同じリアリティーを共有しているんじゃないんですか?

寿:わかりやすい例でいえば、コウモリやイルカは聴覚情報で空間を把握する。比喩的に表現するなら音が「見える」んじゃ。チョウやミツバチは人間に見えない波長を見ておる。ヘビは温度が「見える」し、犬はニオイが「見える」と言ってよい。

水:つまり生物種による感覚器官の違いが、異なる世界を描き出すわけですよね。でも人間はみんな一緒じゃないですか。

寿:共感覚を持つ人は、たとえば文字とか音に色を感じる。絶対音感のある人は、あらゆる音に音程を感じる。鍛え抜かれた武術家は、自分と相手の重力関係を瞬時に感じとるニャ。

水:そういわれてみると、すぐれた料理人の味覚、調香師の嗅覚、画家やデザイナーの色彩や造形の感覚、珠算高段者の数字処理能力など、生まれつきの才能や後天的な努力によって、知覚には大きな差がつきますよね。

寿:人間もまた同じ空間を共有しながら、それぞれまったく異なる認識世界に住んでいるというわけじゃ。

水:だとすると、自分が何に意識を向けるか、それをどれだけの深さで感知できるか、そしてそれにどう反応するかによって、体験するリアリティー(現実)はまったく変わるというわけですね。

寿:そしてきみが自覚できる「信念」は、きみの上意識にあるごく少ない情報をもとに作られておる。それが「信念の限界」とニャる。

水:信念からスタートして考えてはいけないということでしょうか。

寿:「いけない」ということはニャいが、先のグルジェフの言葉にあるような事態は、人間が自分の信念を過信することから起きるといってよいじゃろうニャ。

水:戦争をやめさせるために戦争を始める...。

寿:ソクラテスが「無知の知」と呼んだのはこのことじゃろうニャ。

水:自分はなにも知らないと知ることこそが、真の知を得るみなもとということですね。

寿:自分のことを知らぬ者ほど「なんでも知っている」と思うものじゃ。逆に、自分のことを知れば知るほど、自分の無知に気づく。

水:うわあ、耳の痛い話です。

寿:「信念は大切」というとき、その信念の内容に関心が向きがちじゃ。しかし本当に注目すべきニャのは「大切」のほうじゃ。

水:なるほど、自分がなぜその信念を「大切」にしているか。それは無意識の信念に支えられているということですね。

寿:しかもそのさらに下層には、それを支える深層信念があり、その下層にも...と、無限に続く壮大な信念の連鎖があるのじゃ。

水:ひええ〜! そこまでは気づいていませんでした。失礼しました〜!

寿:信念は実生活にとっては必要なものじゃ。しかし信念は人間に限界を作る。したがって、自分の信念から自由になることもまた、アロマねこ気功を練功するうえでの重要なテーマとなるのじゃニャ。

水:わかりました。パジャアース(※)に励みます!

※パジャアースについては既刊「パジャマで出かける呼吸旅行」参照。

(つづく)

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2010 第17回【優劣はつけられない?】

2010年10月31日発行 Vol.17


吾輩は猫である。名前は、もうある。ヒト呼んで寿限無老師。人間はいろんなものに「優劣」をつけたがる。しかし自分の心の構造についての理解が進むほど、優劣はそんな簡単にはつけられないことに気づき始めるのじゃ。



寿:ジャズバンドのコンテストをプロデュースしておるんじゃろ?

水:はい。中高生、大学生のジャズオーケストラを対象としたフェスティバル(※)を開催しています。
※水行末くんの職業は、偶然にも筆者と同じ音楽イベントの企画制作という設定です。

寿:コンテストというからにはバンドに優劣をつけるわけじニャ?

水:そうなんですよ、でもこれが難しいんです。

寿:というと?

水:各バンドの演奏を評価するための審査票を設計していて気づいたんですが、評価軸の取り方次第で、順位が大きく変わるだろうなと。

寿:どのような評価軸を用意したのじゃ?

水:サウンド10点、アンサンブル10点、リズム10点、グルーヴ感10点、ソロ10点の50点満点が課題曲の評価項目と配点です。

寿:課題曲以外に自由曲もあるのかニャ?

水:はい。それぞれのバンドの持ち時間は15分あり、課題曲は約3分、残りの時間を自由曲として使います。

寿:で、課題曲と自由曲の点数配分は? 

水:課題曲は50点満点でつけた点数に2をかけて倍にします。自由曲は何曲演奏してもいいんですけれども、各曲を50点満点で評価し、曲数で割ります。だから自由曲は50点満点評価になるわけです。

寿:つまり課題曲100点+自由曲50点の150点満点で採点されるということじゃニャ?

水:そうです。基本的な技術点を重視するという考えから課題曲に重みを置きました。

寿:なかなかよく考えたものじゃニャ。

水:ところがですね、これってそのバンドの「ある一面」しか評価できませんよね? サウンド、アンサンブル、リズム、グルーヴ感、ソロの5項目を均等に点数化していいのか、課題曲をこんなに重視していいのか、などいろんな疑問が出てくるんですよ。

寿:結局のところ、「評価」とはそういうものニャんじゃよ。

水:は?

寿:ある恣意的な基準によってしか、ものごとは評価できニャいんじゃ。

水:シイテキ?

寿:恣意的とは好き勝手なということじゃ。コンテストは、審査票設計者が恣意的に選んだ基準で採点される。そこでなされる評価は、その審査基準の範囲内の序列でしかニャい。

水:ほかの審査票で評価すれば、まったく違う序列が生まれ得るということですね。

寿:それはものごとを序列化するときに避けて通れない普遍現象じゃよ。

水:つまりものごとに優劣はつけられない?

寿:つけられないのではニャいぞよ。つけた優劣は、どんなときでも相対的なものであるということじゃ。

水:でも、「いいものはいい、よくないものはよくない」というじゃありませんか。

寿:それはその人が恣意的に選んだ価値基準の中でしか通用しない発言じゃよ。

水:あきらかに優劣がつけられる演奏というのもあり得るんじゃないですか?

寿:その優劣が「あきらか」なのは、その人の価値基準の範囲内でだけじゃよ。もし「あきらかに優劣がある」と感じるなら、自分がどの基準を採用しているかを自覚していない可能性が高いニャ。

水:そうですかねえ...。

寿:どの基準を採用しているか、その基準をなぜ採用しているか。そのあたりを突き詰めて考えると、「あきらかに優劣がある」の「あきらかさ」は疑わしくなる。

水:つまり別の人にとっては「あきらか」ではないということですか。

寿:その通りじゃ。ものごとに優劣をつけることができる場合、同時にその評価が通用する限界範囲があることを知っておくとよい。

水:それって平等主義とは違うんですか?

寿:ニャはは。アロマねこ気功を学ぶ者らしからぬ頭のカタい発想じゃニャ。平等主義を良いと考えたり良くないと考えることもまた、ある範囲内の価値判断じゃよ。

水:あ、そうか。それも無意識のうちに優劣をつけているわけですね。

寿:そして自分が恣意的に選んだ価値基準がどんなものか気づいていニャい。

水:老師のお話を聞いていて「近代科学と現代科学の違い」について勉強したのを思い出しました。

寿:というと?

水:古典物理学に基礎を置く近代科学では、決定論的・機械論的世界像を構築し、人間の認識には「到達すべき絶対的な状態」があると想定するそうです。

寿:シロはシロ、クロはクロ、善は善、悪は悪という単純な世界観じゃニャ。

水:それに対して現代科学では、世界像の決定要因が観察者の側にもあると考えます。そして人間の認識は、新しい解決が新しい疑問を生み出す永遠の動的過程と考えるのだとか。
※参考文献:現代哲学事典 (講談社現代新書) 山崎 正一、市川 浩

寿:ふむ。世界はアナログに連続するグレーのグラデーションであり、見る人の立ち位置次第で色合いの異なるものとなる。頭のカタい人には受け入れがたい世界観じゃろうニャ。

水:そう考えるとアロマねこ気功の世界観って、ものすごく現代科学的じゃないですか?

寿:世界は昔も今も変わらずに存在しておる。それに対してものの見方は無数にある。狭い視野から見たもの、広い視点で俯瞰したもの、固定的・短期的なもの、動的・長期的なものなど、さまざまじゃ。

水:はあ。

寿:そのどれかに固執すれば、そこで成長は止まる。そこから腐り始めるのじゃ。だから対立するように見えるさまざまな意見、およびそれを支える世界観を理解できるように意識トレーニングをするのじゃ。

水:するとアロマねこ気功は古典的でも現代的でもないということですね。

寿:いかにも。視点を完全に固定してしまうと、そこでおしまいじゃ。しかし視点をいつも動かしてばかりいると、なにも決められず、なにも行動できなくなる。そこで現実世界を生きるためには、「フォーカスをきかせる」必要が出てくるわけじゃ。これについては次回くわしく話すことにしようニャ。

水:うわあ、なんだかおもしろそうです。

(つづく)







2010 第18回【フォーカスをきかせる】

2010年12月31日発行 Vol.18


吾輩は猫である。名前は、もうある。ヒト呼んで寿限無老師。立場を変えればいろんな善悪があるし、次元を変えれば見える景色は変わる。しかし人間は自分の具体的な人生を生きるために、ある特定の視点を身につける必要がある。今回はそういう話じゃよ。



水:老師、今回はフォーカスの話でしたね。視点を完全に固定してしまうと、そこでおしまいになる。しかし視点をいつも動かしてばかりいると、なにも決められず、なにも行動できなくなる。そこで現実世界を生きるためには「フォーカスをきかせる」必要が出てくるというところまでが前回の対話でした。

寿:大前提として二つの世界観を共有しておこうかニャ。「相界」と「絶界」じゃ。

水:ソウカイとゼッカイですか...。

寿:きみたちが暮らす日常の世界には、善悪があり、正邪があり、美醜があり、大小があり、勝ち負けがあり、成功と失敗がある。このような相対的な世界のことを「相界」と呼ぶことにしよう。

水:では、「絶界」は絶対世界のことですか?

寿:ニャはは、サエとるのう。その通りじゃよ。ありとあらゆる可能性だけが存在し、実際には何も起きない世界。すべてのものが混ざり合い、過去も現在も未来もなにもかもがひとつになっておる世界じゃ。

水:そんな世界がどこにあるんですか? いくら相界の中を探しても、絶界は見つかりませんよね?

寿:この種の話をするときは、「ある」とか「存在する」という言葉の意味があいまいになってくるので要注意じゃ。たとえば「愛」はどこにあるかニャ?

水:え? 私たちの心にあるんじゃないですか?

寿:きみの心はどこにある?

水:胸のところに...、いや、脳の中かな??

寿:ニャはは。「愛」なるものを探してみても、胸にも脳にも見つかることはニャい。

水:たしかにそうですね。でも、それは愛だけではなくて、憎しみも、怒りも、感謝も、あらゆる感情がそうですよね。

寿:その通りじゃ。感情は実在しニャい。思考も実在しニャい。時間も実在しニャい。意識というもの自体、実在を問うことが難しいものニャんじゃ。

水:それらは「ある」とか「存在する」といえないわけですね。

寿:絶界も同じじゃ。「ある」といえば我々の意識内にある。いま、ここにあると言ってもよい。けれども実在するかといえば、それはどこにもニャい。
 


水:わかったような、わからないような...。

寿:ひとまずは思考実験ということにしよう。絶界なる「完璧な世界」がある。完璧であるがゆえに、そこでは何も起こらニャい。

水:どうしてですか?

寿:なにかが起きれば、それは完璧ではニャいからじゃよ。そこにリンゴが存在すれば、リンゴでないものとの「相対」に陥るじゃろ?

水:はあ。完璧とは、あらゆる可能性を含んでいるけれども、何もないということですね。それは「空(くう)」とか「無」といわれるものとは違うんですか。

寿:おおむね同じと考えてよいじゃろうニャ。究極の純粋世界、何もないけれども何でもある世界、それが絶界の定義じゃ。

水:私たちは相界に暮らしているので、ある特定のポジションにしか存在できないし、そこからの視点しか得られないわけですよね?

寿:いかにも。ひとつの硬直化した価値体系でしか世界を認識できないか、あるいは多様な角度と深度から見られるかという能力の差や、生き方の違いはあるが、いずれの場合も相対的な視点であることに変わりはニャい。

水:それなら絶界の話なんかしても意味ないじゃありませんか。

寿:それは二つの意味で間違っておるぞよ。ひとつは、人間も訓練次第で絶界の視点を体験できるという意味でじゃ。

水:え? そんなことができるんですか!

寿:メディテーション(瞑想)とはそのための技法じゃよ。そして「悟り」とは、絶界を垣間見た体験のことと考えればよいじゃろう。

水:ひえええ!! そうだったんですか!

寿:それについては機会をあらためて詳しく話すことになるじゃろう。さて第二の間違いは、絶界の存在を想定するなら、相界での生き方がより意味あるものになるということじゃ。

水:よくわかりませんが...?

寿:つまるところ、絶界から見れば、相界で起きることはすべてが不完全ニャんじゃ。きみがどんなに正しいと思っていることでも、別の視点から見れば誤りになり得る。

水:私の「夢」は誰かの「悪夢」だと?

寿:うむ。きみの「信念」は誰かの「迷惑」になり得るしニャ。

水:う〜む...。それは仕方のないことじゃないんですか?

寿:そうじゃよ。極論すれば、人は「まちがうために」生まれてきたと言えるのじゃから。

水:「まちがう」のが嫌なら、最初から絶界にいればいい。相界へ来たのは、いろんな「まちがい」を経験するためということですか?

寿:ま、そうじゃニャ。だからこそ、フォーカスをきかせることが重要ニャんじゃよ。

水:はあ、何が正しいかと問うのではなく、何を選択するかを問えということですね。

寿:うむ。

水:でも、そうするとこの世は「なんでもあり」の無法地帯になってしまいませんか?

寿:きみは現在の地球が秩序だった理想郷だと考えておるのかニャ? 今だって、なんでもありの無法地帯ではニャいか?

水:あ、地球規模で考えればたしかに...。

寿:地球人口の7割が文字が読めず、5割は栄養失調に苦しみ、災害、飢餓、戦争、テロリズム、犯罪などが追い打ちをかける。これが地球上の多くの場所で起きている現実じゃろ?

水:...。

寿:こうあるべきだと「正しさ」をふりかざせば事態はますます混乱する。正しいことを求めるのはやめて、自分は何を選択するかについて考えニャさい。

水:自分の責任においてどの「まちがい」を選ぶか。そのくり返しが人生ということですね。

寿:現実を現実として受け入れ、そこできみはなにを選択するか。世界をそのまま放置するのもひとつの選択じゃ。それに対してノーと声をあげるのもひとつじゃ。

水:はあ。

寿:しかし自分の内面を見つめて人間性を高めたり、自分の仕事を通じて社会に貢献する、さらには身近な問題の解決に専念する。それらもみな、ひとつの選択ニャんじゃよ。そして正解はニャい。いずれもみな、絶界から見れば相対的なものであり、比喩的に表現すればすべて「まちがい」ニャんじゃから。

水:で、結局、どうすればいいんですか?

寿:フォーカスじゃよ。自分がどういう価値観や世界観を選択するかを決め、その立場から相界を経験しつくすのじゃ。それが「正しい」ことだからではなく、それを「選択」しただけであるということを忘れずにニャ。

水:もう少し具体的なお話を聞かせていただけませんか?

寿:よかろう。次回は実例をあげながらシミュレーションしてみようかニャ。

水:よろしくお願いします!

(つづく)

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2011 第19回【闇を照らす光】

2011年4月30日発行 Vol.19


吾輩は猫である。名前は、もうある。ヒト呼んで寿限無老師。闇をののしるのではなく、闇を照らす光となりなさい。闇の原因は闇のほうにはニャい。きみが光りさえすれば闇は消えるのじゃよ。


寿:フォーカスについて実例をあげながら説明する約束じゃったニャ。

水:ぜひ。

寿:「闇をののしるのではなく、闇を照らす光でありなさい」という言葉がある。これを聞いてどう思うかニャ?

水:まあ、それは立派だけど、場面によってはきれいごとかな。

寿:というと?

水:「闇」の内容によるんじゃないですかね。どうしても非難したり罰したりしなくてはならない「闇」も現実には存在するし。

寿:つまり「闇によりけり」じゃニャ?

水:そうですね。

寿:ニャはは。逆じゃよ。闇によるのではなく、光によりけりニャんじゃ。

水:は?

寿:きみは、きみの思う「悪」は徹底的に非難したり罰したりすることを「正義」であるという視点でこの世を生きておるわけじゃ。

水:ちょ、ちょっと待ってください。私が思う正義ではなく、世間の基準に従っているだけですけどね。

寿:その「世間」もきみの思う世間にすぎん。きみのフォーカスに映る世界じゃ。

水:そうかなあ。自分ではけっこう常識的な人間だと思っているんですけど。

寿:その「常識」もまた、きみのフォーカスを前提としておる。

水:(ムッとして)どういうことですか?

寿:たとえばアメリカにアーミッシュという人々が暮らすのを知っておるかニャ?

水:電気も電話も車も使用せず、近代以前の生活様式で自給自足している人たちですよね。

寿:アーミッシュの街に入り銃を乱射して何人も殺害した犯人に対して、彼らは無条件に「許す」ことで対応したと伝えられておる。

水:ど、どうしてですかね?

寿:自分たちが犯罪者を許さないと、神が自分たちを許してくれないから。これが彼らの行動原理らしい。

水:つまり、そういうフォーカスで彼らは生きているということですか...。

寿:銃乱射犯はいわば「闇」じゃ。アーミッシュは闇をののしるのことよりも、それに光をあてることで、自分たちを癒したのじゃろう。

水:復讐することは自分を傷つける行為だ、そういうフォーカスですね。

寿:ただしそれもひとつのフォーカスにすぎん。闇をののしるのが「まちがい」で、光を照らすのが「まちがいではない」ということにはならん。ただどちらを選択するかという違いニャんじゃ。

水:絶界(※)から見ればどれも「まちがい」だと?
  
※絶界については第18回を参照。

寿:つまり「正しさ」ばかりをふりかざしてみても、のれんに腕押しということじゃニャ。

水:闇をののしると決めたらののしり、光を照らすと決めたら照らせばいいということ?

寿:「いい」か「わるい」かで言えば、その通りじゃニャ。しかし、もしきみが「傷つきたくない」というフォーカスで生きているなら、きみ自身がなにも傷つけない道を選ぶのが合理的じゃ。

水:それは「正しい」からではなく「目的に沿っている」からですね。

寿:ちょっと話題を変えてみようかニャ。自分では何もしないで文句ばかり言っている人生より、何かを積極的に「選択」して文句を言われる人生のほうが充実している。こういう言葉を聞いたらきみは何を思う?

水:ああ、いますね、そういう人。バンドの運営でも、自分では何もしないくせにいつもブツブツ文句ばっかり言ってるような。

寿:ほう。

水:ネットの書き込みなんかでも、クラブの幹部を非難してばかりで、まったく代替案を出さない。具体的にどうしてほしいのかというプランがなくて、ただ不満を並べるだけの部員ですよ。まったくアタマにきちゃいます。

寿:ニャはは。ということは、残念ニャがら、きみもそっち側の人間ということじゃニャ。

水:え??? どうしてですか?

寿:「文句ばっかり言う人間はケシカラン」と、きみ自身が文句ばかり言っておるではニャいか。つまりきみの視点は「文句を言うべき対象」にフォーカスされているのじゃよ。

水:うわあ。これは気づかなかった! そうか、私もただの「文句言い」だったんですね。では、私と違うフォーカスの人はどんな反応をするんでしょうか?

寿:「文句ばかり言っている人」のほうにはピントが合っていないので、そんなことは気にならニャい。むしろ「なにかを積極的に選択している人生」のほうにばかり関心が向かい、知らず知らずワクワクするはずじゃ。

水:おっと、私はさきほど老師の言葉を聞いて、文句を言っている人のことばかり考えていました。う〜ん、これがフォーカスの違いなんですね。

寿:「闇をののしるのではなく、闇を照らす光でありなさい」という言葉に対してきみは「闇によりけり」と答えた。それはつまり、きみがいつでも「闇」のほうにフォーカスしているということじゃ。

水:おっしゃる通りです。

寿:しかしそうではなく、「光によりけり」といフォーカスも可能ニャんじゃよ。

水:自分が光れば闇は消えるということですね。

寿:その人にとっての「現実」は、その人が何に関心を寄せているか、どこにフォーカスしているかによってまったく異なるぞよ。

水:それはいわゆる「ポジティブ思考」と関係ありますか?

寿:まあ関係なくはニャい。ただ、ポジティブ思考は正しいとか、ポジティブに生きるべきとか思わんほうがいいニャ。

水:何が「正しい」かではなく、何にフォーカスするかの違いだということですね。

寿:ネガティブな人生を経験したい場面では、ネガティブ思考が威力を発揮する。かならずしもポジティブな人生が正解ではニャいんじゃよ。ネガティブもポジティブも、絶界から見ればしょせん「まちがい」のバリエーションにすぎん。

水:まちがいのバリエーション...。

寿:このことは頭でばかり考えておっても理解できんじゃろうニャ。

水:メディテーションをやれということですね。

寿:うむ。視点をまったく変えてみる必要があるからニャ。

水:では、瞑想修行に励むことにします。

寿:ニャはは。

(つづく)

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2011 第20回【断定と批判のラプソディ】

2011年7月31日発行 Vol.20


吾輩は猫である。名前は、もうある。ヒト呼んで寿限無老師。他者を攻撃しても何も生まない。一切の批判をやめ、自分の怒りをコントロールする練習をする。そのためにねこ気功は役立つぞよ。まずは断定と批判の構造から考えよう。


寿:日本では大震災、津波、原発事故、風評被害などが相次ぎ、社会は大きな試練を迎えておるニャ。

水:暴動が起きなかったこと、ガマン強く助け合うことなどが称賛される一方、政府を攻撃しない、つまり行動を起こさない従順な国民性に対して非難するむきもあります。

寿:行動を起こすとは?

水:人権保護に関する不正や怠慢に対しては、断乎として立ち向かい、根気づよく批判し、糾弾する活動を続けなければならないとする考えです。

寿:ダライ・ラマの言葉を知っておるかニャ? 「宗教の真の目的は、他人を批判することではなく、自分自身を抑制することにある。自分は己の怒りにどう対処したか? 怒り、執着、慢心、嫉妬にどう対処したか?」 

水:そのような非暴力主義についても批判的な人は少なくないようです。

寿:というと?

水:精神の平安ばかり重視する人は、対立を避けるあまり義務を果たしていない。自分の幸福のために他人や子孫の不幸を無視しているのだと。

寿:ふむ。

水:でも、なにか釈然としないんですよ。批判や攻撃や対立は、さらなる批判・攻撃・対立を生む。人類の歴史はそれのくり返しではないでしょうか?

寿:ゲーテの言葉も紹介しておこうかニャ。「人をほめればその人と対等になれる。かしこい人でも無智なる者と争うならば無智になってしまう」。怒りは人を愚かにするのじゃ。

水:では、やはり「行動」するなと?

寿:行動の内容次第じゃニャ。「行動を起こせ」という人が、まず最初に起こす行動は、多くの場合、何かをあるいは誰かを批判することじゃろう。それは低次元な行動じゃニャ。

水:どうしてですか?

寿:誰かを批判している間は、自分のことをタナに上げておけるからじゃ。批判ばかりしている人は、自分が責められないように、他者を攻撃するものニャんじゃよ。

水:批判するという行動では、自身の正当性を証明できないわけですね。

寿:「これはAである」と断定する。それを証明するときに「非A」を批判することで自説の正しさを示そうとする。これを吾輩は「ダンヒハ狂詩曲」と呼んでおるぞよ。

水:ダンヒハ?

寿:断定(ダン)と批判(ヒハ)のラプソディということじゃニャ。

水:あはは、こいつぁいいや。

寿:そのような狂詩曲を奏でる御仁は、断定的な口調と他者批判に終始し、それで自分がなにか「行動」をした気になる。しかし実際は、攻撃対象がないと自分の存在が確認できないだけの場合も多いんじゃよ。

水:はあ...。

寿:それは視野の狭さ、人格的未成熟、劣等感、自信のなさなどが背景にあるのじゃが、それらの欠点を他者に対して、あるいは自己に対して覆い隠すために、断定と批判をくり返すのじゃニャ。

水:するとやっぱり「行動」はしないほうがいい?

寿:ダライ・ラマのように「己の怒り、執着、慢心、嫉妬にどう対処したか」を内省し、そのような精神的鍛錬を積んだ者による「行動」は、安易な断定とはならんし、攻撃的な批判にはならんのじゃよ。

水:しかし断定は果断な行動を生み、断定しないことは優柔不断を生むような気がしますけれども...。

寿:その比較は高次と低次を混同したものじゃ。表に整理してみようかニャ。

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水:(表を見ながら)...ええと、低次元の断定は「頑迷」となり、低次元の非断定は「優柔不断」となる。ふむふむ。ところが高次元の断定は「果断」であり、高次元の非断定は「融通無碍(ゆうずうむげ)」、つまり何ものにもとらわれない自由な境地になるということか。なるほど...。

寿:言うまでもなく、ダンヒハはC.頑迷であり、ダライ・ラマやゲーテはB.融通無碍について語っておるのじゃ。

水:では、A.果断とB.融通無碍とでは、どちらをめざせばいいんでしょうか?

寿:まず、正しさには「範囲」があると知ることじゃよ。

水:正しさの範囲?

寿:どこかの権威を借りたり、自分の小さな信念にしがみついたりすれば、「これが正しい」と言うことはたやすい。けれどもその正しさは、その権威なり信念の範囲内でしか通用しないものニャんじゃ。

水:たしかにそうですね。

寿:それゆえ「C.頑迷」な態度を生みやすく、状況の変化へ対応しにくいこととニャる。

水:でもなにか判断の基準がないことには「A.果断」という態度はとれないですよね?

寿:すぐれた決断とは、状況を正確に察知し、時間的空間的な範囲を考慮したうえで「これが正しい」とくだされたもののことを言う。

水:ははあ、あらかじめ範囲を想定して、「この範囲内で正しい」とするわけですね。

寿:したがって、状況が変わればその決断はもとより、それを導き出した判断基準も捨て去ることができ、新しい決断ができるのじゃ。

水:あ、それがB.融通無碍なんだ!

寿:断定の多い人の発言をよく聞いてごらん。ごく狭い範囲のことについて語っているのがわかるじゃろう。

水:範囲を狭く区切れば「これが正解」と言いやすいわけですからね。

寿:そしてその「範囲」が正当なものかどうかを見極めればよいのじゃ。

水:その正当性を知る目安はありますか?

寿:決断はするけれども批判はしニャい。毅然としているが否定的な発言が少ない。そういう人はより融通無碍度が高いと考えてよいじゃろう。

水:なるほど...。で、老師、今日の話はアロマねこ気功とどうつながるんですか?

寿:よろしい。それについては次回、じっくりと語ろうじゃニャいか。

(つづく)

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2011 第21回【想像と現実の橋渡し】

2011年10月31日発行 Vol.21


吾輩は猫である。名前は、もうある。ヒト呼んで寿限無老師。自説を主張するために誰かを否定しなければならないのだとしたら、その論には欠陥があることを疑ったほうがよいぞよ。対立を越える知恵について、ねこ気功的に考えようニャ。


寿:前回は「正しさの範囲」について話したよニャ。

水:安易に自分の意見を断定したり、それとは異なる意見を持つ他者を批判をするのが、断定(ダン)と批判(ヒハ)に満ちた「ダンヒハ狂詩曲」でした。

寿:そういう人を見かけたら、彼らの想像力が未成熟であることを疑ったほうがよいぞよ。

水:想像力、ですか...。

寿:バックミンスター・フラーを知っておるか?

水:「宇宙船地球号操縦マニュアル」を書いた人ですよね。

寿:フラーは「ピアノの蓋」の比喩を用いたぞ。

水:ピアノの蓋?

寿:船が難破して海に投げ出されたとしよう。

水:タイタニック号みたいな感じですね。

寿:そこにピアノの蓋が流れてきた。

水:それにつかまれば、ひとまず救命具になりますよね。

寿:しかしピアノの蓋が救命具として最良のデザインじゃろうかニャ?

水:そんなことはないでしょう。もっと理想的な救命具のデザインはあるはずですよ。

寿:ところが人間は、たまたま思いついたアイデアや方法を、唯一で最善の解決法と思い込みがちニャんじゃ。つねに「ピアノの蓋」にしがみついておる。

水:ああ、それがフラーの比喩なんですね。小さな信念だけが正解だとしてそれに固執し、よりよい解を探そうとしないことの。

寿:自分が探そうとしないだけならまだしも、それを探す者の妨害までする場合があるぞよ。

水:たしかに。
 


寿:ピアノの蓋は「今ここにある現実」じゃ。それに対して、よりよい解は「まだここにない想像」じゃ。

水:想像を軽視し、目の前の現実だけにとらわれる態度がピアノの蓋シンドロームを生むというわけですか。

寿:最善の解を見つけるために知恵を出し合えるのは想像力のある者だけじゃからニャ。

水:想像力なき者はいつまでもピアノの蓋にこだわり続ける...。

寿:そういう人にとって、現実と想像は乖離し断絶しておるのじゃ。

水:すると想像力の豊かな人には、現実と想像が「地つづき」になっている?

寿:いかにも。想像にリアリティを持てないのはただの能力的欠陥ともいえるのじゃが、彼らは自分をリアリストと自負しがちじゃ。そして「SFを現実に持ち込まないでほしい」と他者を牽制することもあるニャ。
  


水:でも小説やコミックを現実と混同するのは困るんじゃないですか?

寿:混同は問題があるじゃろう。しかし、現実と想像の間に正しい道筋をつける能力は絶対に必要じゃよ。

水:正しい道筋...。

寿:想像の世界が海、現実の世界が陸とすれば、両者の間には、きみたちが考える以上に広大な「湿地帯」が広がっておるのじゃ。

水:へえ、そうなんですか。

寿:それを実感するのが想像力じゃニャ。

水:でも生まれつき想像力の豊かな人とそうでない人がいるんじゃないですか?

寿:ニャはは。案ずるにはおよばんぞ。想像力も肉体と同じじゃ。計画的に鍛錬すれば強くなるし器用にもニャる。

水:具体的にはどうすればいいんですか?

寿:その実践方法がアロマねこ気功ニャんじゃよ。

水:あ、なるほど!

寿:想像力トレーニングとは、やみくもに妄想を広げることではニャい。そうではなくて、頭に思い描いたイメージに対してリアリティ、つまり現実感を与える練習ニャんじゃ。

水:アロマねこ気功の功法でいうと?

寿:背骨を前後に動かすキャットラン(ねこばしり)という動作があるよニャ?

水:はい。

寿:背骨は実態のある身体器官じゃ。その現実である背骨を手がかりとして想像の世界へアプローチするのじゃ。

水:どういうことですか?

寿:キャットランをやるとき、背骨はどのように感じることになっておるかニャ?

水:ぬるぬる〜っとしてくるのを感じます。

寿:その「ぬるぬる感」は現実か、想像か?

水:最初のうちは想像ですけど、練習をくり返すうちに、だんだん本当のぬるぬる感が出てきますね。ははあ、これが文字通り「湿地帯」なんですね。

寿:うまいことを言うニャ。その通りじゃ。アロマねこ気功に限らず、多くの気功法はイメージを操作する練習を重ねて、そのイメージに現実感を感じる能力を育てる。

水:「今ここにないもの」を「ある」状態へ変化させるということですね。

寿:現実世界にはない。しかしきみの意識の中にはある。意識の中にしか存在しないものを、現実世界へ出現させるわけじゃニャ。

水:気功は「気」という不思議なものを取り入れたり、動かしたり、他人に送ったりする、あいまいでアヤシゲな印象がありましたけど、それは私の想像力が未熟だっただけということですか。

寿:アインシュタインは「想像力は知識よりも重要だ」と言ったそうじゃ。知識は「すでにあるもの」で、想像は「まだないもの」じゃ。
  


水:それじゃまるで、アインシュタインがアロマねこ気功を薦めてるみたいですね(笑)

寿:ダンヒハのように、なにかを攻撃することでしか自己表現できないのは、想像力の乏しささに原因があると理解できたかニャ?

水:目の前のなにかを批判するほうが、まだどこにもない理想を描くことより簡単ですものね。

寿:だから、まずはまったく誰も否定しないで論陣を張ってみることじゃ。想像力をフル活用してニャ。

水:はい、それもアロマねこ気功ということですね!

(つづく)

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2011 第22回【平等であること】

2011年12月31日発行 Vol.22


吾輩は猫である。名前は、もうある。ヒト呼んで寿限無老師。平等を重視する人がいる。しかし平等はあり得ない、平等主義はよくないとする人もいる。平等について私たちはどう考えればいいのか。今回はそんなお話です。


寿:「もし世界が100人の村だったら」という文章が話題になったことがあるニャ。

水:現在のいろんな統計比率を盛り込んで、全世界を100人の村に縮小するとどうなるかという話ですよね。

寿:100人のうち6人が全世界の富の59%を所有していて、70人は文字が読めず、50人は栄養失調に苦しみ、たった1人が大学の教育を受けて、1人だけがコンピューターを所有する。

水:世界の100万人は今週を生き残ることができないであろう。銀行に預金があって財布にお金があり、家のどこかに小銭入れがあるのなら、この世界で最も裕福な上位8%のうちの一人だといいます。

寿:この文章が書かれたときの統計は少し古いので、現在も同じ比率かどうかはわからんが、状況がよくなっているとは思えんわニャ。

水:しかしこういう文章に対しては、かならず批判がありますよね。

寿:というと?

水:「下には下がある、自分は幸せだ」という自己満足を広めるためのものだとか。

寿:まあ、そういう読み方をする人もいるじゃろうし、そのように読ませたい人があるかもしれんニャ。

水:ほかにも「人は平等でなければならない」という価値観を押し付けるものだという批判をする人がいます。

寿:おきまりの平等主義に対する批判じゃニャ。

水:階級制度や差別意識、経済的格差によって生じる利益や特権を守りたい人たちは、平等という価値観に否定的ですよね。

寿:そこには階級や格差を支えている伝統や慣習、あるいはある種の道徳などを守りたいという思いがあると考えられる。平等主義を打破することが社会秩序を維持することになるという信念が潜在的にあるのじゃろう。

水:いわゆる守旧派とか伝統派の考え方ですね。

寿:そういう価値観をベースにした「善意」と、平等を求める価値観を背景にした「善意」はぶつかりあう。そのくり返しが人間の歴史と言ってもよいじゃろうニャ。

水:どちらも「善意」から出ているのがやっかいですね。

寿:お互いに自分が「正義」と信じ込んでおるからニャ。

水:平等主義は正しくないんでしょうか?

寿:ニャはは、正しいとか正しくないという発想はやめて、少し違う角度から考えてみようじゃニャいか。

水:はあ。

寿:行動経済学の実験に「究極点ゲーム」というものがあるのを知っておるかニャ?

水:いえ...。

寿:プレイヤーAとBの間で、以下のようなルールを設けてゲームは行なわれるぞよ。


1.総額100ドルの金を二人で分割する。
2.プレイヤーAが提案者、Bが決定者となる。
3.Aの提案に対しBはそれを受容も拒否もできる。
4.Bが拒否した場合、AもBもお金は受け取れない。
5.Bが受容した場合のみ、Aの提案通りお金は配分される。


水:へえ、おもしろいルールですね。両者の合意があって初めて分配されるわけですか。

寿:さてここで問題じゃ。きみがプレイヤーAだったら、いくらの金額を提示するか?

水:う~ん...。純粋にゲームとして考えるなら、最低金額の「1ドル」を提示するのが合理的ではないですか。それが私にとって最大利益をもたらしますし、Bは受容すれば1ドルを得るけれども、拒否すれば0ドルとなるので、受容するほうが利益が大きいですものね。

寿:研究者たちも最初はそのように考えたニャ。

水:ということは、違う結果が出た?

寿:世界中で何度も実験をくり返したところ、配分にバラツキはあるものの、以下のような傾向がはっきりしたのじゃ。


1.不公平な金額を提示された場合、Bはそれを拒否する。
2.AはBが受容すると思われるフェアな金額を提示する。


水:つまり、ほぼ公平な分け前に落ち着くということですか。へえ~、びっくりですね!

寿:Bの立場では、相手が多すぎる金額を手にするくらいならオファーを蹴る。「何もないより少しでもあったほうがマシ」とは考えニャいで、「公平であること」のほうを選ぶのじゃよ。

水:Aの立場でも、相手は公平さを選ぶだろうと読んだうえで金額を提示するんですか?

寿:「不公平よりゼロがいい」ということを、どこかでわかっておるんじゃろうニャ。

水:それが普遍的な人間心理だと。

寿:誰かだけが豊かになるのはおもしろくないけど、みんなが貧しいなら我慢できるということじゃニャ。

水:キーワードは「フェア」ですね。

寿:人間は、公平かどうかに強い関心を抱くのじゃろうニャ。

水:すると平等主義批判はやはりおかしいということになりますよね?

寿:なにもかも平等がよいかどうかは別として、平等主義が近代社会思想において、その他の思想や信条に対して優越し、政治や社会の根幹を成しているのは間違いニャいじゃろう。

水:人権思想や民主制とも不可分な関係にありますよね。

寿:したがって、不公平のほうがよいという考え方は、本人たちは社会秩序を守るつもりでいるのじゃが、俯瞰的・長期的に見れば社会を不安定化させるともいえるのじゃ。

水:100人の村の話からわかるのは、私たちが暮らしている世界が「富の配分」という視点では非常に不均衡であるということですね。

寿:それは富の配分という「結果」の問題ではなく、配分にいたる前の「機会」において著しい不公平があることが問題ニャんじゃよ。

水:平等主義が正しいとか間違っているではなくて、そのアンフェアな状態が世界で起きている紛争の根底にあるということですね。

寿:次回は、フェアとアンフェアという観点からアロマねこ気功を見直してみようニャ。

水:うわ、気功とも関係するんですか! これは楽しみになってきました。

(つづく)

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2012 第23回【フェアとアンフェア】

2012年4月30日発行 Vol.23


吾輩は猫である。名前は、もうある。ヒト呼んで寿限無老師。今回はフェアとアンフェアという観点からアロマねこ気功を見なおしてみようニャ。そもそもフェアとはどういう状態のことか、というところから考えるぞよ。


水:フェアとアンフェアって、公平と不公平のことですよね。

寿:その通りじゃニャ。

水:気功とは関係ないような気がしますけど...。

寿:まず、フェアおよびアンフェアという言葉の持つニュアンスから考えてみようかニャ。

水:フェアは正しくて、アンフェアはいけないこと、あるいは卑怯なことのように感じますね。

寿:世間一般ではそうじゃろうニャ。しかしここではひとまずそういう価値判断をしニャいでみよう。

水:価値判断をしない?

寿:つまり「良い悪い」の判断をすることなく、フェアやアンフェアはどういう原理で起きる現象かを考察するのじゃよ。
  
水:はあ...。フェアは「みんな平等であること」を求める姿勢ですね。

寿:いいぞ。ということは、アンフェアは「平等でないこと」を求めるわけじゃニャ。つまりフェアは共通性を、アンフェアは相違性を重視する、と仮に整理しておこう。

水:もともと世界は平等ではありませんよね。裕福な家に健康で生まれる子もいれば、貧乏かつ病弱に生まれる子もいる。家庭環境だって、教育環境だって、容姿だって、出会いだって、すべてが不平等ですよ。

寿:そういう現実に対して、「それではいけないから不平等を減らそう」という価値判断をするのがフェア志向であり、「そもそも不平等が自然の摂理なのだからそれでいいんだ」というのがアンフェア志向としておこうかニャ。

水:フェアは理想主義、アンフェアは現実主義のようにも思えますね。

寿:ところで「えこひいき」はどんな現象かニャ?

水:けしからんこと...ですよね?

寿:これこれ、価値判断をするのではなく、それがどういう現象かを考えるのじゃ。

水:あ、そうか...。ええと、自分の好みで評価に差をつけること、ですか?
  
寿:うむ。さらにニュートラルな表現をとれば、重点を置くものと置かないものを区別する態度のことじゃニャ。

水:でも、やっぱりネガティブな印象がぬぐえませんね、えこひいきって。

寿:ニャはは、もっともじゃ。つまり、相違化と共通化には、それぞれネガティブな面とポジティブな面があるというわけじゃ。

水:整理していただけますか。

寿:よかろう。表を見てごらん。

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水:なるほど、相違化志向のネガティブ評価、つまり表のDが「えこひいき」にあたるわけですね。

寿:Bの「相違化のポジティブ」にはどのような事例があるか考えてごらん。

水:うーん...。「適材適所」とかですかね。

寿:うむ。ものごとに「メリハリをつける」「能力別評価」などはこれにあたるニャ。

水:たとえばビジネスなんか、これを競い合ってるんですよね?

寿:いかにも。自社商品をいかにして競合商品から文字通り「差別化する」かが重要なテーマとなるニャ。

水:なるほど、差別化かあ。

寿:Aはわかりやすいニャ。万人が平等な社会というのは、これをめざしておる。

水:Cの「ネガティブな共通化」ってなんですか?

寿:あまりきれいな言葉ではないが、「ミソクソ一緒」というじゃろ?

水:ああ、大事なものもそうでないものもごっちゃにしてしまうこと。

寿:すべてのものに「平等」を求めると弊害が出るということじゃニャ。

水:これら四つのカテゴリーを整理しておかないと、それこそミソクソ一緒の議論になりそうですね。

寿:実際、ポジティブとネガティブの区別をしないで平等ばかりを求めたり、あるいは優劣をつけることばかり求めたり、そういうことはよく見られるニャ。

水:でも、やっぱり平等って大切なことのような気がするんですけれど。

寿:たとえば「機会の平等」と「結果の平等」とは異なるじゃろう?

水:なるほど。はじめから不公平なレースはよくないけれども、それが公平なルールのもとで行なわれたものなら、レースの結果は尊重しようということですね。

寿:しかし共通化が行き過ぎると、結果の平等を求めるようにニャる。逆に相違化が過ぎると不公平を助長することにもニャる。

水:さきほど「フェアは共通性を、アンフェアは相違性を求める」とおっしゃいましたが、この表で見ると少し違うような気がしますね。

寿:よいところに注目したニャ。厳密に言うなら、フェアはAをアンフェアはDを求めることにニャる。意外かもしれんが、相違化を求めながらBはフェア、共通化を求めながらCはアンフェアとなるのじゃ。

水:つまりフェアとアンフェアを決定するのは共通化か相違化かではなくて、ポジティブかネガティブか、ということなんだ!

寿:そこで、アロマねこ気功じゃ。

水:おっと、そうか、忘れてた。この話題が気功とどう関係するんですか?

寿:この世は相対的な世界であり、これを相界と呼ぶ。「ああ、そうかい」、「オヤジギャグ言ってんじゃないよ」てか? ニャはは。

水:おお、老師のひとりボケツッコミだ!

寿:これに対してあの世は絶対の世界、いわゆる絶界であり、あらゆる可能性がすべて存在するがなにも起こらない空(くう)の世界じゃ。

水:はあ。

寿:相界では大小、優劣、美醜、善悪など、比較は避けられニャい。しかし絶界にはもともとそういう区別は存在しニャい。つまり我々は絶界に対して心身を開くことで、フェアであることができるのじゃ。

水:そのための具体的なメソッドがアロマねこ気功だと?

寿:うむ、そういうことじゃニャ。

(つづく)

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2012 第24回【グーリンダイ登場】

アロマセラピストのグーリンダイ嬢が寿限無老師に入門。老師は彼女にねこ気功のイロハから教えることとなり、兄弟子の水行末は...。


<水行末は旅に出る>
グ:老師、グーリンダイと申します。よろしくお願い
  します。仕事はアロマセラピストですの。

寿:ニャ〜ん、入門希望じゃニャ?

グ:はい。アロマセラピーやマッサージの仕事にねこ
  気功を役立てたいんです。

寿:ねこ気功の道は長く、遠く、時に険しく、時に愉
  快なものじゃ。ともに歩もうぞ。

水:グーリンダイさん、水行末です。よろしくお願い
  しますね。

グ:こちらこそ、先輩! ご挨拶がわりにマッサージ
  しましょうか?

水:あ、ありがとう。いや、ま、そのうちにお願いし
  ますよ...。エヘン、ところで老師、これまでは老
  師から私へのマンツーマンレッスンでしたが、彼
  女が入門したので、今後どんな風に指導していた
  だけますか?

寿:水行末よ、きみは旅に出るのじゃ。

水:へ?

寿:きみにはもう基本となる「ねこ気功初伝」をすべ
  て教えた。グーリンダイが入門してちょうどよい
  機会じゃ。これからしばらくは一人で自分の技を
  練ってゆきニャさい。

水:しばらく...ですか。

寿:まだ免許皆伝というわけにはいかんのでニャ。修
  行の旅に出て、なにかをつかんだらもう一度戻っ
  てくるがよい。進歩の具合によっては「ねこ気功
  中伝」へ進むことにニャるぞ。

水:わかりました。老師に教わった方法を自分のもの
  にできるよう、試行錯誤の旅をしてきます。

寿:修行は「守・破・離」と進むものじゃ。初伝はい
  わば「守」の段階じゃ。

水:「守」ですか?

寿:師匠から言われたことをそのまま身に付ける段階
  ということじゃ。そこを卒業したから、ここらで
  旅をして「破」に進むのじゃよ。

グ:「破」ってどんなものなんですか〜?

寿:自分なりの創意工夫をして、基本技を血とし肉と
  する。そうすることで、ただ教わっただけの段階
  とは質的に異なるものが出てくる。これが「破」
  じゃニャ。

水:そして「離」ですね。これは初伝で教えていただ
  いたものから離れることを意味するのですか?

寿:表面的にはニャ。ものごとには「原理」と「方法」
  がある。前者は本質的なものであり、いわば真理
  なのでひとつしかニャい。しかしそこへ至るルー
  トは無数にある。それが「方法」じゃ。

水:つまり真理はひとつでも方法はたくさんあるわけ
  で、老師が初伝で授けてくださったものはそれら
  の「方法」のうちのひとつにすぎないということ
  ですね。

寿:それを理屈ではなく実感として理解するのが「破」
  であり、自分自身の方法として確立するのが「離」
  ということじゃニャ。

グ:あら、もし水行末さんが修行の旅で「離」の段階
  まで達したら、もう老師のもとへ戻る必要はない
  んじゃないかしら?

水:でも、私は戻って来たくなるような気がします...

寿:ニャはは。守破離にも小と大があるのじゃよ。水
  行末は今「小の守」を終えた。そして修行の旅で
  「破」と「離」を得るじゃろうが、それらもまた
  「小の破」であり「小の離」ニャんじゃ。

グ:あ、わかった。じゃあ「小の守破離」を終えた水
  行末さんが寿限無老師のもとへ戻ったら、今度は
  そこから「大の守破離」が始まるんですね?

寿:理想的にはそうじゃが、実際には「中の守破離」
  となるじゃろうニャ。このように連続した守破離
  のフラクタル構造を無限に繰り返す。それが上達
  というものじゃよ。

水:わかりました。生涯一修行者として生きていくつ
  もりです。老師、これまでありがとうございまし
  た。しばしのお別れです。今度お会いするときに
  は、別の水行末になっているよう精進します。

寿:うむ。よい旅をニャ。

グ:水行末さん、お目にかかれて光栄でした。つぎに
  お会いできる日を楽しみにしていますね。

水:はい。では...。

<ねこ気功のイロハ>
グ:ところで老師、アタシ、気功ってまったくわから
  ないんですけど、ヨガとか呼吸法とか瞑想とか、
  そーゆーのと違うものなのかしら?

寿:ふむ。それぞれに違いはあるし、気功の中にも数
  えきれんほどの流派があるニャ。  

グ:どれか正解ってあるの?

寿:ニャはは、「正解」か。これはおもしろいので、
  ひとつ謎をかけておこうかニャ。

グ:謎?

寿:「わけ登る麓の途は多けれど同じ高嶺の月を見
  るかな 」とニャ。

グ:???...

寿:謎解きはいずれやるとして、まずは各方法の共
  通点を整理してみようかニャ。

グ:共通点ですか! おもしろそう〜!

寿:どの方法を選ぶかによって、言葉の使い方や重
  点の置き方が異なるが、四つの段階に整理して
  みるとわかりやすくニャるぞよ。

グ:四つの段階ですって!? メモメモ...。

寿:それは「開一見合」という四字熟語にすること
  もできるぞよ。 

グ:カイイチ? ミアイ...かしら?

寿:読み方はなんでもいいが「かいいつけんごう」
  がカッコイイかニャ。大事ニャのは内容じゃ。

グ:やさしく教えてくださいね。

寿:多くのボディワークが、それぞれ異なるカリキュ
  ラムを組みながら、潜在的か顕在的かの違いは
  あるものの、この四点をなんらかの形で学習体
  系に組み込んでおる場合が多い。

グ:「開」「一」「見」「合」の四点ね。

寿:一番目の「開」は、心を落ち着かせ、身体をゆ
  るめることじゃ。

グ:リラクセーションかしら?

寿:うむ。音楽を聞いたり、香りで誘導したり、時
  間感覚を変えたり、呪文をとなえたり、特定の
  ポーズをとったり、軽く動いたり、儀式めいた
  ことをやったり、脳波を操作したりと、方法は
  無数にある。しかしめざすところは心身のリラ
  クセーションじゃ。これを開放の「開」という
  字で象徴しておるわけじゃニャ。

グ:身体も心も開放し解放するということね? ア
  ロママッサージでは香りのオイルを使ってそん
  なふうにするんですよ。

寿:開放し解放するとはうまいことを言うニャ。そ
  の通りじゃ。皮膚をゆるめ、筋肉や内蔵をゆる
  め、細胞をゆるめ、心を開き、解き放つのじゃ。
  そしてゆるみきった心身の中にひとつだけ集中
  する部分を作る。これが「一」じゃ。

グ:「一」に集中する。わかりやす〜い!

寿:集中する対象は身体の部分だったり、呼吸だっ
  たり、特定の言葉だったり、音だったり、ある
  いは文字や図形や彫像などを使う場合もある。
  いずれにしても、その対象に集中するのが「一」
  じゃ。

グ:心を静め、集中する。両方で「開一」ね。

寿:「見」は文字通り見ることじゃが、かならずし
  も視覚的な見方だけではニャい。

グ:視覚的じゃない見方ってどんなの?

寿:五感をフル活用して体感するのじゃよ。たとえ
  ば「月夜」を全身で体験する場合、月の像だけ
  でなく、光の当たっている池、陰になっている
  茂み、その場のひんやりした空気、虫の音、草
  の香り、澄み切った精神状態など、ありとあら
  ゆる状況を思い描き、その場面にひたりきる。

グ:きゃっ、それじゃまるで実体験と同じだわ。空
  想でアロマエッセンスの香りを再現するような
  ものね?

寿:もちろん最初からは難しいが、修行によって場
  面構成力を磨くのじゃ。その過程を「見」とい
  う一字で象徴しておる。英語でいうならヴィジュ
  アライゼーションじゃ。はじめはどうしても視
  覚的な描き方から入ることになるので「見る」
  という表現で構わんわけじゃニャ。 

グ:ということは、視覚から聴覚、味覚、嗅覚、触
  覚と感覚が広がっていくわけね?

寿:その「体験」がある時点でグッと深く異質なも
  のに変化する。そこからが「合」じゃ。

グ:んーと、「見」と「合」の違いがイマイチよく
  わからないわ。

寿:ニャはは、次回はそこから説明しよう。

グ:よろしくお願いしま〜す。

(つづく)

※技術協力:ココアロマ(青森県南部町)

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2012 第25回【共通要素「開一見合」】

アロマセラピストのグーリンダイ嬢は寿限無老師か
らねこ気功を習い始めました。古今東西のあらゆる
ボディワークや瞑想に「開一見合」という共通点が
ある。そんな話のつづきです。


グ:老師、新弟子のグーリンダイですよ。

寿:ニャ〜ん、今日はどこから話すのじゃったかニャ?

グ:老師は前回、謎をおかけになりましたわよ。ヨガ
  とか呼吸法とか瞑想とか、そーゆーものとねこ気
  功は違うものですかとお尋ねしたら...

寿:「わけ登る麓の途は多けれど同じ高嶺の月を見る
  かな 」とニャ。

グ:その謎解きはしてくださるのかしら。

寿:しかし前回の話はまだ途中じゃったよニャ?

グ:ええ、いろんな方法や流派の共通点を「開」「一」
  「見」「合」の四つに整理して、「かいいつけん
  ごう」と呼んでらしたわ。

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寿:異なるカリキュラムを持つ方法でも、その四点を
  なんらかの形で学習体系に組み込んでおる場合が
  多いのじゃよ。

グ:「開」は、心を落ち着かせ、身体をゆるめるリラ
  クセーションでしたね。音楽、香り、時間感覚操
  作、呪文、ポーズ、動作、儀式、脳波操作などの
  方法があると。

寿:どれもめざすところは心身のリラクセーションで
  あり、開放の「開」という字で象徴したのじゃ。

グ:そしてゆるみきった心身の中にひとつだけ集中す
  る部分を作るのが「一」だったわ。集中の対象は
  身体部分、呼吸、特定の言葉や音、文字、図形、
  彫像など。心を静めて「開」、集中して「一」ね。

寿:「見」は見ることじゃが、視覚だけでなく五感を
  フル活用して体感することをいう。

グ:たとえば「月夜」なら、月光以外に、光を映す池、
  陰となる林、冷気、虫の声、土のにおい、澄んだ
  心など、その場面にひたりきるんでしたわ。この
  臨場感あふれる体験が「見」ね。

寿:その臨場感を感じる力はトレーニングによって磨
  くのじゃよ。

グ:最初は視覚で描いて、徐々に聴覚、味覚、嗅覚、
  触覚と、感覚を広げていくのよね?

寿:その「体験」がある時点でグッと深く異質なもの
  に変化する。そこから先が「合」となるのじゃが、
  この過程をもう少しくわしく見ていこう。

グ:キャ、楽しそう。

寿:「見」から「合」へ移るところで、心身にある大
  きな変化が訪れるのじゃ。

グ:どんな、どんな? どんな変化?

寿:ねこ気功基本功法の「ねこばしり」を例にとろう
  かニャ。背骨を前後にゆったり揺らすのじゃ。

※ねこ気功の基本功法については、きゃたりうむ出版刊「カラダとココロと音楽と」を参照ください。

グ:背骨を前後に? こうかしら?(やってみる)

寿:うむ。鎖をジャラジャラさせるみたいな要領で、
  背骨を前後に波打たせてごらん。

グ:あら、なかなか気持ちいいわ。

寿:もうねこ気功は始まっておるぞ。第一段階の「開」
  からいこう。気持ちはの〜んびと、身体はリラッ
  クスさせて、背骨をゆったり動かす。

グ:ゆるむほど、くつろぐほど、スムーズに動くわ...。

寿:そして徐々に背骨を構成するひとつひとつの椎骨
  に注目する。首の骨が七つ、胸部が十二個、腰が
  五つじゃ。

グ:あら、けっこう難しいわね。動きがぎこちなくなっ
  ちゃた。

寿:ニャはは。これが「一」じゃ。椎骨に集中したわ
  けじゃよ。きみも気づいた通り、「開」と「一」
  は矛盾した関係にある。ゆるむと集中できない、
  集中するとゆるめない。

グ:ほんとね。老師、どうすればいいの?

寿:そこが修行じゃ。「開」と「一」をこまめに往復
  することから練習しよう。ゆるめて、集中して、
  ゆるみが減ったらまたゆるめて、集中が減ったら
  また集中に意識をもどして、というふうに交互に
  くり返す。

グ:開と一を行ったり来たりね。これならできそう。

寿:この練習をくり返すうちに、「開」も「一」も少
  しずつレベルが上がってくるのじゃ。より高い次
  元での往復となるんじゃニャ。

グ:なるほど、それが上達ってわけね。ステキ!

寿:さて、もう少し「ねこばしり」を続けよう。背骨
  を前後にゆったり動かす。このとき「私が背骨を
  動かす」という意識じゃろう?

グ:ん? ええ、たしかにそうね。私が背骨を動かし
  ているわ。

寿:リラックスが、つまり「開」の感覚が深まってく
  ると、ある時点からそれが変わる。「背骨が私を
  動かす」というふうに感じられるようにニャる。

グ:私が背骨をじゃなくて、背骨が私を動かす...。

寿:主体と客体が入れ替わるんじゃニャ。この主客転
  倒を専門的には「SOシフト」と呼ぶ。Subject
  (主体)とObject(客体)が役割をシフトすると
  いう現象じゃよ。

グ:えすおーしふと...

寿:こうして背骨の動きに自分の心身を預けてしまえ
  る状態となったとき、「見」は「合」へと移行す
  るのじゃ。

グ:うーん、「見」と「合」の違いは、SOシフトし
  てるかしてないかということかしら?

寿:今の段階ではそのように覚えておくとよいぞよ。
  どうじゃ、SOシフトは感じられたかニャ?

グ:ふふっ、まだよくわかんない。

寿:まあ、よい。練習を重ねることで少しずつわかっ
  てくるじゃろう。SOシフトは重要なので、また
  復習することとして、ここまでの「開一見合」を
  ほかの分野のものと比較してみようかニャ。

グ:わ、それ、すごくおもしろそうね。

寿:ヨーガ文献に「ヨーガの八階梯」ということが書
  かれておる。

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グ:なんだか難しそうだわね。

寿:前半の四つは置くとして、5〜8を見てなにか気付
  かんかニャ?

グ:制感、凝念、静慮、三昧...、あれ?

寿:どうじゃ?

グ:制感って心を落ち着ける、つまりリラックスのこ
  と? 凝念は集中だし、静慮はよくわかんないけ
  ど、三昧ってSOシフト後の「合」の状態みたい
  な気がする。これって似てますよね?

寿:ニャはは。まったく同じというわけではニャいが、
  かなりの類似性を感じるじゃろう? ほかにもあ
  るぞよ。たとえば仏教じゃ。

グ:ぶ、仏教? 

寿:これもさまざまな流派や教えがあるので、いちが
  いには言えんのじゃが、たとえば「止・観・定」
  というふうな分類をする場合があるニャ。

グ:し・かん・じょう、ですか・

寿:あくまでもひとつの見解として聞いてもらいたい
  が、止(し)は集中すること、つまりねこ気功で
  いう「一」じゃ。
  
グ:あ、わかった、じゃ、観(かん)は「見」でしょ? 
  どちらも「みる」だし。

寿:ニャはは。すると定(じょう)は「合」というこ
  とにニャるな。つまり「開」にあたるリラックス
  は、ここでは省略されておるわけじゃニャ。

グ:西洋にはないんですか?

寿:「リラクセーション」「コンセントレーション」
  「ヴィジュアライゼーション」「アファメーショ
  ン」という四段階に分類する例もあるようじゃ。
  これは「開一見合」とかなり似ておるニャ。

グ:てことは、どのやり方に取り組んでも、だいたい
  似たような道をたどって上達するってことね。

寿:よい指導者に教わって、正しく取り組めばニャ。

グ:で、老師、謎解きはしてくださるの?

寿:「わけ登る麓の途は多けれど同じ高嶺の月を見る
  かな 」じゃニャ。山の麓(ふもと)から見ると、
  登山道はたくさんあるように見えるが、結局たど
  り着くところは同じという意味じゃ。ヨーガでも
  呼吸法でもねこ気功でもニャ。

グ:だけどつまみ食いみたいにいろんな道を試してた
  ら、いつまでも頂上へたどり着けないわよね。

寿:登山と同じじゃよ。どれかひとつを選んでコツコ
  ツと登り続けるしかニャい。

グ:登山道にこだわるのは、山の麓にいる人たちだけ
  なんじゃないかしら?

寿:その通りじゃ。頂上付近にいる人から見れば、ど
  の道も結局ここに通じていたのだなと気づく。世
  の中に流派争いが絶えないのは、山の麓にいる人
  のほうが圧倒的に多いからじゃよ。

グ:「わけ登る麓の途にとらわれて いつか高嶺の月
  を忘れる」ですね。

寿:うまい! しかし、実際に登れる道はひとつなの
  で、「開一見合」という基本を頭に入れたら、具
  体的な修行に取り組まねばならん。それはねこ気
  功でもよいし、ほかのなにかでもよいがニャ。

グ:もちろん私はねこ気功よ、老師!

寿:ニャはは☆

(つづく)

※技術協力:ココアロマ(青森県南部町)


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2012 第26回【WHATよりもHOWを】


アロマセラピストのグーリンダイ嬢は寿限無老師の
もとでアロマねこ気功修行の日々です。「なにを」
練習するかより「どのように」それを練習するかに
着目しよう。今回はそんなお話です。


グ:老師、グーリンダイですわよ。

寿:ニャ〜ん、今日は練功の基本について話そうニャ。

グ:レンコン? 蓮の根っこは泥の中だけど、汚れる
  ことなく美しい花を咲かせるというあれね。

寿:これこれ、蓮根ではニャい、レンコウじゃ。気功
  を練習することを「練功」というのじゃ。

グ:うふ、それは失礼しました。

寿:なにかに上達したいと思うとき、ただ漫然と練習
  していても成果が出ないものじゃ。

グ:アロマねこ気功はどうやって練習...じゃなくて練
  功すればいいのかしら?

寿:ニャはは。ちょいと整理してみようかニャ。この
  表を見てごらん。

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グ:あら、またコムズカシイことが書いてあるわね。

寿:これはスポーツや武道のトレーニングの構造を解
  説した本から引用したものじゃ。アロマねこ気功
  の場合も、どういう方向をめざすかのヒントにす
  ることができるぞよ。

グ:山歩きでいえば地図みたいなものね。

寿:ざっと説明しよう。まず「上達」は大きく二つに
  分類することができる。それが「完成化と発展化」
  じゃ。

グ:ひとつの技術を仕上げていくのが完成化で、それ
  を別のカタチに発展させていくのが発展化ね。

寿:ほほう、ニャかニャか飲み込みが早いのう。そし
  て完成化も二つに分けることができる。

グ:ジュンセイカ...と読むのかしら?

寿:うむ。馴成化とは文字通り「慣れる」ことじゃ。
  ひとつの技術を何度もくり返せば人間はその動作
  に慣れる。その結果、同じあるいは似たような動
  作を再現することが楽になる。これがトレーニン
  グの「量的」側面じゃ。

グ:ある程度の量をこなせば、それなりに上手くなる
  というのは馴成化が進んだと考えればいいのね。

寿:それに対して精巧化は、トレーニングの「質的」
  側面といってもいいじゃろう。

グ:身につけた技術が威力を増したり、滑らかになっ
  たり、あるいはコントロールできたり、つまり本
  当の意味でテクニックを身に付けた状態のことね。

寿:今はそのように理解しておけばよいじゃろう。さ
  て、発展化の中の統合化は、二つ以上の技術をど
  のように使うかの話じゃ。

グ:二つの技術を連続して駆使したり、同時にやって
  みせたりできることね。これは難しそうだわ。

寿:そして応用化。これはもっとも高度な発展の仕方
  じゃニャ。

グ:ひとくちに「上達」といっても、いろんな方向が
  あるのね。見た目には同じ練習をしていても、ど
  の方向を意識するかで結果は変わってきそうだわ。

寿:まさに、その通りじゃよ。じつは練習法というの
  は「なにを」するかよりも「どのように」するか
  のほうが大きな違いを生むのじゃ。

グ:ひとつの「方法」だけが正解、ということはない
  わけね。

寿:バックミンスター・フラーの「ピアノの蓋」の話
  を知っておるか?

グ:フラーさんって、どなたかしら?

寿:「宇宙船地球号操縦マニュアル」の著者じゃよ。
  船が難破してきみは海に投げ出されたとしよう。

グ:タイタニック号ね。ふふっ。

寿:そこにピアノの蓋が流れてきた。それにつかまれ
  ば、ひとまず救命具にニャる。

グ:そうね。でもつかまりにくそう。

寿:ピアノの蓋は、救命具として最良のデザインとは
  言いがたいからニャ。ところが人間は、たまたま
  思いついた方法を唯一で最善の解決法と思い込み

  がちニャんじゃ。

グ:一度ピアノの蓋にしがみついたら離さないのね。

寿:小さな信念だけを正解だとしてそれに固執するわ
  けじゃニャ。

グ:よりよい解決を探そうとするほかの人のジャマを
  する場合だってありそうだわ。

寿:ここでの「正解」は、ピアノの蓋ではなく、水に
  浮くということ、そして身体を支えやすいという
  ことじゃ。

グ:その目的地に向かって、いろんなくふうをするの
  が練功ということね。

寿:世の中にはいろんな「方法」がある。そのどれも
  うまく取り組めば効果が出るし、まずく使えば害
  がある。

グ:ところが私たちは、どの「方法」がいいかばかり
  を気にしてるみたいだわ。

寿:それぞれの「方法」は、表面的な違いを取り除い
  てみると、本質部分は意外と似ている場合が多い。

グ:それじゃ「方法」にばかりこだわって言い争いを
  しているのは無駄ということね。

寿:ピアノの蓋より酒樽のほうがいい、いや床板がい
  いと言い合うようなものかニャ。

グ:手段ではなく目的のほうに目を向けろということ
  ね。「ヨーガ行者がなにかすればそれはヨーガに
  なる」という言葉を聞いたことがあるわ。

寿:まさにそれじゃよ。特別なポーズをするのがヨー
  ガではなくて、ただ立つだけでもヨーガにするこ
  とができるんじゃニャ。

グ:でも、それだと初心者はとっつきにくくないです
  か? なにを練習していいかわからないし。

寿:ニャはは。そこに方便としてのカリキュラムとい
  うものが生まれるわけじゃ。

グ:方便としての?

寿:実際にはいろんなやり方があることをわかったう
  えで、あえて「これが正解、あれは間違い」とい
  う指導をするのじゃよ。

グ:なるほど。本当は「間違い」ではなくても、あえ
  てひとつのことに集中させるわけね。

寿:学習の初期段階では、そのようなマスキングがど
  うしても必要にニャる。

グ:マスキングってなにかしら?

寿:塗装の際に塗りたくない部分を覆い隠すのがマス
  キングじゃ。ここでは、雑多な情報の一部を覆い
  隠して、つまりマスキングして、学習者が取り組
  みやすい道筋を示すわけじゃニャ。

グ:それが方便というわけね。

寿:いかなる理論も方法も、ある一定の条件のもとに
  おける「正しさ」しか持ち得ニャい。さらに言え
  ば人間の認識自体が、時間的・空間的制約を前提
  として持っておるのじゃよ。

グ:なんだか話が難しくてクラクラするわ。

寿:たとえば今日は通用する方法が、一年後は無用に
  なる場合がある。

グ:それが時間的制約なのね。

寿:空間的制約は、空間という言葉をかなり広い意味
  で使うことにニャる。たとえば個人差じゃ。また
  は育った文化的社会的環境の違いによっても、教
  育のアプローチは変わることが考えられる。

グ:つまりある人や地域や状況のもとで使えたものが、
  ほかで使えなくなることがある。それを空間的制
  約と考えるわけね。

寿:したがってある「方法」だけを正しいと信じこん
  でしまうことはたいへん危険ニャんじゃ。

グ:「なにを」するかよりも「どのように」するか。
  これを肝に銘じてレンコンを料理するわね。

寿:これこれ(笑)

(つづく)

※技術協力:ココアロマ(青森県南部町)

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2013 第27回【チャイルドタイムの量と質】

寿限無老師に弟子入りしたアロマセラピストのグー
リンダイ嬢。修行のイロハを教わります。反復練習、
基本の大切さ、チャイルドタイムの量と質、そして
徹底的な観察。今回はトレーニングの初級から上級
への道についてのお話です。

グ:老師、前回は練功の基本を教わりました。気功を
  練習するのを練功と言うんでしたわ。それはレン
  コンとは関係ないことも理解しましたわ。

寿:ニャ〜ん、ま、レンコンはレンコンでけっこうな
  ものじゃがニャ。吾輩はきんぴらがいいニャ...。

グ:老師、レンコンから離れましょ。

寿:うむ、ではまず反復練習の話をしよう。

グ:教わった功法をくり返し練習することですよね?

寿:教わった型をマネてやってみるとしよう。しか
  し当然じゃが師匠のそれとは、まったく違う内
  容のものにニャる。

グ:そうですね、一応同じような動作をしていても、
  細かいところが違うのね。

寿:動作もじゃが、意識のほうはもっと異なるぞよ。
  意識の状態、その変化、チェックポイントなど、
  細かな点が初心者と中級者、あるいは上級者と
  ではまったく違うのじゃ。

グ:その違いを埋めるために何度も何度も同じ型を
  くり返すわけね。

寿:何千回、何万回とくり返すことで、徐々にその
  型が生きたものに練り上げられていく。ただし、
  ただ漫然と同じ動作をくり返し、回数をこなす
  だけでは上達はのぞめニャいぞ。

グ:回数を重ねるだけではダメなのかしら?

寿:自分がやっている型が、師匠や上級者のそれと
  違うことはもちろんじゃが、自分自身のそれも
  毎回微妙に異なっておる。そのわずかな違いに
  気づけるかどうかが上達の鍵を握っておる。

グ:小さな違いを発見する感性ということね。

寿:高感度な観察能力と言ってもよい。動作の違い
  に気づき、意識の状態や変化に気づく。そうい
  う気づきの積み重ねが大切ニャんじゃ。

グ:なんだか大変な話だわ。

寿:ピラミッドを知っておるか?

グ:エジプトとかにあるやつでしょ?

寿:あれは底のほうが広く大きく、上へ行くほど小
  さく積み上げられておるニャ。

グ:ええ、とても安定感があるわね。

寿:下のほうには石がたくさん積んである。そのこ
  とで安心して上へ上へと積み上げていけるわけ
  じゃニャ。

グ:ええ。

寿:練功も同じじゃ。基礎は徹底的にたくさんやる
  必要がある。そうやって大きな底辺を作れば、
  スムーズに上級の練功へ移行していけるのじゃ。

グ:逆に基本がいいかげんだと、上へ行ったときに
  グラグラしたり崩れたりする、ということかし
  ら。

寿:したがって修行は基礎練功に一番時間と手間が
  かかるのじゃよ。

グ:底のほうを広く多く積めば積むほど、高いとこ
  ろまで行けるとも言えそうね。

寿: ニャはは、その通りじゃニャ。

グ:アロマねこ気功でいえば、その基礎はなににあ
  たるのかしら。

寿:いろんな視点からとらえることができる。日常
  的にはパジャアース(※)に取り組むとよい。

※パジャアース:アロマねこ気功の基本功法。mp3の歌に合わせて身体を動かし呼吸を整える。詳細は筆者著書「パジャマで出かける呼吸旅行」参照。

グ:でもただパジャアースをくり返しているだけで
  はダメなんでしょ?

寿:最初のうちはひとつずつテーマを絞って観察し
  ていくとよいぞよ。たとえばパジャアースを構
  成する第1のワーク「チャイルドタイム」じゃ。

グ:の〜んびりすることね。セカセカした日常意識
  を休めて、ゆったりした心身を味わう...と習っ
  たわよ。

寿:自分の意識状態をさらに深く観察し、どれくら
  いチャイルドタイムになれているか、これを吾
  輩は「チャイル度」と呼んでおるが、そいつを
  はっきりさせてみるのじゃ。

グ:わあ、日常タイムかチャイルドタイムかという
  二つじゃなくて、その間の程度を探るんですね。
  
寿:それがチャイルドタイムの量的側面じゃ。つぎ
  に質的な違いにも着目する。

グ:チャイルドタイムの質?

寿:一口に「のんびり」といっても、いろんな種類
  があるじゃろう? 大きな仕事を終えて打ち上
  げで乾杯するときと、人里離れた温泉郷でひと
  り鳥の鳴き声に耳をすませるのとでは、のんび
  りでも中身が違うニャ。

グ:たしかにそうね。森林を散策するのと、アロマ
  マッサージを受けるのでも違うわ。

寿:ということは、チャイルドタイムにも色やにお
  いや手触りや味や響きや温度や、そういうもろ
  もろの質感があるといえるんじゃニャイか。

グ:それらを感じ分けるというわけね。

寿:さらにチャイルドタイムの量や質は時々刻々と
  変化しておる。その変遷も観察できるぞよ。

グ:ものすごく緻密で繊細な世界だわ。

寿:と同時に、じつにダイナミックでゆたかな世界
  でもあるぞ。

グ:これをパジャアースの中でやるときは、具体的
  にはどうやって練功するのかしら。

寿:たとえば今日のパジャアースは「チャイルドタ
  イム」をテーマとして行なうことに決める。そ
  のうえでmp3の歌に合わせてショルダリング、
  12321、ニーモ、ボトミング、フィッシュスイ
  ム、ねこだれ、SOシフトなど一連のワークに
  取り組む。

グ:なるほど、個々のワークはワークとしてするの
  だけれども、それらを「チャイルドタイム」の
  視点で行なうということね。

寿:ショルダリングがチャイルドタイムの量や質や
  それらの変化にどう影響するか。12321とチャ
  イルドタイムはどんな関係にあるか、ボトミン
  グは、など観察のポイントは無数に出てくる。

グ:パジャアースって13分間ほどの時間だけど、こ
  んなにいろんなことを観察していたら、すごく
  密度の濃い充実した練功になるわね。

寿:アロマねこ気功にかぎらず、スポーツでも楽器
  練習でも、上達にともなってトレーニングを高
  度化する場合、「高負荷化」「高精度化」とい
  う二つの方向について考えることは意味がある
  ぞよ。

グ:負荷を上げるのはわかりやすいけれども、精度
  を上げる方法については、今日はじめて気がつ
  いたわ。精度を上げるのは質的なアプローチだ
  から、自分の観察能力が低い段階では違いに気
  付かないものね。

寿:アロマねこ気功のワークの多くはインナーマッ
  スルの開発と関連が深い。しかしそれらは意識
  しにくい、動かしにくい、制御しにく筋肉じゃ。
  だからといって、それへのアプローチをやめて
  しまえば、最初から「高精度化」を放棄してい
  ることになるニャ。

グ:それらができないのは自分の観察能力が低いか
  らだというつもりで、地道に観察の精度を上げ
  ていくということね。

寿:高精度化を進める過程で観察能力が育ってくれ
  ば、高「負荷」化するにあたってもその内容が
  良くなっていくと考えられるのじゃ。

グ:ははあ、なるほど。

寿:アロマねこ気功では、初級のうちは動きが大き
  く、上級へ行くにしたがって小さな動きとなる
  傾向がある。さらに進むと、外から見ても「た
  だ立っているだけ」のようで、なにをやってい
  るのか分からないということもあるニャ。

グ:そのとき意識の中ではものすごく壮大で緻密な
  観察ドラマが起きているというわけね。

寿:このようにして、今週のテーマは「ショルダリ
  ング」、来週のテーマは「ボトミング」などと
  テーマを変えながらパジャアースに取り組むこ
  とで、修行ピラミッドの底辺が広く厚く安定し
  てくるというわけじゃよ。

(つづく)

※技術協力:ココアロマ(青森県南部町)

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2013 第28回【日本人に合った練習法?】


寿限無老師に弟子入りしたアロマセラピストのグー
リンダイ嬢。欧米人と日本人では呼吸法や姿勢のト
レーニング方法を変えるべきか。今回はそんな話題
です。


グ:老師、日本人は欧米人に比べて腸が長いと聞いた
  んですけど、それによって呼吸の仕方とか姿勢の
  整え方って変える必要があるんですか?

寿:つまり欧米人と同じ方法で日本人がトレーニング
  しても効果が出ないということかニャ?

グ:欧米人は狩猟民族で日本人は農耕民族だから根本
  的に身体の作りが違うんじゃないですか? 骨格
  についても「肩」の付き方が違うそうですし。

寿:ふむ、そのような意見はよく耳にするニャ。

グ:アロマねこ気功は、欧米人と日本人の区別をして
  いないんですか?

寿:ちょうどよい機会じゃ。その話題について少し考
  えてみようじゃニャいか。

グ:よろしくお願いします!

寿:まず「腸の長さ」について取り上げよう。日本人
  の腸が長いという説はたしかにいろんなところで
  目にするニャ。

グ:日本人は米や野菜を食べてきたから腸が長く、欧
  米人は肉食中心で腸が短い。これは草食動物の腸
  が長く、肉食動物の腸が短いというのに対応して
  いるんですって。ネットでもいろんなお医者さま
  がこのお話をされているし。 

寿:たとえばどんな記事かニャ?

グ:「日本人の大腸は2〜3mで、欧米人のそれは1.2〜
  1.3mとかなり短い」とか「日本人は7m、欧米人
  は4m」「日本人の腸は西欧人の3倍」「日本人の
  腸は欧米人に比べて1.3倍」などなど、いろんな記
  事を読んだことがあるわ。

※筆者注:これらの数値はすべて実際のウェブサイトから拾ったものです。詳細はリンクを参照。


寿:それらの記事に出典が明記されていたことはある
  かニャ?

グ:出典...ですか?

寿:たしかな文献で数値が裏付けられておるかという
  ことじゃよ。

グ:そういえばどれも「〜といわれています」みたい
  な伝聞調の記述が多かったような...。

寿:丹念に読み込んでみると、腸の長さに関するデー
  タにもかなりのバラツキがあるんじゃよ。

  ●(日本人の腸は)3倍も長い 
  
  ●2倍も長い
  
  ●1.5倍長い 
  
  ●1.3倍長い 
  
  ●1~2割長い 
  
  ●4mも長い 
  
  ●2~3m長い

  などなど。たしかな医学的データをもとにした話
  であれば、こんなに開きがあるのはおかしくない
  かニャ?

グ:たしかにそうよね。

寿:ドイツ人とイタリア人を「欧米人」とひとくくり
  にしてよいのかという疑問もあるニャ。アメリカ
  は多種多様な人種が一緒に暮らしておるしニャ。

グ:でも、戦後の日本は栄養状態がよくなって平均身
  長が伸びたわよね? 腸の長さも食べ物によって
  変わるってことはないのかしら?

寿:日本人の腸が長いとすれば、それは遺伝的なもの
  なのか、それとも日頃の食生活で、つまり一世代
  で長さが変わるような獲得的なものなのかじゃ。

  もし獲得的なものなら「日本人は腸が長い」と言
  うのではなく「肉をあまり食べない人は長くなる」
  と表現すべきじゃニャいか?

グ:そのあたりはあいまいだわねえ。

寿:そもそも日本人は菜食で欧米人は肉食などという
  イメージは正しいのかニャ? 欧米諸国において
  も、庶民が肉を十分に食べられるようになったの
  は産業革命以降ではニャいか?

グ:なにかデータがあるといいのだけど...

寿:FAO(国連食糧農業機関)の資料が興味深いぞよ。
  少し古いが2003年のデータでアメリカと日本を
  比較したものによると、総摂取カロリーのうち植
  物性食品の占める割合は、「アメリカ73.6%:日
  本79.5%」じゃ。1980年データでは「アメリカ
  69.7%:日本81.0%」じゃから、20年あまりで
  アメリカ人は植物性食品を、日本人は動物性食品
  をより多くとるようになったと言えるニャ。

グ:1980年の数字で見ても、アメリカ人が肉食で日
  本人が菜食と言えるほど大きな差はないわね。ど
  ちらも食事の大部分を植物性食品が占めているわ。

寿:肉の取り過ぎが問題視された時代のアメリカ人も、

  パンやポテトはたくさん食べていたのじゃろう。

グ:腸の長さを計測したデータはないのかしら?

寿:Length of a Human Intestine(人間の腸の長さ)
  という資料があるニャ。ここでは複数の出典を
  明記したうえで、人間の腸の長さは 6~8.5mで、

  年齢と身長に従う長さと結論づけておる。欧米人
  と日本人の差は言及されておらんニャ。

グ:日本人について調べたものはあるの?

寿: 鈴木隆雄の「日本人のからだ健康・身体データ
  集」によれば、大腸の長さは平均で男性が155
  cm、女性は150cmとある。先述した「Length
  of a Human Intestine」でも、大腸の長さはほ
  ぼ1.5mとのことじゃから、鈴木氏の研究による
  日本人の平均とぴったり同じじゃよ。

グ:つまり欧米人も日本人も、腸の長さはだいたい
  同じくらいという実測データがあるのね!

寿:大腸について「差がない」と明記している文献も
  あるぞよ。専門用語が多くてうまく訳せないので
  原文のままじゃが「A peroperative comparison
  of Western and Oriental colonic anatomy and
  mesenteric attachments」というものじゃ。そ
  こにはこうあるぞよ。

  「西洋人(白人)患者115名と東洋人の患者114
  名を開腹して腸の長さを計測比較したところ、全
  結腸(大腸)長には大きな違いはなかった。白人
  の平均114cm、最短68cm~最長159cm、東洋人
  の平均111cm、最短78cm~最長161cmであった」
  とのことじゃ。

グ:西洋人の腸が短いとか東洋人が長いなんて、とて
  も言えそうにないわね。どうして「日本人は腸が
  長い」なんてことが言われるようになったのかし
  らね?

寿:日本人に和食を勧めるときとか、整腸剤や便秘薬
  を売ろうとするとき、ダイエット法の話をすると
  きに好都合だからじゃニャいか?

グ:え〜!?

寿:逆に日本人は欧米人に「追いつく」ためにもっと
  肉を食べなくてはいけないと主張することもでき
  るしニャ。

グ:でも、西洋人が狩猟民族で日本人が農耕民族とい
  うのは事実じゃないのかしら?

寿:それもまたイメージが先行した話じゃろう。事実
  とつきあわせれば、日本より白人種のほうが農耕
  の歴史は長いし、黄色人種のほうが狩猟民の数は
  多いと言われておるぞよ。

グ:ある紳士服メーカーが、欧米人と日本人は骨格に
  差があるので肩の位置が違う、そういうデータを
  もとにスーツを作っていると聞いたことがあるわ。

寿:どの程度のサンプルで比較しているのかを知りた
  いところじゃが、それよりも原因と結果を逆に考
  えている可能性を指摘したいニャ。

グ:原因と結果を逆に?

寿:日本の生活は前かがみの姿勢をとる場面が多く、
  それゆえ猫背になりやすい。猫背の日本人を調べ
  れば、欧米人よりも肩の位置が前になる可能性は
  高いと思わんかニャ?

グ:つまり肩の位置は民族の違いではなく、生活習慣
  の違いかもしれないということね。

寿:あくまでも可能性じゃがニャ。

グ:じゃ、日本人に合ったトレーニング法とかいう話
  はあんまり根拠がないことになるわね。

寿:いちがいにそうとは言えんが、「欧米人対日本人」
  という俗説をあまり脳天気に信じ込まんほうがい
  いとは言えそうじゃニャ。体格や能力は個人差が
  大きいし、なにを意識するかということで生まれ
  る差はさらに大きいからニャ。

グ:身体や意識の使い方を学ぶのがアロマねこ気功と
  いうわけね。練功に打ち込まなくっちゃ!

寿:その意気じゃよ。ニャはは。

(つづく)

※技術協力:ココアロマ(青森県南部町)

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2013 第29回【練習は量か質か】

寿限無老師に弟子入りしたアロマセラピストのグー
リンダイ嬢。練習は質より量か。今回はそんな悩ま
しい話題です。


グ:老師、稽古は量ですか、質ですか?

寿:ニャんじゃ,藪から棒に。

グ:いいえ、壁から釘です。

寿:これ、マニアックな落語ネタはほどほどにニャ☆

グ:失礼しました...。ものの本で読んだんですけど、
  ある美術学校で、先生がクラスを二つに分けて、
  ひとつのグループには作品の量を評価すると告げ
  たんですって。そしてもうひとつのグループには
  作品の質を採点すると。

寿:ふむ。

グ:採点の日が来ると、優秀な作品はすべて「量」グ
  ループから生まれたらしいんです。

寿:つまり結果を出そうと思ったら、練習は「質より
  量」と言いたいのかニャ?

グ:このエピソードからはそんなふうに感じたんです
  けど、老師はどうお考えですか?

寿:まず素朴な疑問じゃが、量と質はどちらか一方だ
  けを選ばなくてはならんものかニャ?

グ:え? でも、量をこなそうと思うと質が落ちるし、
  質を上げようとすれば量が減るんじゃないかしら?

寿:いかなる分野の基礎練習においても、一定量の反
  復は、つまり量をこなすことは必須じゃ。これは
  言うまでもニャい。

グ:じゃ、やっぱり量が大切なのね!

寿:しかし、やみくもに量をこなせばいいかと言えば、
  そうではあるまい。間違った練習をたくさんやれ
  ば、悪い癖がついたり、身体を傷めたり、なによ
  り心構えが雑になってしまうからニャ。

グ:量だけじゃダメってことかしら?

寿:その美術学校のエピソードは、問いの立て方がそ
  もそもおかしいんじゃニャいか? 「量か質か」
  というのはあまりにも乱暴な議論じゃろう。

グ:では、どう問うべきなんですか?

寿:「練習の質を高めるような量の重ね方」を模索す
  るべきじゃろう。

グ:そんな方法があるの?

寿:たとえばアロマねこ気功では「低負荷・高精度・
  多反復」ということを教えておるぞよ。

グ:低負荷?

寿:今の自分が楽にできることをやるのじゃ。

グ:でも、できることばかりやるんじゃ練習にならな
  いわ。できないことをやるから練習でしょ?

寿:そこで高精度じゃ。今できることを、今はまだで
  きないくらいの高い正確さでやる。これはつまり
  質を求めることになるニャ。

グ:具体的にはどうすればいいのかしら?

寿:たとえば4秒吸って4秒吐くという呼吸法を練習
  するとしよう。これは簡単にできるじゃろう?

グ:誰にでもできそうなことだわ。

寿:では、吸いきった時点で、肺の空気量が何%くら
  いかを観察する。同様に吐ききったときも観察。

グ:そういえば、さっきは4秒吸って吐くことしか気
  にしてなくて、空気量までは意識できていなかっ
  たわ。そうね、吸いきったときが70%くらいで、
  吐ききったときが20%くらいかしら。

寿:ふむ。では、次はそれを80%と10%にしてみる。
  逆にそれを、60%と30%にしてみるという方向
  もあり得るぞよ。

グ:きゃ、ただの4秒吸って4秒吐くだけの呼吸がい
  きなり高度な内容になってきた。

寿:条件はいくらでも厳しくしていけるしニャ。たと
  えば55%と45%の幅で呼吸するとか、あるいは
  50%と49%の幅でするとか。

グ:いやーん、そんなのできっこないわ〜!

寿:ま、それは極端な話じゃがニャ。しかしこれをや
  ることで、普段の自分がいかに粗雑な意識で練習
  していたかを痛感するじゃろう。

グ:たしかに。

寿:そこで初めて量の話になるわけじゃ。自分にとっ
  て低負荷な練習を何度も反復する。ただ漫然と繰
  り返すのではなく、内容をどんどん高精度にして
  いく。

グ:はい。

寿:はじめは高負荷に感じたことが、反復するうちに
  低負荷と感じられるようになるのじゃ。そうした
  ら、さらに条件を厳しくして精度を高める。 

グ:それが質と量を同時に求めるやり方ね。

寿:美術学校のエピソードも、量をこなしたグループ
  の中には、無自覚ながらこれと似たアプローチを
  した生徒がいたと考えられるニャ。だからそちら
  のグループからばかり優秀な作品が生まれたと。

グ:どうして「質グループ」にはこのアプローチを試
  す生徒がいなかったのかしら?

寿:そこじゃよ、問いの立て方が間違っておるという
  のは。「量か質か」と言われたとき、「量」を課
  題として与えられた者は、知らず知らず質につい
  ても考えるチャンスが生まれる。もちろん全員で
  はないじゃろうがニャ。一方、「質」を課題とし
  て与えられると、量産することを禁じられたよう
  に感じてしまうんじゃニャいか?

グ:つまり「量か質か」という問い方がミスディレク
  ションを招いたというわけね。

寿:量か質かという二者択一からは、「低負荷・高精
  度・多反復」というアイデアは出てこんじゃろう?

グ:たしかにそうだわ。

寿:量と質を一次元的に正反対の方向に置くと、二律
  背反が生じてしまう。どちらかを増やせばもう一
  方は減ってしまう。Aのようなじつに単純な構図
  とニャる。

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グ:でも、そういうものだと思っていたわ。

寿:ところがBのように質と量を90度の位置に置いて
  みる、つまり二次元的に考えるわけじゃ。このと
  き、先ほどの二律背反はBのような反比例のグラ
  フとして表現できるニャ。

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グ:質が増えるほど量が減り、量が増えるにしたがっ
  て質が下がる...なるほど。

寿:そして「低負荷・高精度・多反復」というのは、
  Cの方向をめざす考え方じゃ。

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グ:なんだか、目からウロコが落ちるわ〜☆

寿:このように考えれば、練習とは「できないことを
  やる」という根性主義ではなく、「できることの
  精度をあげる」という合理主義に置き換えられる
  というわけじゃ。

グ:それは欠点を直すより長所を伸ばすということに
  もつながりそうね。

寿:さらに言えば、「なにを」練習するかより「どの
  ように」練習するかを問う姿勢にもなるニャ。

グ:すごく創造的な練習だわ。

寿:反復練習をすると、一回ごとに小さな違いがある
  はずじゃから、それを見つけては改善したり、く
  ふうを重ねる。その過程で、また新しい発見をす
  ることもあるじゃろう。

グ:その全体が量であり、質でもあるということね。

寿:量なき質はなく、質なき量もないのじゃよ。

グ:わかりました、老師。さっそく今日から質の高い
  量的練習に励みます。

寿:正解はかならず複数あることを忘れずにニャ!

(つづく)

※技術協力:ココアロマ(青森県南部町)
※参考文献:ジョン・マクスウェル著/齋藤孝訳「一勝九敗の成功法則」

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2013 第30回【正解はひとつか】

寿限無老師に弟子入りしたアロマセラピストのグー
リンダイ嬢。練習は「ひとつの正解」を求めるもの
か、それとも「たくさんの正解」があると考えるべ
きなのか。


グ:老師、正解は複数あるんですか?

寿:ニャんじゃ,藪から棒に。

グ:いいえ、壁から釘...って、これは前回やりました
  ね(笑)

寿:アインシュタインは、ひとつの問題に対してつね
  に複数の答えを模索していたというニャ。なにを
  行なうにしても、かならず複数の「正しい」方法
  がある。そう考えることが創造性の基本ニャんじゃ
  よ。

グ:劇作家のジョージ・バーナード・ショーが「知的
  な人はつねになにが正解かはわからないと考える。
  なにかに強い確信を持つのはいつも知的でない人
  のほうだ」と言ってるのを読んでショックを受け
  たの。

寿:ブコウスキーというアメリカの詩人も「賢者は迷っ
  てばかり、愚者は自信満々。それがこの世の問題
  さ」と言っておるニャ。

グ:でも、それじゃなにを信じて修行すればいいかわ
  からないじゃないですか。

寿:この話は、いくつかの段階に分けて考える必要が
  あるニャ。

グ:段階?

寿:ここで教育というものを冷徹に観察しようニャ。

グ:れいてつに...???

寿:私情をはさまずに、教育とはどういうものかと考
  えたとき、それは「賢と愚の高低差を埋める行為」
  と定義することができんかニャ?

グ:きゃあ、それはまたドライな表現ね。

寿:師匠が賢であり、弟子は愚である。その賢と愚の
  差を小さくするプロセスが「教える/習う」とい
  う現象なんじゃニャいか?

グ:たしかにそういう見方もできるわね。

寿:したがって教育の初歩段階、つまり賢愚の差が大
  きい時期には、師匠は弟子をひとつ上のレベルへ
  導くことに集中しなくてはならん。その方便とし
  て「これだけが正解である」と、ひとつの方法を
  示すわけじゃ。

グ:ほうべんとして?

寿:愚である弟子のレベルに合わせるのじゃニャ。本
  当はほかにも「正解」はあるのじゃが、今はそれ
  らのことに関心を向けないで、ここにあるただひ
  とつの方法にだけ注目しなさいという表現を取る
  わけじゃ。

グ:何のためにそんなことをするのかしら?

寿:弟子の迷いを取り除くためじゃよ。学びの初期段
  階で「あれも正解、これも正解、こんな考え方も
  ある」と複雑な現実を見せられたら、弟子はどう
  していいかわからなくなるじゃろう?

グ:迷路にひとりで放り込まれるようなものね。

寿:バーナード・ショーの言葉にもあるように、人間
  は愚の段階にあるとき「なにかに強い確信を持つ」
  ものじゃ。したがって、そのレベルに合わせた教
  え方をするのが優秀な教育者ということにニャる。

グ:ははあ...。

寿:しかしながら「なにかに強い確信を持つ」「自信
  満々」のまま、つまり愚の状態のままでは、弟子
  は進歩していないことになるぞよ。

グ:どこかで疑いが生まれるということかしら?

寿:疑いか、おもしろい言葉を使うニャ。たしかにそ
  れはある種の疑いじゃろう。師匠から与えられた
  「正解」以外のものにも目が向き始める。つまり
  前しか見えていなかったのが、上下左右の景色も
  視界に入ってくる。それが上達であり成長じゃ。

グ:つまり師匠から与えられる課題は、それがすべて
  ではなく、ひとつの「きっかけ」みたいなものと
  考えればいいのかしら?

寿:そうじゃニャ。それは出口ではなく入口であると
  言ってもよいニャ。このプロセスは古くから知ら
  れており、日本では「守破離」と呼ばれてきた。

グ:しゅはり?

寿:ものごとを習得する段階を三つに分けたのじゃ。
  諸説あるが、江戸時代の茶匠・川上不白 が記した
  「不白筆記」が出典と言われておるニャ。

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グ:どんなものなのかしら?

寿: 一般的には三つの段階をこう解釈する。つまり
  「守」は基本。師の教えや型を学ぶ段階。「破」
  は応用。師の教えや型を深め広げる段階。「離」
  は創造。師の教えや型を離れる段階。ただ「守」
  はよいとして、「破」や「離」については解釈
  が分かれるようじゃがニャ。

グ:どういうことかしら?

寿:師弟関係をたいへん堅固なものとする解釈の場合、
  「守」では疑うことなく師匠の教えを守り、まね
  る。「破」では師匠の技をさらに探求し、自己の
  悪癖を取り除く。「離」では師匠の教えを自然に
  実現できるよう完成する。型を意識することなく
  自由自在にふるまう中から弟子独自の技が創出さ
  れる。

グ:師匠のもとでスクスクと成長する優等生の姿ね。

寿:しかし師弟関係をもっと自由なものととらえる解
  釈もあるぞよ。「守」では師についてその方法を
  習うが、「破」では自分なりのくふうも加えて、
  それまでに身につけた型を破る。そして「離」に
  なると師匠のもとを離れて独自の境地を開く。

グ:そっちのほうが「守破離」という言葉のニュアン
  スをうまく表現してるように感じるわ。

寿:実際、「不白筆記」にはそういう意味のことが書
  かれておるようじゃ。師がAを教えて、弟子がそ
  れを破る。つまり非Aを生み出すわけじゃ。そし
  てAと非Aの両者を合わせて、そのどちらでもな
  いBを創造する。しかしBにはAと非Aの両方とも
  が息づいている、とニャ。

グ:とっても高度な話ね。むずかしいわあ...。

寿:吾輩はさらに踏み込んだ解釈を提案しておるぞよ。
  すなわち「大の守破離」「中の守破離」「小の守
  破離」というものじゃ。

グ:へえ〜、さすが老師、スケールが大きい!

寿:大中小は時間の長さによって区分する。大の守破
  離とは、数年から数十年の期間が対象になるもの
  じゃ。ある技術を身につける過程や、弟子の生涯
  にわたる長期的上達のことじゃ。

グ:じゃ、中の守破離は?

寿:それは数日から1~2年程度の中期スパンを対象と
  するニャ。日々の練習で生まれる変化や上達につ
  いて考えるのじゃ。

グ:じゃ、小の守破離はもっと短い時間ね。

寿:1~2日から秒単位の短期スパンじゃニャ。学習す
  るときの心身の状態や、エクササイズ前後の変化
  などについての話じゃ。

グ:具体的に、数秒で起きる「小の守破離」ってどん
  なものなのかしら? 師匠から技を習ったその場
  で、破とか離が起こるの?

寿:たとえば習った型を「そのまま形だけ」まねるの
  が「小の守」じゃ。しかしそれでは死んだ稽古に
  なってしまう。

グ:生きた稽古って、どうすればいいのかしら。

寿:習った型を「自分のものとして」消化する必要が
  あるニャ。それが「小の破」じゃ。

グ:消化する?

寿:たとえば「気を入れて稽古する」のような表現は、
  形だけを漫然と反復してもダメだということを教
  えておるんじゃニャいか。

グ:はあ、つまり「守」だけでなく一瞬一瞬「破」を
  意識しなさいという意味ね。

寿:「小の離」は、与えられた型(A)に自分なりの
  くふう(非A)を統合し、自分の技(B)として吸
  収することと言えるじゃろう。

グ:そういう「小の守破離」を稽古でくり返すのね。

寿:そしてそのプロセス全体が「中の守」となっていく。
  それを積み重ねることで、やがて大きな「破」が訪
  れる。それが「中の破」じゃ。やがて「中の離」が
  訪れ、それらの「中の守破離」をいくつもくり返す
  ことが「大の守」となる。そして「大の破」「大の
  離」へと拡大していくわけじゃ。

グ:ひゃ〜、壮大なスケールの話だわ。

寿:そしてきわめて繊細な話でもあるのじゃよ(笑)

(つづく)

※技術協力:ココアロマ(青森県南部町)
※参考文献: 著:フレドリック・ヘレーン「スウェーデン式アイデア・ブック」

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2014 第31回【悟りはゴール?】

寿限無老師に弟子入りしたアロマセラピストのグー
リンダイ嬢。「悟り」とはなにかというビッグな疑
問について、寿限無老師の教えを請います。

グ:老師、悟りってなんですか?

寿:ニャんじゃ,藪から棒に。

グ:いいえ、壁から釘...って、これはもう三回目で
  すね(笑)

寿:繰り返しギャグにすれば落語ネタもなじんでく
  るものじゃニャ。で、悟りについて聞きたいの
  かニャ?

グ:バカも〜ん十年早い、とかおっしゃいます?

寿:お釈迦さんは29歳で出家し、35歳で悟りを開
  いたとされる。きみが悟りについて興味を持つ
  ことが「十年早い」ということはニャいぞよ。

グ:よかった。で、悟りってなに、なに、なに?

寿:きみは悟りにどんなイメージを持っておるのか
  ニャ?

グ:長い長い修業生活を経てたどり着くゴールのよ
  うに思っていたけど、お釈迦さんはたった6年
  で悟ったのかしら? 35歳って、まだ青年です
  ものねえ。

寿:ふふふ。仏教的な意味の悟りはともかく、アロ
  マねこ気功の修行において、悟りをどうとらえ
  るかについて考えるのは意義深いことじゃよ。

グ:悟りってゴールじゃないの? すごろくでいう
  「あがり」みたいな。

寿:悟後の修行という言葉を聞いたことがあるか?

グ:ゴゴの修行? 午後のティータイムなら...。

寿:悟った後の修行のことじゃよ。この言葉がある
  からには、「悟り=ゴール」ではないことがわ
  かるじゃろう?

グ:あら、つまらないのね。

寿:悟りとはゴールというよりルートといったほう
  が近いかもしれんぞよ。

グ:ルート?

寿:アメリカの平和活動家A.J.マスティの言葉にも
  「平和への道などない。平和は道そのものだ」
  というのがあるニャ。

グ:その表現を借りれば、「悟りへの道などない。
  悟りは道そのものだ」ということね?

寿:大正から昭和初期にかけて一世を風靡した健康
  法「岡田式静座法」の創始者が岡田虎二郎じゃ。
  岡田は弟子たちにこう言った。「静座をしよう
  と志した時に、その人はすでに悟りの道へ入っ
  たのだ。 大事なのは悟後の長養であり、静座の
  道を一生歩いて行くことだ」。

グ:...てことは、あたしはもう悟っている?

寿:ニャはは。アロマねこ気功の修行をしようとい
  う気持ちになった時、すでに悟りの道に入った
  というのは間違いではあるまい。しかし「悟っ
  ている」という表現が正確かどうか。

グ:どういうふうに理解すればいいのかしら?

寿:あくまでもたとえ話じゃが、100本の矢を想像
  してごらん。

グ:100本の矢ね、想像したわ。

寿:100本がすべて上を向いている状態を「100」、
  すべて下を向いているのが「0」とする。

グ:OKよ。

寿:仮に矢が上向きのときが「悟り」で、下向きの
  ときがその反対、これを「迷い」とでも呼ぼう
  か、そういうことにしておこう。

グ:はあ...。

寿:そして100本の矢はそれぞれがクルクルと上向
  きになったり下向きになったりを繰り返してい
  る。どの1本を見ても、一瞬たりとも静止して
  いないのじゃ。

グ:なんだか目まぐるしいわね。

寿:アロマねこ気功の修行を積んで、あるとき80本
  ほどが一斉に上を向いたら、きみはどう感じる
  じゃろう?

グ:「あ、これが悟りだわ!」と感じるんじゃない
  かしら?

寿:おそらくそうなるじゃろう。そのとき「これで
  私は悟った、ゴールに到達した」と思い込んだ
  らどうなる?

グ:悟後の修行なんかやりそうにないわ(笑)

寿:実際には、ある瞬間に80本が上を向いても、次
  の瞬間には50本が下向きになり、また15本が
  上を向き、みたいに矢の状態は変化を続けてい
  ると考えるべきじゃろう。

グ:つまり100本のすべてが上向きで固定されるま
  で修行を続けるべきということかしら?

寿:うーん、ちょっと違うニャ。きみが生きている
  限り矢は固定されない。どんなに高い境地にた
  どり着いても、そこで気を許せば矢はバラバラ
  と下向きになるじゃろう。

グ:えー、それじゃなんにもならないじゃない!

寿:多くの人は、矢の向きなど関心すら持たないで
  生きておる。当然、矢はすべてが無秩序に上を
  向いたり下を向いたり、まさに迷いの世界その
  ものじゃ。

グ:ふつうの人でもなにかの拍子に矢は上を向くこ
  とがあるの?

寿:人助けをしたとか、感動的な話を聞いたとか、
  誰かの親切が身にしみたとか、あるいはものす
  ごく体調がいいとか、そういう場面でごく短い
  時間、何本かの矢が上を向く。

グ:アロマねこ気功でパジャアース(※)をやった
  とき、心が澄み切ったような状態になるのもそ
  れかしらね。

※パジャアース:アロマねこ気功の基本功法。書籍「パジャマで出かける呼吸旅行」参照。

寿:もちろんじゃ。アロマねこ気功のエクササイズ
  は、矢の方向を上向きにするようプログラムさ
  れておるからニャ。

グ:でも、効果は長続きしないのよねえ...。

寿:そこじゃよ。悟りとは「到達する境地」ではな
  く、ある種の「体験」と考えればよい。

グ:ははあ、悟りは「資格試験に合格しました」と
  いうようなものではないのね。

寿:今この瞬間に悟りの方向を向いているかそうで
  ないかというニュアンスのほうが近いニャ。そ
  して何%くらい悟りモードか、というふうな表
  現もできそうじゃ。

グ:じゃあお釈迦さんが35歳で悟りを開いたという
  のはなんのことを言ってるのかしら?

寿:仏教的な解釈はわからんが、アロマねこ気功的
  に説明するなら、菩提樹の下で瞑想していると
  き、一時的に100本かそれに近い矢が上を向い
  た体験をしたということになるじゃろう。

グ:一時的、なの?
 
寿:さきほども断ったが、これはあくまでもたとえ
  話なので、お釈迦さんの体験を正確に表現する
  ことはできニャい。また、悟りの内容を完全に
  理解することも不可能じゃ。

グ:結局、自分で体験するしかないということね。

寿:それは悟りに限らんじゃろう? 食べたことの
  ない料理の味は、いくら説明を聞いても本当に
  はわからん。行ったことのない土地の話をくわ
  しく聞いても、それは自分の実感ではないし。

グ:たしかにそうね。でも、老師のお話を聞いて、
  アロマねこ気功の修行の方向性が見えた気がす
  るわ。

寿:それは結構。ただし、あまり強い目的意識は逆
  に修行の妨げになることもあるので注意が必要
  じゃよ・

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グ:え、どういうこと?

寿:気功の世界でよく言われることじゃが、「不求
  不得、求則不得、不求而得」とニャ。
  
グ:なにそれ、アブラムシのまじない? よくわか
  んないんだけど。

寿:求めなければ得られニャい、しかし求めればこ
  れまた得られない、そこで求めずに得られるよ
  うになるのがよいという教えじゃ。

グ:求めずに得る...それ、どういうこと?

寿:先に紹介した岡田虎二郎は「発展の目標を定め
  て修行するのではなく無目標で修行をしなけれ
  ばならない。あえて求むるなかれ、無為の国に
  静座せよ」と言った。同じことじゃニャ。

グ:アロマねこ気功だとどうなるの?

寿:入口はチャイルドタイムじゃ。の〜んびりと現
  在という時間にとどまる。そしてフィッシュス
  イムしながらSOシフトを感じる。私が背骨を
  動かすのではなく、背骨が私を動かす、とニャ。
  「求めずに得る」という一見矛盾した世界へは
  このように アプローチするのじゃよ。

グ:ああ、一から修行をやり直さなくちゃ。

寿:ま、の〜んびりとニャ。

(つづく)

※技術協力:ココアロマ(青森県南部町)

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2014 第32回【肩と腰のセルフマッサージ】

アロマセラピストのグーリンダイ嬢にも、寿限無老
師との別れのときが来ました。新しい世界へ旅立つ
弟子に向けて、師匠がアドバイスを授けます。

グ:老師、お話があります。

寿:ニャんじゃ,藪から棒に。

グ:いえ、壁から釘っ...て、なんだか恒例になっ
  ちゃったわね(笑)

寿:「粗忽の釘」という落語じゃニャ。

グ:上方落語では「宿替え」というのよ。

寿:で、話というのは?

グ:あたし、そろそろ仕事に復帰したいんです。

寿:アロマセラピストじゃニャ。

グ:アロママッサージにねこ気功を取り入れて新し
  いセラピーを作りたいの。

寿:うむ、きみにも基本から応用までいろんニャこ
  とを伝えたから、そろそろ自分の道を歩んでい
  い頃じゃ。行くがよい。

グ:で、最後のレッスンということで、なにかアド
  バイスをいただけませんか?

寿:よかろう。多くの現代人が不調を抱える「肩と
  腰」について実践的なワークを伝授しよう。

グ:きゃ、それ、嬉しい。ありがとう、老師!

寿:肩が凝るという現象は、じつはもっと深いとこ
  ろに問題がある。したがって、肩そのものを揉
  んでも効果は一時的なことが多いんじゃ。

グ:へえ、どこへアプローチすればいいのかしら?

寿:肋骨とそのまわりの筋肉、肋骨に乗っている肩
  甲骨・肩関節・鎖骨およびそのまわりの筋肉、
  これらへ総合的に刺激を与える必要があるニャ。

グ:どんな風にマッサージしようかしら?

寿:吾輩は自分でほぐす方法を教えよう。きみは専
  門家としてそれを応用し、独自のマッサージを
  考えるとよいぞ。

グ:はい。お願いします。

寿:ここでは「ツインボール」という方法を紹介す
  るニャ。

グ:ツインボール...双子の玉かしら?

寿:左右の肋骨内に一個ずつ球体があることを想像
  してごらん。

グ:どれくらいの大きさの球体?

寿:大きさは厳密でなくともよい。だいたいソフト
  ボールからボーリングの間くらいのをイメージ
  すればよいぞ。

グ:ボーリング玉じゃ肋骨内に収まらないわよ!

寿:だから適当でよいのじゃよ。自分の肋骨に気持
  ちよく収まるくらいの大きさでニャ。

グ:はい、イメージしたわよ。

寿:まず最初は、その玉を後ろから前へ転がすよう
  なつもりで体を動かしてごらん。

グ:後ろから前へ? 

寿:後ろから上へ、そして前から下へ、そしてまた
  後ろへという前方回転じゃ。

グ:な、なかなか難しいわね...。

寿:肋骨と背骨、特に胸椎を柔軟にしておかなくて
  はならんぞよ。

グ:なにかコツのようなものはないの?

寿:水泳にバタフライという泳法があるじゃろう?
  あれを腕ではなく肋骨でやる要領じゃニャ。

グ:ふむ。あ、なるほど、肋骨バタフライね。少し
  感じがつかめてきたわ。

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寿:今のが「フォワード」つまり前方回転じゃ。次
  に逆回転「バックワード」をやるぞ。今度は肋
  骨の中で前から後ろへボールを回転させるニャ。

グ:え? 後ろ向き??? え〜と...??

寿:肋骨をゆるめて、背骨を柔軟にニャ。

グ:こ、これであってるかしら??

寿:うむ、初回にしては上出来じゃよ。ニャはは。
  さて、動きをとめてごらん。どうじゃ、肩の具
  合は?

グ:え? あら、なんだか肩が軽いわ! 

寿:そうじゃろう。肩まわりの筋肉群へ内側から刺
  激を送ったからじゃよ。

グ:え〜! おもしろ〜い!!

寿:今度は肋骨内のボールを水平方向に回転させて
  みよう。平泳ぎの要領じゃ。

グ:これも、カエル泳ぎを腕を使わず肋骨でやるわ
  けね。

寿:それがフォワードじゃ。そして逆回転させるの
  がバックワードとニャる。

グ:バックワード...、こんな泳ぎ方ないわよ。

寿:ニャはは、たしかにそれでは泳げんニャ。ボー
  ルの回転方向だけ意識すればよいぞ。

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グ:肋骨がずいぶん柔らかくなってきたわ。

寿:では肩の状態をチェックしよう。

グ:なるほど、さっきのバタフライだけではほぐせ
  なかったところまで刺激が伝わったみたい。

寿:これがツインボールの「フロッグ」じゃよ。そ
  して三つ目の回転「ピーコック」をやろう。

グ:ピーコックって、孔雀のことかしら?

寿:孔雀が羽根を広げるように、中央から上、そし
  て右、下、ふたたび中央を上へというふうに、
  肋骨内ボールに回転運動をさせる。

グ:これがフォワードね。

寿:その逆回転がバックワードというわけじゃ。

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グ:動きに合わせて肩も上下していいのかしら?

寿:最初のうちはそれでも構わんが、慣れてきたら
  徐々に肩の動きを減らしてごらん。それは肋骨
  と肩甲骨が分離することニャんじゃ。

グ:肩甲骨?

寿:正確には「肩甲骨・肩関節・鎖骨のかたまり」
  が肋骨の上で浮いているような状態じゃ。

グ:「肩甲骨・肩関節・鎖骨のかたまり」はそっと
  しておいて、肋骨部分だけをぐにゃぐにゃと動
  かす感じでいいのかしら?

寿:そうじゃよ、そうじゃよ。このように、肋骨を
  柔軟に動かすことを目的として、胸郭内に想像
  上のツインボールを用意する。そしてそれらを
  バタフライ、フロッグ、ピーコックの三方向へ
  動かす。フォワードとバックワードを別に数え
  れば六方向じゃがニャ。

グ:このワークをやってみると、ふだん自分がいか
  に肋骨を固めて生きていたか痛感するわ。

寿:それが現代人の肩こりにつながるとも言えるの
  じゃよ。

グ:じゃあ、マッサージでは、被術者に対してこの
  ような肋骨の動きを促すような手技を施せばい
  いわけね。

寿:ま、そのへんはきみの専門分野じゃ。まかせる
  がニャ。

グ:腰はどうすればいいの?

寿:今と同じことを骨盤内に設けた二つのボールで
  やるのじゃよ。

グ:老師、長い間、いろんなことを教えてくださっ
  てありがとうございました。

寿:うむ。きみのアロママッサージ店が繁盛するこ
  とを祈っておるぞよ。元気でニャ。

(了)

※技術協力:ココアロマ(青森県南部町)

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るばんが 〜みんな呼吸が教えてくれた〜
2014 第1回【正反対の往復運動】

投稿者 kurosaka : 2004年11月13日