ワールド・プロジェクト・ジャパン  〜 合奏音楽のための国際教育プロダクション 〜


瀬川昌久先生の思い出

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1996年8月3日、石川県小松空港から我々一行は貸切バスで出発した。七尾市和倉温泉まで約2時間の旅である。目指すはモントレー・ジャズ・フェスティバル・イン能登。

車中にはアルトゥーロ・サンドヴァル、リッチー・コール、サリナ・ジョーンズ、スーザン・マスカレラほか出演者と、我々運営スタッフが乗っていた。瀬川昌久先生もご一緒されていた。

金沢市内を抜け、バスは能登半島へ入る。サービスエリアで軽く休憩することになった。七尾までもうすぐだ。みんな思い思いに休憩し他のだが、瀬川先生はなんとラーメンをお食べになるとのこと。

「もうすぐ和倉温泉に着きますし、食事もご用意してますよ」と申し上げようとしたのだが時すでに遅し。大のラーメン好きサリナ・ジョーンズと並んでカウンターに座り、おいしそうに食べて始めておられた。その夜、旅館のご馳走がどうなったかは知るよしもない。食べ物については、そんなお茶目な一面のある方だった。

私が1990年にワールド・プロジェクト・ジャパンを立ち上げたときから、瀬川先生にはひとかたならぬお世話になった。当時はアメリカやオーストラリアの演奏旅行など、当社はさかんにアウトバウンドの仕事をしていた。航空券や保険の手続きをする旅行会社を紹介してくださったのも瀬川先生だった。

他にも音楽家や業界関係者を数多くご紹介いただき、毎日のように連絡を取り合う日々だった。1990年〜2001年の11年間は、毎年モントレー・ジャズ・フェスティバル・イン能登でもご一緒させていただいた。能登ジャズウォーズという社会人ビッグバンド・コンテストの審査員長もお引き受けくださった。

チャーリー・パーカー、デューク・エリントン、バド・パウエルらの生演奏をニューヨークで聞いた数少ない日本人であり、戦前ジャズのレコード発掘と紹介にも努められた。

音楽業界への多大な貢献についてはもとより、個人的にも心よりご冥福をお祈りいたします。瀬川先生、ありがとうございました。

投稿者 kurosaka : 2021年12月30日