ワールド・プロジェクト・ジャパン  〜 合奏音楽のための国際教育プロダクション 〜


丸谷明夫先生の思い出

  • Check

2000年9月3日の夜。場所はオーストラリア・シドニーのレストラン、メンバーは関西学生吹奏楽連盟のスタッフと関西吹奏楽連盟理事長(当時)松平正守先生、そして淀川工業高校(当時)の丸谷明夫先生。

9月15日にはシドニーオリンピックの開会式が開催される。そこで8分間のマーチング演奏と2時間に及ぶ選手団入場行進の演奏を行なうのは、世界20数カ国の青少年で構成された「シドニー2000オリンピックバンド」という2000名の国際選抜楽団だ。

日本からは約200名の学生が参加し、レストランで集っていたのはその実行委員会メンバーである。私(黒坂)はこのプロジェクトの日本コーディネーターを務めていた。

開会式演奏に先立つ2週間は、2000名の動きを練習する合宿にあてられた。合宿地へ向かう前日の9月4日には、シドニーオペラハウスを会場とした記念コンサートが開かれた。出演するのは、オーストラリア、アメリカ、日本など各国の代表バンドである。

9月3日の夜は、その打ち合わせを兼ねた食事会をシドニー市内のレストランで開いていた。その場で、丸谷先生は私に頼みがあると前置きして、コンサートの演出案を話し始められた。その内容はこうだった。

日本選抜バンドは、翌夜のオペラハウス公演の最後に「We Are The World」を演奏する。指揮はもちろん丸谷先生。曲の途中で指揮台の上で客席を向いて、蛍光スティックをポキンと折る動作をする。聴衆には事前に一人一本ずつ蛍光スティックを渡してある。丸谷先生の指示で聴衆もみんなそれをポキンと折ってもらうのだ。

丸谷先生から私への頼みとは、その「ポキン」のタイミングで、オペラハウス内の照明をすべて消すようステージマネージャーへ伝えてほしいというものだった。翌日のサウンドチェックで、私はオペラハウスのステージマネージャーにこの案を話し、念入りにタイミングを確認しておいた。

さてコンサート当夜、演奏は順調に進み、いよいよ「We Are The World」。オペラハウス内の照明が全て落とされ真っ暗闇。聴衆が持つ蛍光スティックが左右に揺れる中で曲が進行する。この演出は効果抜群だった。

照明が戻り、アンコールとして「Y.M.C.A.」を演奏すると、会場は歓喜、興奮、喝采に包まれた。さらなるアンコールを求められたが、曲を用意していなかったので、1曲目の「東京オリンピックマーチ」を再演。丸谷先生はこの夜、国際的なスターコンダクターとして拍手を一身に浴びられた。

このコンサートはYouTubeで見ることができる。画質・音質・アングルなど当日の雰囲気を十分に伝えきれてはいないが、丸谷先生の勇姿はお楽しみいただけるだろう。

丸谷先生とは1990年頃からいろんなプロジェクトでご一緒した。カリフォルニアの合唱団が淀川工業高校を訪ねたこともある。当社の環太平洋音楽祭(ハワイ)へ丸谷先生をお招きしたこともある。大阪城ホールで開催されたマーチングバンドの全国大会を拝見したり、淀工近所の居酒屋で当社のオーストラリア・スタッフを交えて盃を交わしたことも。

いろんな思い出があるけれども、一番印象に残っているのはやはりシドニーオペラハウスでの演奏会だ。丸谷先生、素晴らしいショーをありがとうございます。心よりご冥福をお祈りいたします。

参考:「シドニー2000オリンピックバンド」のレポート

投稿者 kurosaka : 2021年12月13日