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ティーチング・ブラスの研究

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【インデクス】
まじめな研究書
第一の視点:唇の役割
第二の視点:アシストとしての筋肉
第三の視点:生理的反射の克服
共通する考え方




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ティーチング・ブラス
〜管楽器指導の新しいアプローチ〜
著:クリスティアン・ステーンストルプ
訳:前川陽郁、西田和久
https://amzn.to/3SbRQof






めな研究書

本書は金管演奏の指導法について、たいへんまじめ
に書かれた書物です。生理現象や人間心理と演奏と
のかかわり、実践的な指導法・練習法にも言及した
意欲的な著述だと思います。

物理学や生理学に関して誠実かつ正確であろうとす
る著者(および翻訳者)の姿勢がにじみ出ており、
それらの情報も現在入手しうる範囲で十分に新しい
ものだと思われます。真剣に読むべき本であり中途
半端な批判や反論は慎むべきでしょう。

著者はヴィンセント・チコヴィッツ、アーノルド・
ジェイコブズ、ジョン・ヘネスらに師事し、大きな
影響を受けたと述べています。

本書において語られる内容は興味深く、傾聴に値す
るものですが、当然ながらタングマジックとは主張
を同じくする部分と異なる部分があります。

ここでは細かい相違について個別に比較検証するつ
もりはありませんけれども、TM学習者の混乱を避け
る意味で、大きく三つの視点から本書とTMの考え方
の違いについて概観しておきます。


第一の視点:唇の役割
第二の視点:アシストとしての筋肉
第三の視点:生理的反射の克服


たいへんな長文になりますので、三回に分けて掲載
します。以下、TBは本書「ティーチング・ブラス」
を、TMはタングマジックをあらわします。







第一の視点:の役割

TBでは唇自体が振動の調整を行なう(唇に行なわせ
る)ことを前提としています。それゆえマウスピー
ス・バズィングを推奨する立場をとっています。



このことは、楽器本体から外したマウスピ
ースで練習することが適切かどうかの議論
につながる。演奏曲をマウスピースだけで
練習することは、多くの金管楽器奏者が練
習手段として用いているが、教師によって
は、そのようなやり方を推奨せず、そうし
ないように勧めることさえもある。

(中略)

マウスピースだけの場合とマウスピースを
楽器に装着した場合とでは、音響学上の状
況や唇のバズィングが違ってくるというと
ころは正しい。楽器の空気柱の中の定常波
がなければ、唇の振動を助けたり、それに
影響したりするものが何もないため、唇
は、自律的に振動することを余儀なくされ
る。つまり、歌手が声帯を振動させるのと
全く同じようになる。しかし、このことが
まさしく、マウスピースでの演奏が非常に
有効な手段であることの理由の一つなので
ある。(p17)


内容の是非はひとまずおくとして、TMでは唇自体が
振動の調整を行なう(唇に行なわせる)ことを前提
としません。

この「前提」の違いが、TBで展開される論理や練習
体系とTMのそれとの違いを生んでいる。舌の役割に
対する考え方(p117〜)の違いも、ここから来てい
ると思われます。

ここでは「どちらが正しいか」ではなく、TBとTMの
「どこが異なるか」を示すにとどめ、先へ進むこと
にしましょう。







第二の視点:アシトとしての筋肉

呼吸について、TBでは伝統的なドイツ式歌唱で用い
られる方法への否定的な見解を載せています。



胸部の関わりを最小限にして息を吸い(つ
まり、腹と横隔膜による呼吸)、次に、息
を吐く段階で声を出す間、腹筋に対して圧
力をかけることで横隔膜が上がるのを遅ら
せるのであり、この働きは「腹部外方支
持」と呼ばれる。

リチャード・ミラーが述べているところで
は、「このメソードにしたがってドイツ式
に訓練された歌手の中には、コルセットか
ベルトの腰帯を着用して、それに向けて腹
を押し出すことを息の保持の手段とし、筋
肉による支持を増大させる者もいる。これ
は、実際には、腹部の内臓に対して押し出
すことであって、医学の面から観察すれ
ば、吸気と呼気のサイクルにはほとんど関
係を持たない。(p63)


TBでは、他方でイタリア流派を肯定的に扱ってい
ます。



イタリア流派は、そのようなメソードから
は距離をおくものである。イタリア流派
は、それとは違って、比較的高い胸骨を推
奨し、雑音を出したり筋肉の抵抗にぶつ
かったりしないで大きく息を吸うことを主
張し、また、息を吐いて発声する間には歌
手が音とその美しさに焦点を合わせること
を推奨する。

(中略)

明らかに、そのようなアプローチは、他の
いろいろな流派のアプローチとは反対に、
自然な身体機能にほとんど損害を生じさせ
ないのである。これらの特質が、アーノル
ド・ジェイコブスや同じ「流派」の他の人
たちから始まった教育法にどの範囲まで似
ているかを検討すると、金管楽器奏者はい
ろいろ考えさせられるのであり、この流派
は、北アメリカの金管楽器演奏に、そして
徐々に、世界の他の地域でも、大きな影響
をおよぼしてきている。(p76)


「比較的高い胸骨を推奨」するのはボビー・シュー
の「ウェッジ」やクラウド・ゴードンの「チェスト
アップ」にも見られるように、まさに北アメリカに
おいて実践される方法です。そのルーツをたどると
イタリア流派の歌唱法に行きつくのでしょうか。

いずれにしても、TM講習会では「チェストアップ」
あるいは「へこへこ」を推奨していますので、その
点ではTBと同じです。ただTM理論においては「ドイ
ツ式」あるいは「ふくふく」は否定すべき対象では
ありません。

「へこへこ」も「ふくふく」も、つまりドイツ式も
イタリア式も、本質的には「まま呼息」という共通
点があり、どちらかが他方よりもすぐれているとは
考えないのです。

なお、TMでは胸式と腹式について、現代的視点から
整理し直しています。こちらをご参照ください。

ところで、サッカーやアイスホッケーなどのスポー
ツにおいて、得点に貢献するパスを供給した選手に
与えられる「アシスト(補点)」という記録項目が
あります。直接ゴールを決めたストライカーだけで
なく、そこへ的確なパスを出したプレイヤーも得点
に関与していることを評価するわけです。

TBでは、ある運動に「直接」関与しない筋肉のこと
を軽視(もしくは無視)する傾向を感じます。



教師は、腹部と壁の間にほうきの柄を固定
して、それを床に落とさないように練習す
るのを生徒に奨励することもあり、生徒
は、そうすることで、内臓に対して腹筋と
横隔膜を同時に強く活動させて、腹部を動
かなくせざるをえないのである。これは、
非常に筋の通らない方法である。なぜな
ら、唇の振動を促進するのは、空気の動き
であって、腹部の中の固定された内部圧力
ではないからである。この働きは、しばし
ば「支え」と呼ばれてきた(p64)

歌っている間に背中下部を積極的に関わら
せることについての意見は、20世紀のドイ
ツの歌唱の流派ではごく普通に見られる。
(中略)背中の下の方の筋肉の活動を過度
に感じることは、たぶん、筋肉の拮抗作用
のためであり、それは、呼吸には直接関係
しない。(p73)

管楽器の教師は、肩を上げるのを生徒に禁
じることが多く、おそらくそれは、肩の余
分の、つまり、直接呼吸に関わるのではな
い筋肉の活動を制限しようとしてのことで
ある。それで、生徒は肩を下げた状態に保
つことに熱心になり、そうすることを教師
は望むかもしれないが、これは、「正し
い」呼吸筋の使用にプラスになるプログラ
ミングではない。肩を下げた状態に保つこ
とは、横隔膜を活動させるわけでも、肋間
筋を活動させるわけでもないため、このよ
うな指示には、全く見た目の点の価値しか
ない。(pp74-75)


TM理論でいう「まま呼息」の役割は体幹部、特に
腹腔部の安定です。呼気に関わる胸部の筋肉群がう
まく働けるように「アシスト」するのが、まま呼息
という腹腔コントロールと考えるわけです。

またショルダリングは肩甲骨と肋骨の関係をより自
由にすることで、肋間筋の働きを「アシスト」する
効果があります。

呼吸のように複雑な身体運動を考えるときに、この
「アシスト」という概念はたいへん重要です。「唇
の振動を促進するのは空気の動き」であることに対
して「腹部の内部圧力」が関与しているかどうか、
そもそも「関与」とは何のことをさしているかは、
慎重に検証する必要があるでしょう。

「ゴールを決めたのはストライカーであって、彼に
パスを出したプレイヤーは、シュートと直接"関与"
していない」という意見は、ある狭い部分を見れば
正しいけれども、ゲーム全体を見ているとはいえな
いからです。

スポーツの場合、アシストは必ずしも一人の選手に
限定されません。ダブルアシストという形で2人の
選手にアシストを付ける場合もある。呼吸の場合も
同様で、ダブルアシスト、トリプルアシストがあり
えます。それほど呼吸は奥が深い運動なのです。

TMでは、呼吸に「直接」関与しない筋肉群も、そ
のアシストの役割に大きな注意を払う点がTBと異
なるといってよいでしょう。






第三の視点:生理反射の克服

TBではくり返し「ヴァルサルヴァ(バルサルバ)」
という用語が使われています。

ダイビングをやる方はバルサルバ法という言葉にな
じみがあるかもしれません。水に潜ったとき、耳奥
の空気が圧迫され、鼓膜に痛みを感じるなどのトラ
ブルが生じます。これを解消するために、空気を内
側から鼓膜へ送って圧平衡をはかる「耳抜き」の技
法がバルサルバ法です。飛行機に乗って耳がツーン
とするときも使えます。

バルサルバ効果(valsalva maneuver)は、気道を
閉じた状態で強制的に息を吐こうとすることによっ
て起きる現象。これによって筋緊張が高まり、想像
以上の力(いわゆる火事場の馬鹿力)が出たり、血
圧が上昇したりします。イタリアの解剖学者アント
ニオ・マリア・バルサルバ(1666-1723) が使った
ことから名付けられました。

閉気道強制呼気(口と鼻をふさいで息を吐こうとす
る)によって引き起こされた直腸筋、腹筋、声帯、
口唇などの筋緊張が、頻繁に、反射的に起こること
をバルサルバ反射といい、呼吸や発声、自律神経
(心拍、血圧など)に病的な症状を引き起こすこと
があります。一部の吃音症は、バルサルバ反射が原
因とする仮説もあるようです。

さて、TBでは「ヴァルサルヴァ活動」という表現を
使って、この現象についての話が何度も出ます。



たとえば、喉頭を強く閉じれば、腹筋が活
動させられていることは即座に明らかにな
る。同じことは、直腸を強く収縮しても起
こる。同様に、腹筋と横隔膜を内臓に対し
て収縮させると、喉頭が閉じるのを感じ取
ることになる。(中略)オーボエやトラン
ペットのような呼気の最高の空気圧を要求
する楽器は、ヴァルサルヴァ活動の介入に
関する問題が一番よく見られる楽器でもあ
る。(pp94-95)

(中略)

トランペット奏者とホルン奏者は、「腹を
使って」外向きに押す動きをして「音を支
える」ように教えられてきていると、横隔
膜と腹筋を内臓に対して収縮させる。その
ような練習をすることで必要な呼吸の力が
確実に得られるという仮定に基づいてのこ
とだが、それらの筋肉の一つの活動が、完
全な筋肉システムとしてのヴァルサルヴァ
活動を容易に起動するかもしれないのであ
る。(p95)

ある種の古い歌唱のメソード、すなわち、
やはりドイツのメソードでは、歌手は臀部
(大臀筋)と恥骨直腸筋(肛門口まわりの
括約筋)を引き締めることが推奨されてい
た。今なお、このメソードを思い起こさせ
るものに管楽器教育の中で出くわすことが
ある。

リチャード・ミラーは、『イギリス、フラ
ンス、ドイツ、イタリアの歌唱技法ー国に
よる音の好みとそれがどのように機能的な
効率に関係しているかの研究』の中の「ド
イツ流派」と題された節で、歌っている間
のヴァルサルヴァ活動をあからさまに推奨
する教育法について書いている。「時とし
て、歌手は『最後まで絞り出す』こと、
『息の上に座る』こと、出産や排便の行為
の際に遭遇する感覚と似た筋肉と括約筋の
感覚を経験することを強く勧められる。
(pp95-96)


TBにおいて著者は、「閉気道強制呼気」という行為
と「バルサルバ反射」を無意識に(あるいは意図的
にかも)混同しているように感じます。

先にも見たように、


 閉気道強制呼気によって引き起こされた直腸筋、
 腹筋、声帯、口唇などの筋緊張が、「頻頻に」、
 「反射的に」起こること


をバルサルバ反射といいます。「反射」とは動物の
生理作用のうち、特定の刺激に対する反応として意
識されることなく起こるものをいいます。

かならずしも「頻繁に」「反射的に」起きるとは限
らないバルサルバ効果を、TBにおいては、つねにそ
うなるかのように印象づけつつ論理を展開している
ように思われるのです。

もちろんバルサルバが生理的反射として起きやすい
ことは承知しています。しかしながら、TM理論では
反射をいかに克服するかというところにトレーニン
グの重点を置いています。「外柔芯剛」はその具体
的なキーワードです。

通常のスティフな(硬い)運動においては容易に反
射的運動が起きます。たとえばチェストアップしよ
うとすれば同時に肩も上がり、ボトムアップしよう
とすると腰や腹や背中に力が入る傾向があります。

そのような生理的反射をひとつずつ取り除いていく
過程
こそが、TMにおけるトレーニングだと考えるの
です。そのためには体表面をゆるめ、芯を強く育て
る必要がある。MOTの4拍目で「力を抜くように」
とか「芯を感じて」と指示されるのは、反射として
の力みを解消するための実践的練習です。

また、チャイルドタイム三節直列フィッシュス
イム
などは、なるべく生理的反射を起こさないよう
な身体を育てる基本エクササイズと位置づけること
ができます。

少し脇道にそれますが、武術の話をします。人間に
生理的反射があることは、反射という概念や言葉が
生まれる前から知られていたはずです。たとえば武
術のような殺し合いの技法では、相手の生理的反射
を利用した術技が開発されているからです。

「このような方向に身体が動けば、(反射として)
このようになる。そこにできたスキを突く」という
ふうに技の体系が作られるのは、命をかけた場面で
は当然のことでしょう。

しかし、これもまた当然ですが、そのような反射を
前提とした技に対する「返し技」も研究されます。
また、通常なら起こる反射を起こさないようにする
術技の修練もなされたと考えられます。

生きるか死ぬかの状況下で、生理的反射を乗り越え
るための創意とくふうがくり返されたに違いありま
せん。このようにして、武術はどんどん高度な身体
操作をノウハウとして蓄積していきました。

そういう先人たちの発見を集約したキーワードとし
て、TMでは「外柔芯剛」を提示しているわけです。







共通するえ方

ここまで

第一の視点:唇の役割
第二の視点:アシストとしての筋肉
第三の視点:生理的反射の克服

という三つの視点から、TBとTMの違いを整理してみ
ました。これらは根本的な身体観、運動観の違いで
あり、必然的に個々のエクササイズや指導法の違い
ともなります。

しかしながら両者には共通する点も少なくありませ
ん。言葉を発する際に使われるアーティキュレー
ションを管楽器奏者が用いるように勧める(p97)
のはそのひとつです。

「イタリア式」の姿勢はチェストアップと共通しま
すし、「胸郭を使ったいっぱいの呼吸(p89)」は
ビッグブレスと同じです。

さらに「弛緩圧(p82)」の項に記載されている内
容は、「からっぽで吐く」で述べた満息域・空息域
についての考察と重なります。

呼吸現象の実体は「胸郭が拡張するから息が入り、
胸郭が縮小するから息が出る」わけですが、ジェイ
コブズはそれを知った上で「息を吸うために拡張す
るな、拡張するために息を吸え」と逆のことを教え
たそうです。TBはこの指導法を支持しています。

つまり実際の演奏においては、身体を操作しようと
するのではなく、演奏を(音楽を)操作することに
注意を向けなさいという教えです。これにもTMは大
きく賛同します。

あとがきで訳者が紹介するアドルフ・ハーセスの言
葉、「Never practice. Always perform.(決して
練習するな。つねに演奏しなさい)」についても
異論の余地はありません。「稽古をば勝負するぞと
思ひなし、勝負は常の稽古なるべし」という極意歌
とまったく同じですから。

金管指導という大きなテーマですので、さまざまな
異論が出るのは自然なことです。しかし非合理的な
珍説、むちゃな根性論、無責任な放言などが多い中
で、TBのように真摯な研究書が出たことを大いに歓
迎し、著者、訳者、出版社に敬意を表したいと思い
ます。

(了)

投稿者 kurosaka : 2021年8月26日