ひたすらくり返す 一秒瞑想
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ひたすらくり返す 一秒瞑想
黒坂洋介 (著)
瞑想ブームである。「瞑想」や「マインドフルネス」で検索すると、関連書籍が大量に見つかる。IT企業などで公式採用されていることもあり、瞑想に関心を持ち、実際に取り組む人も少なくないだろう。
これほどまでに多くの書籍が出版され、ある種のブームと呼べる状態であるのは、裏を返せば、たくさんの人が瞑想に挫折しているからではないか? ひとつのやり方がうまくいかないから、次々と別の方法にチャレンジする。その受け皿として多種多様な瞑想本が出ているという側面はないだろうか。
もし私たちが瞑想に挫折するとすれば、その理由は何か。まっさきに考えられるのは、眠気だろう。ストレスの多い多忙な環境にある人ほど、いざ瞑想を始めようとすると猛烈な睡魔に襲われる。瞑想はたちまち「睡眠」になってしまうのだ。
もうひとつのハードルは、雑念ではないか。瞑想を始めて無になろうとするほど、頭の中にはさまざまな思考が湧き起こる。いつしか瞑想は「考え事」になってしまう。
本書は、瞑想の2大障壁と思われる「眠気」および「雑念」を楽々とクリアし、本格的瞑想状態へ移行する橋渡しとして「一秒瞑想」を提案するものである。いわば瞑想の「基本のキ」をスムーズに通過するためのテキストとお考えいただきたい。
本書後半では、本格瞑想の方法を紹介。著者自身の瞑想体験についても触れられている。
一秒瞑想エッセイ
一般には「顕在意識と潜在意識」という分類がよく知られている。ほかにも「中心意識と周辺意識」という分け方がある。「上意識と下意識」と区分することもできる。
瞑想トレーニングを続けていると、それらとは別に「場意識と像意識」があることに気づく。場意識は映画のスクリーン、像意識はそこで展開する映像と例えることができる。しかしこれは2つの意味で不完全な比喩である。
ひとつは、映画の場合は平面(2次元)であるが、実際は立体(3次元)的な場であり像であるという点だ。さらに正確に表現するなら、ニオイや、音や、味や、触覚や、記憶や、推測や、思考なども含む複雑かつ多次元的な像である。
もうひとつの不完全さは、スクリーンと映像が別々のものから作られていることだ。スクリーンは布であり、映像は光である。しかし場意識と像意識は、どちらも意識から成る。別の比喩を使うなら、海面に浮かぶ流氷が近い。海水が場意識で、氷が像意識となる。
特別なトレーニングをしていない人の場合、通常は自分の場意識を認識することはまれだろう。なぜなら場意識は心身の背景的存在だからだ。映画でいえばスクリーンにあたるのが場意識であり、ふつうはそこに映る「像」のほうに関心が向かう。スクリーン自体は鑑賞の対象とならないわけだ。
場意識は心身の背景であるため、その中身が具体的に意識化されることはまずない。私たちが「自分が何を考えているかわかっている」と感じるとき、多くの場合、それはスクリーン上に現れた「像」としての意識について語っているはずだ。
自分の場意識の状態を正確に把握するには、相当な観察能力が必要となる。まず自分の場意識を対象化し、明確に自覚する。場意識を細かくとらえることができたら、その移ろいやすさ、影響の大きさに驚くことだろう。
一秒瞑想で体験する「凪」とは、この場意識に相当するものだ。