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珠玉のエッセイ

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タンタンミリュー






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photo by Rei Matsuda


タンタンミリュー
(真津田嶺)

ヨーロッパで人気の「タンタンの冒険」がCGで映画化され(スピ ルバーグ)日本でも公開されるとテレビで知って書きたくなりまし た。

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テレビに登場したタレントに「タンタンを知らなかった」という人が居て驚いたのですが、ヨーロッパでは日本で言えば鉄腕アトムや ドラエモンどころではない存在のタンタンをぼくは日本語版が出る前から好きだったので、その影響で今は三十代後半の長女もタンタンオタクだったほど。過去に何度も実写版で映画化(日本未公開))もされているのです。

フレンチコミックの最高傑作です。作者のエルジェはベルギー人(フランス語圏)で、少年記者タンタンの活躍を第二次大戦前から戦後も描き続け、世界中の多くの人に読み継がれて、とくにヨーロッパで子どもから老人まで愛されている。

子どもより大人が見て読んで痛快な絵の美しさと濃密なストーリーを持っています。細部にわたり丁寧に描かれ、車のマニアにも船のマニアにも飛行機のマニアにも納得のシリーズです。ベルギーは海洋国家で、どちらかというと陸上より海洋の冒険のほうが中心なのですが。

ためしに十数冊あるハードカバーのシリーズから手に取ったのを見たら「ビーカー教授事件」の巻でどうやら1960年ごろの話らしく、自動車はぞろぞろ出てきますが乗用車では軍用車みたいな初期2CV、これも装甲車みたいな初期型ランドローバー、セダンではベンツやシトロエンのトラクシオンアヴァンやシムカ、ワーゲン、ローバー。

なぜ分かるかといえばコミックをルーペで拡大してみればエンブレムや社名が読めるから。テールフィンのアメ車、ライレーらしいクーペ、バストラックもルノーやいろいろ。

バルカン半島の架空の社会主義国が舞台で、オートバイは水平対向の上にもうひとつシリンダーを載せた三角配置の三気筒エンジンを積んだ大型バイク、イタリアっぽい形のスマートな戦車も登場するし、ボート、古風なヘリコプター、旅客機はマーチンのプロペラ機です。名は分からないが尾翼がV形の軽飛行機も。

つぎに手に取ったのは南米が舞台の「太陽の神殿」でしたが、アミカールのレーシングカーが登場します。なぜぼくにアミカールがわかったかといえば特徴的なグリルの形をラルティーグの写真集で見て知っていたから。

十数年前に日本各地でラルティーグの写真展が開かれたときには、東京のスノブな業界人周辺でラルティーグを語る人がやたらに居たものです。ラルティーグはエルジェと同時代人で、ヨーロッパのセレブ文化の最も輝いていた二十世紀前半の典型的なフランス富裕層の坊ちゃんでした。

遊んで暮らせる身分でタンタンのように濃密な人生を送りながら自動車、グライダー、船で遊んで天才的な写真を多く残しています(同時期の似たようなセレブに「星の王子様」を書いたサンテグジュペリが居ます)。

ラルティーグの乗った車は創生期ルノーやプジョーのスポーツカーや王様車のイスパノスイザ、それからアミカール。当時の貴族車はみんな屋根無しで、それで女たちもGT(大旅行)をしていたので、いったいどういうことなのだろうと思うが、ヨットやボートのイメージなのでしょうか。

閑話休題。エルジェの描くタンタンの凄さを象徴する巻はシリーズの中でも傑作と言われる1936年出版の「青い蓮」。これは上海を舞台にした活劇ですが、日本軍が上海を占領していた時期に同時進行の形で書かれ世界中で読まれたという恐るべきコミックです。

それでいて政治的偏見はいっさいなく日本のみを悪く描いているわけではない。そのころパリの中国人留学生に心の親友が居たエルジェは、彼からの情報で海外勢力占領下の中国人たちをヒューマンに描きました。

ミツヒラトという名の日本人麻薬シンジケートの黒幕は登場します。名前がミツイ、ミツビシと天皇ヒロヒトから取ったのは確実で、ミツヒラトの姿が昭和天皇を思わせることもあって、名作でヨーロッパでは人気のこの巻だけ出版元の福音館はなかなか日本語版を出さずにいました。

しかしミツヒラトに対抗するイギリス人麻薬シンジケートの黒幕や白人だといって威張り散らすアメリカ人らしい男なども描いており、当時の上海の状況を事実に近く客観的に中立に描いている点も貴重です。

粗暴な日本軍の軍人も描いていますが、劇中登場する日本軍の装甲車を模型にしたものはタンタングッズの中でも「タンタンの月世界旅行」に登場するロケットなどと並んで人気なのです。高価でぼくは買えません。タンタングッズは、デフォルメの美しさがアートになっている。

さてここに書きたかったことはいつもタンタンのそばに居る「スノーウィ」という犬についてです。硬毛のフォックステリアで雪のように白いのでスノーウィというおもしろくもなんともない名がつけられていますが、フランス語の原語版ではじつは「ミリュー」という名で、このことは重要です。

ミリューはフランス語で「中間、環境、雰囲気」という意味がある。いつもそばに居るということでそんな名にしたのでしょう。ぼくがミリューという名を凄いなと思うのは、日本人にはなんでもなくて欧米人にはなかった価値観を「ミリュー」が表している気がするから。人と自然のあいまいな関係。

日本人には人と動物の関係も人と自然の間にもグレーゾーンが存在し、中間がある。欧米人にはそれがないんです。動物は動物で人間の僕(しもべ)にすぎない。しかしエルジェはミリューと名づけた犬を僕のようには描いていない。

鉄腕アトムやドラエモンが日本独特のキャラクターで世界中で人気になったのは、ロボットを人間ではなく機械でもない第三の存在として描いたから。タンタンの「ミリュー」も犬でも人でもない「なにか」として描かれている。エルジェのヒューマニズムには欧米的ではないなにかしらがあり、そのことが魅力です。欧米的でないならアジア的かといえばそうでもなく、もっと包括的で普遍的ななにかです。

西欧の価値観で男と女は磁石のSとNのようにくっついたり離れたりの関係でした。ヒトと自然の関係もです。しかし日本人の価値観では人と人の間に何かがあるのです(そういえばぼくの若いころ、精神科医の木村敏氏が「人と人の間」というベストセラーになった日本人論でそれを分析したものです)。

欧米人は同じ意見を持つ人どうしでなければ集団で居られません。だから集団で居ることが少ない。日本人は異なる個性のまま集団で居ることができる。人と人の間に「雰囲気」というクッションがあるから。ミリューです。

宮島に行けばあいまいな存在で鹿が居ます。その中途半端さがいけないという人がこのごろ居る。鹿は野生だから山に返さねばという人も居ますが、それは欧米由来の発想です。

そうではないミリューのあいまいさを今では欧米人も意識するようになっているので、そのことが彼の地でいま革命的に意識されるエコロジーの本質であるようにぼくには思われます。

犬でも人でもない「なにか」として描かれた犬ではぼくはスヌーピーを連想する。タンタンとは対照的にアメコミのカリスマのスヌーピーですが、四コマ新聞マンガとして連載され始めたころはビーグルをモデルにした写実的な犬で、ヒーローでも何でもなかった。

それが何十年と連載されるうち、初めとは似ても似つかない姿になり、言動も犬でも人でもなくて神に近い存在になった。

シュルツはドイツ系移民の子で、スヌーピーにはプロテスタントな雰囲気も漂い、スヌーピーを神、チャーリー・ブラウンを福音者、彼の仲間たちを使徒として解説する本もあるくらいですが、シュル ツやスヌーピーのヒューマニズムは宗教の次元を超えている。

エルジェのタンタンは世界中で冒険し敵と戦いながら敵を作りません。タンタンには妙にさっぱりした優しさがある。憎しみがないから愛も語らない。ほかに言葉がないので言ってしまえばサトリのようなところがあります。

チャールズ・シュルツにもあります。スヌーピーもチャーリー・ブラウンとその仲間たちも禅問答の世界に居る。

話が車から離れてしまいました。でも、車というものがヒト科の動物にとって何かと言うことを考えるヒントになればと思います。ミリューです。

(エンジン物語より)

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ユリイカ2011年12月号 特集=タンタンの冒険






投稿者 kurosaka : 2018年6月29日