ワールド・プロジェクト・ジャパン  〜 合奏音楽のための国際教育プロダクション 〜


花鳥風月を愛でるように

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  パブリックアートとしての無料ジャズを提案する。
  日光浴や花見と同じ感覚で音楽を楽しむ機会を提供
  しようという試みを考える。


<パブリックアートの巨人 ー 岡本太郎>
岡本太郎というスケールの大きな芸術家がいた。画家に
して彫刻家。デザイナーであり写真家でもある。随筆家、
詩人、ベストセラー作家の顔も持ち、書家、舞台芸術家、
音楽家、思想家、民俗学者でもある。驚くべき広範囲な
領域で活躍し、広く大衆に愛され、そして誤解され続け
た、ユーモラスで悲劇的な天才である。

画家としての岡本は、膨大な点数の油絵を残した。しか
し、それらの作品をほとんど売ろうとはしなかった。自
分の絵が、少数の好事家によって占有されることを嫌っ
たのだ。また、美術館という閉鎖的な空間で、限られた
人によって鑑賞されることもよしとしなかった。

一方で、岡本は、壁画や彫刻など、多数のパブリックア
ートを手掛けた。大阪万博「太陽の塔」、メキシコ・シ
ティ「明日の神話」、銀座「若い時計台」、旧東京都庁
舎「日の壁」、青山「こどもの樹」、野沢温泉「乙女」、
など、これもまた多数の作品が、各地に残されている。

岡本は、自分の作品が、「無償」かつ「無条件」で、多
くの大衆の目に触れることを望んだ。芸術とは、そのよ
うにあるべきだという信念に基づく行動である。


<無償かつ無条件ということ>
日光浴、海水浴、森林浴・・・。自然の恵みを愛でるに
あたって、太陽や海や森から金品を請求されることはな
い。花見、月見、雪見なども同様である。岡本が自らの
作品を「無償かつ無条件」で公開したかったのは、芸術
を、自然の恵みになぞらえて「人工の恵み」と考えたか
らではないだろうか。

ペダンチックな解釈や商業的価値とは無縁の、自由で純
粋な境地でこそ、芸術は意味を持ちうる。ディレッタン
ト(芸術主義者)たちの通人ぶった態度は、芸術を人間
から遠ざける障害にしかならない。誰もが、何の技術も
予備知識もなく、一銭の金も支払うことなく、芸術に触
れ、喜び、楽しむことができる環境を提供することこそ、
創造者のあるべき姿と考えた岡本は、いきおいパブリッ
クアートに多くのエネルギーをさくことになった。


<パブリックアートとしての音楽>
現在では、公共施設やオフィスビルに、彫刻、オブジェ、
モニュメントなどが設置されることは珍しくない。また、
音楽やダンスのストリート・パフォーマンスもさかんに
行なわれている。

パブリックアートの特徴として、芸術作品を生活から切
り離さないことがあげられる。むしろ、芸術を積極的に
日常へ引き寄せる。作品を、靴下や茶碗や携帯電話と同
じように、「生活用品」として扱うのだといってもよい。

したがって、普通ならマイナス要因となる会場内の雑音
や周辺の景色は、パブリックアートの場合、芸術体験を
生活と結び付けるプラスの要素として機能しうる。

たとえば駅前広場でのコンサート。作品(=演奏)は、
実に多様な環境情報の中に放り込まれる。周囲のビルの
看板、太陽の傾き加減とその移ろい、人の声や車の騒音、
飲食店から流れるにおい、聴衆の動き、風向き、気温や
湿度の変化・・・。

しかし、パブリックアートでは、それらを肯定的に評価
しうる。ここでは、演奏そのものだけが芸術なのではな
く、これらの雑多な周辺環境と音楽との「関係」もまた、
芸術として経験されるからである。

逆にいえば、「日常的雰囲気」を可能な限り取り除いた
のが、レコーディング・スタジオであり、コンサートホ
ールである。それは、作品を、周囲の条件から切り離し
て純化するという、まったく逆のアプローチといえよう。


<無料ジャズ・フェスティバルという試み>
ここで、ジャズをパブリックアートとして提供すること
を考えたい。たとえば、「無料ジャズ・フェスティバル」
というものを想定するとき、日本のジャズシーンに対し
て、どのような影響がもたらされるか。

無料ジャズフェスが定期的・継続的に各地で展開され、
その運営に主催者・協賛者が真面目に取り組むならば、
まず第一に、ジャズとの気軽で多様な接点が生まれ、よ
り多くのリスナーを育くむ契機となることは間違いない。

第二に、アーティストに対して、従来とは異なる演奏環
境を提供することになる。不特定多数を対象とした演奏
において、音楽家は聴衆との積極的なコミュニケーショ
ンを求められる。彼らにとっては、ライブハウスを飛び
出して、「他流試合」に臨むようなものとなる。これは、
特に若手・新人ミュージシャンの育成および社会認知に
効果的であると考えられる。

第三に、「パブリックアートとしてのジャズ」の演奏会
場へは、ジャズという音楽の醸し出す、洗練されたアダ
ルトなイメージを付与する。その空間を高品位で Jazzy
なムードに染めるのである。

第四に、パブリックアートを財政面で支える協賛者は、
この「場」を、ハイクラスな顧客接点として活用できる。
ジャズ的雰囲気に満たされたオープンスペースは、企業
メッセージの発信やマーケティング・データ収集にふさ
わしい。有料イベントにおいて企業色を強く出すことは、
時としてイメージダウンにつながるが、無料イベントの
場合、そのリスクは低いと思われるからだ。


<聞くより浴びる>
花見において、桜の花が「理解できたかどうか」は問わ
れない。ただ、見るだけでよい。パブリックアートとし
てのジャズも、音楽を「理解すべき対象」としてはとら
えない。音楽に、ただ身をひたすだけでよい。それは、
「聞く」というより、むしろ「浴びる」と呼ぶほうがふ
さわしい。

何の知識もしきたりも必要ない。ただ、聞き捨てる。そ
れはすなわち「ジャズ浴」であり「ジャズ見」である。
花鳥風月を愛でるように、心からくつろいで、無償かつ
無条件にジャズを楽しむ。そんな機会を、今後、少しず
つ増やしていきたい。

ワールド・プロジェクト・ジャパン 黒坂洋介

投稿者 kurosaka : 2004年3月15日