ワールド・プロジェクト・ジャパン  〜 合奏音楽のための国際教育プロダクション 〜


シドニー2000オリンピックバンド

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シドニー・オリンピック開会式で選手団入場行進を演奏した2000人巨大国際選抜バンドのレポート。
写真提供:プレスジェイ株式会社
  
【動画】
The Sydney 2000 Olympic Band ※1:23:30から
Marching Band Spectacular at Sydney Opera House

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<シドニー・オリンピック開会式>
9月15日、夜。世界各国で30数億人がテレビを見守る中、2000人の巨大国際楽団「シドニー2000オリンピックバンド(以下S2OBと略す)」がマーチング演奏を始めた。

「ツァラトゥストラかく語りき」、「炎のランナー」、「歓喜の歌」、「ビューグラーズ・ドリーム」、「ワルツィング・マチルダ」のメロディーに乗せて、2000人という大きなマーチングバンドが、フィールドを優雅に行進する。

千年に一度のミレニアム・オリンピック開会式、会場となったスタジアム・オーストラリアは、11万人を越える観衆の熱気で異様な興奮に包まれた。

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<リック・バーチとワールド・プロジェクト>
西暦2000年のオリンピック開会式において、国際選抜メンバーによる特大バンドの演奏を行うという構想は、リック・バーチ(Ric Birch)、ビル・ラット(Bill Lutt)という2人の人物の発案によって、1995年に生まれた。

今回の開会式を演出したリック・バーチは、ロス五輪、バルセロナ五輪の開会式も担当したベテランプロデューサー。ビル・ラットは、ワールド・プロジェクト・コーポレーション社長で、音楽を通じた国際交流イベントを数多く手掛けてきた。リックとビルが2人3脚で生み育ててきたアイデア、それがS2OBである。

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<幾多の試練>
オリンピックという壮大なプロジェクトとかかわれば、さまざまな困難に直面せざるを得ない。最大の危機は昨年6月の「S2OBキャンセル騒動」だった。リック・バーチの記者会見でのちょっとした失言がもとで、シドニー・オリンピック組織委員会(SOCOG)が、「国際選抜バンド」という企画そのものをキャンセルしたのだ。

ワールド・プロジェクトは、この争いを法廷に持ち込み、結果的には、S2OB計画は生き残った。しかし、「オリンピックには魔物が住む」という言葉を実感させられる、長く苦しい戦いであった。

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<関西学生吹奏楽連盟>
世界各国から2000名のメンバーを集めてバンドを結成するにあたり、日本からもメンバーを募集した。当初は高校の吹奏楽団を想定していたが、日程がネックとなった。

9月15日の開会式が本番であるため、それに先立つ2週間を、現地で合宿練習にあてなければならない。しかし、日本の高校で、夏休み終了直後の2週間に休暇を取ることは、生徒も教員もきわめて困難である。

そこで、関西吹奏楽連盟の松平正守理事長にご尽力いただき、「関西学生吹奏楽連盟(以下学吹連と略す)」という大学生楽団の組織でメンバーを募集する運びとなった。約200名の学生が名乗りを上げ、「S2OB日本代表団」としての活動を開始した。

学吹連のみならず、関西吹奏楽界をあげて当プロジェクトにはご支援をいただき、特に淀川工業高校の丸谷明夫氏には、音楽的な面で大きなサポートを頂戴した。

学吹連は寺田武男理事長の号令の下、関西20大学から募集した約200名の学生メンバーを指揮統率していた。しかし、選抜バンドの運営もまた、多くの障害と直面した。

参加した学生の多くは、自校の吹奏楽団にも所属している。そのため、S2OBの練習と自楽団の練習とのスケジュール調整をしなければならない。また、講義や就職活動などとのからみもあって、学吹連としては、練習日程を組むだけでも一苦労だったのだ。

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<指揮者とパーカッション指導者の来日>
S2OBのメインコンダクターは、ニューヨーク大学で教鞭を取るバリー・スパニアー(Barry Spanier)。マーチングの心臓部ともいえるドラムラインを指導するのは、ブルーデビルズのデイブ・グライド(Dave Glyde)である。

両氏を招いた日本での第1回目の練習が、2000年2月に大阪で行われた。バリー、デイブの両氏は、ブリスベン、シドニー、ロサンゼルス、アトランタ、大阪など世界各地の代表団を回って、練習を指導した。

2月に引き続き、6月にも両氏は各地を一周して、それぞれの代表団を指導した。

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<いざバンドタウンへ>
9月2日夜、S2OB日本代表団一行200名は、関西空港を飛び発ちシドニーへ向かった。

オリンピックのメインスタジアムは、シドニーの中心街から車で西へ40分ほど行った「オリンピック・パーク」の中にある。アスリートたちの選手村もここにある。

我々S2OBが合宿をする「楽団村(=バンドタウン)」は、オリンピック・パークからさらに西へ3時間離れたバサースト(Bathurst)という街に設けられた。メンバー、スタッフ合わせて2000数百人がミュージック・キャンプをはれる場所は、バサーストをおいてほかになかったのだ。

オーストラリアのメンバーは8月30日、日米をはじめとする国際メンバーは9月5日からバサースト入りし、合宿練習を開始した。

これまで、各国で別々に練習してきたメンバーが、はじめて「ひとつのバンド」として顔を合わせた。

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<寒さとの戦い>
日本列島が記録的な猛暑にうだっている時、南半球の内陸都市バサーストでは、ようやく冬の寒さが緩み始めたばかりだった。S2OBメンバーの多くは北半球から参加しているため、「夏から冬へ」という気候の変化に戸惑い、体調をくずす者が続出した。

マーチングの練習は、ほとんどが野外で行われる。午後の練習はまだしも、午前中や夜間の練習では、シンシンと寒さが襲ってくる。風邪、過労、ケガなどで倒れるメンバーは次々と医務室へ運び込まれ、手当てを受ける。音楽の合宿というよりは、軍事演習に近い光景だった。


<スタジアムでのリハーサル>
9月9日、11日、13日の3日間は、オリンピック・スタジアムを使ってのリハーサルだった。スーザフォン約90本、トランペット約400本など大量の楽器をトレーラー4台に積み込み、2000名のメンバーが50台のバスを連ねて、バサーストからスタジアムまで3時間の大移動。

S2OBの「控え室」として用意されたのは、メインスタジアムに隣接する野球場だった。先頭バスが球場に到着してから、最終バスのメンバーが球場に入り終わるまで、軽く1時間以上かかってしまう。食事ひとつとっても、全員に配るだけで30分以上を要する。あらためて2000人という人数の大きさを実感させられる。

オリンピック・スタジアムの美しさ、壮大さには圧倒された。フィールドから四方の観客席を見上げると、実際には行ったこともない古代オリンピアの競技場に立っているような錯覚にとらわれる。本番当日は、ここに11万人の観衆が着席するのだ。

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<ビル・ラットの交通事故>
S2OBという巨大プロジェクトの責任者として陣頭指揮をとっていたビル・ラット(ワールド・プロジェクト・コーポレーション社長)は、過労のため車のハンドル操作を誤り、横転事故を起こしてしまった。9月11日朝、バサーストからオリンピック・スタジアムへ向かう途中のできごとであった。

ビル・ラットは右側の肋骨をすべて折る重傷で、すぐにシドニーの病院へ運ばれて入院。地元の新聞やテレビでは、「オリンピックバンドのチーフが重傷」と大きく報じられた。開会式当日のテレビ中継においても、現地の放送では「オリンピックバンドのプロデューサーであるビル・ラット氏は、事故のため入院しています。このバンドの演奏を、彼も病室で見ているはずです」というコメントが流された。


<オープニング・セレモニー>
9月15日。晴れ。これまでスタジアムで3回のリハーサルを重ねてきたので、本番といっても、特に緊張はない。今までと同じことを、同じ手順でやればよいというリラックスした気分で、午前11時30分、バサーストからオリンピック・スタジアムへの大移動が始まった。

いつものように野球場に着き、いつものようにウォーミングアップをこなす。いつものようにユニフォームに着替え、いつものように整列してスタジアムへ移動する。すべてが「いつものように」淡々と進んでいく。

しかし、約8分間のマーチング、そして2時間におよぶ選手団入場行進曲の演奏を終えて球場へ戻ってきたS2OBメンバー2000人のようすは、「いつも」とまったく違っていた。国籍を問わず、どのメンバーもみな極度の興奮状態。感激のあまり、叫び出す者、涙を流す者。

11万という大観衆の喝采と世界のトップアスリートで埋め尽くされたオリンピック・スタジアムは、リハーサルとは完全に異なる空間と化していたのだった。


<ドリームズ・カム・トゥルー>
構想から5年。いくつもの困難を乗り越えてS2OBという大プロジェクトが実現した陰には、オーストラリア、アメリカ、日本、そして世界20ヵ国の人々の献身的な協力があった。これらの人々の善意と汗なくしては、このバンドは存在し得なかった。この場をお借りして、心から深い感謝の意を表し、成功の喜びを分かち合いたい。

9月17日の夜、14泊16日の行程を終えて、S2OB日本代表団一行200名は、無事に関西空港へ帰国した。

ワールド・プロジェクト・ジャパン 黒坂洋介




付記:レポートへのお便り



2000.9.21
「シドニー2000オリンピックバンド」のレポートをお送りしたところ、さっそくいろんな方々からお返事を頂戴しました。ご質問もいくつかいただいていますので、お応えいたします。


> <東京都 OYさんから>
> お疲れさま! 
> すばらしいイベントに立ち会えてよかった!
> また、連絡します。

ありがとうございます。
ヤワラちゃんの金メダル、おめでとう!


> <神奈川 TFさんから>
> オリンピック開会式を感動をもってみていました。それ
> に関わっていらっしゃったとは知りませんでした。放送
> を全部見たわけではありませんが、バンドに対する説明
> がなく、あれを世界中から集めて演奏したらどんなにす
> ばらしいだろうと思いながら見ていましたが、既にその
> ように運営されていたとは全く知りませんでした。

> ところで、見ながら感じたことですが、あんなに大勢が
> 広い場所で演奏するときにどうやって音を合わせるのか
> ということです。マーチングのときは、100m近く離
> れた人が合わせるわけですよね。オケのステージでさえ
> 奥に座っているトランペットが遅れるといわれることが
> よくあります。

メイン・コンダクターはバリー・スパニアーという人でしたが、ほかにアシスタント・コンダクターが6人いて、会場を取り囲むように配置されていました。スタジアムのフィールド内は残響がすごくて、2000名のメンバーは、「何が何だかわからない音の渦」の中で演奏しています。彼らはお互いの音を聞きあうことを厳しく禁じられていて、7人の指揮者の手だけを見て演奏しているのです。


> <神奈川県 RHさんから>
> どうも大変お疲れ様でした。
> 開会式、S2OBみました。良かったです。
> これを機会にますますWPが国際的なイベントを手がけ
> る機会が増えることでしょう。
> ラット氏の交通事故ですが、無事でなにより。
> 黒坂君も大変なお疲れのことでしょう。
> とにもかくにも、成功なによりでした。
>(もっと、現地でオリンピック競技を見られる時間があ
> れば良かったのでしょうけれどね)

実は、昨年6月の「キャンセル騒動」でSOCOGを提訴したとき、損害賠償の一環として「メンバー全員に対して、9月16日のゲームのチケットを提供すること」という条項を付け加えておきました。ですから、S2OBのメンバーは、全員、9月16日にオリンピック・パークでゲーム観戦をしてきました。ちなみに配付されたチケットは、ホッケー、バスケットボール、バドミントン、ハンドボール、卓球、体操など。私はホッケーを見ました。面白かったですよ。


> <東京都 MHさんから>
> おかえりなさい。オリンピックバンドレポート読みまし
> た。感動しました!!
> ビルは大丈夫なのですか??
> オーストラリアで入院中なのですね。GET WELL!!

MHさんはビル・ラットと一緒にツアーしたことがおありなので、特にご心配いただきました。おかげさまで順調に回復しております。ありがとうございます。


<関西吹奏楽連盟理事長 松平先生から>
たった今、松平先生からもお電話をいただきました。

 今、朝日新聞に来ているのだが、あのバンドがどういう
 経緯で実現したか、誰もわからないので、みんな知りた
 がっている。あなたのレポートが簡潔にまとめてあるの
 で、これを使って説明しているところだ。バンドジャー
 ナル(音楽之友社)の編集長にも、このレポートを核と
 した文章を送っておくので、S2OBの特集記事を組んでも
 らうつもり。

とのこと。いやはや、ありがたいお言葉です。

SOCOGと結んだ契約に、守秘義務という条項があったため、これまでは詳しい話が一切できませんでした。開会式が終わってようやくS2OBの内容を明らかにできるようになりました。(黙っているのって、苦しいものですね)


2000.9.22
> <大阪のKTさんから>
> お帰りなさい。成功なさったみたいで嬉しいです。
> おめでとうございます。私も同じ音楽をするものとして
> 大変嬉しいです。

ありがとうございます。KTさんとは、前回のアトランタオリンピック公演で、一緒にアメリカへ行きました。


> <大阪のSKさんから>
> 長いプロジェクトが、やっとひとだんらくしましたね。
> お疲れ様でした。本当にいい経験になりました。
> 今日、やっと開会式のビデオを借りて見たのですが、
> NHKは見せ場の所をちゃんと映してくれてなくて
> とっても残念でした(笑)。たとえばニーダウンを
> 外側の列からしていくところとか、ドラムメジャーの
> ティムが最後にメジャーバトンを投げてちゃんと受け
> 取れたか、とか(笑)。 私がたまたま関西の大学に来
> て、吹奏楽を続けていて、そして2000年に大学生だった
> という幸運が、とても誇らしく思います。

SKさんは、S2OBの学生実行委員のリーダーとして活躍してくださいました。SKさんのおっしゃるように、テレビでは一番の「見せ場」が写ってなくて、我々関係者としては大変残念です。ま、それはそれとして、お疲れさまでした。


> <神奈川のKKさんから>
> オリンピックマーチングバンド、本当にお疲れ様でした
> 14泊16日とはすごすぎます。構想から5年の歳月を
> かけて見事成功したなんて。私も参加したかったです。

ありがとうございます。次の機会には、ぜひ。


> <北海道のYSさんから>
> 大変楽しくそして興味をもって読ませていただき
> ました。ネットで公開したいぐらい..のめりこんで
> 読みました。ビルもたいしたものですね。
> 我々も自慢できますね。黒坂さんがオリンピックの音楽
> と言っていましたがあの演出とは驚きました。ビルが痩
> せて退院してほしいですね。長生きするためにも。

ありがたきお言葉、光栄です。ネットで公開していただくのも歓迎ですよ。ビルは、すでにかなり痩せていますし、健康状態も良好です。いろいろとお気遣いいただき、ありがとうございます。

そうそう、たった今ビル・ラットから電話がありまして、無事退院できたそうです。明日はソフトボール日本女子を観戦するとか。(まだ体は痛むそうですが・・・)


> <徳島のKOさんから>
> ご無沙汰しております。御元気そうですね!
> さて、観ましたよ、開会式。感動しました。いいもの
> 観させていただきました。スタジアムはどれほど感動的
> だったろうと羨ましい限りです。

ありがとうございます。実は、NHKの映像では、あのバンドの「一番の見せ場」がカットされています。「歓喜の歌」や、「ワルツィング・マチルダ」のラスト部分は、とてもカッコイイ動きになっているのですが、テレビではまったく分かりません。「カッコイイ動き」は、会場にいた人しか見ていないことでしょう。特に、スタジアム西側の観覧席(つまりサマランチが座っている側)から見るとそれはそれは美しく、迫力があって、感動的なのですが。

> 徳島からのメンバーもいたそうで、これまた嬉しいこと
> です。おつかれさまでした。

5人ほど徳島出身者がいて、そのうち2名は、本番終了直後に、徳島新聞社からの電話インタビューに応えていました(ぼくの携帯電話を使ってたのであります)。


> <神奈川のKWさんから>
> お疲れ様でした!レポート拝見いたしましたし、開会式
> も見ました。ああ言ったイヴェントに携われるなんてう
> らやましい限りです。是非何か私にもやらせてください

KWさんはユーフォニウム奏者および指揮者の先生です。次回はご一緒させていただけるとありがたいです。


> <神奈川のTNさんから>
> オリンピックの開会式で2000人のバンドがイチバン
> 良かった。なぜならいろいろな出し物があったけど、シ
> ンプルで荘重、若々しく、世界各国のメンバーの混成と
> いうのが逆に新鮮だった。今回の開会式で思ったこと。
> 余計なものは要らない。音楽だけで十分、あとは選手の
> パフォーマンスがあればそれでいい。いろんな物にお金
> をかけるのは無駄!仕掛けも不要!成功する確率も少な
> いし。スポーツの大会だから歴史とか社会問題は要らな
> い。むしろそんなものは忘れたい。

ま、たしかに「凝り過ぎ」ですね、ホント。私は、開会式冒頭の「馬のパレード」もよかったと思います。


2000.9.25
> <福岡のSOさんから>
> 黒坂さん、おかえりなさい! 
> 見ましたよーー、開会式!! まあとんでもない数の
> ラッパ吹きを集めましたね! 懐かしいシドニーの風景
> が沢山でてきて、もう一度行きたくなりました。いろい
> ろ、進行のトラブルはあったようですが、まあなんせ
> AUSですからね、らしくっていいや!と女房と笑って
> おりました。いろいろ、ご苦労もあったでしょうね。
> 本当にお疲れ様でした!

SOさんとは、1992年に「シドニー・オペラハウス国際音楽祭」でご一緒させていただいています。

今回のS2OBでは、これまでに一緒にツアーした方々との再会がありました。たとえば、パーカッショントレーナーとして同行された三崎大輔さんは、1991年に近畿大学吹奏楽部のメンバーとしてシドニーへご一緒しました。また、S2OBメンバーの幡井(per)さん、中村(ts)さんの2名とは、1996年、橘女子高校のツアーで一緒にアトランタ・オリンピックのイベントへ行っています。

シドニーの街も、この数年でぐっと様変わりしましたので、SOさん、機会があればまたご一緒させてください。


> <東京のSKさんから>
> 大仕事、お疲れ様でした。大成功でなによりです。開会
> 式は、ワシもテレビで見ていたのだけど、とにかく長
> い。肝心のマーチングバンドの時は飯を食っていたので
> 申し訳ないことにきちんとは見てないのよ(テレビとダ
> イニングテーブルが別の部屋にある)。この大人数で、
> どうやって音を合わせるのだろう? てなことを考えな
> がら音だけを聞いてました(指揮者だけを頼りに演奏し
> てるわけね)。生で聞くとどんな風に聞こえるのかね。

フルート280本、クラリネット300本、サックス300本、ホルン150本、トランペット400本、トロンボーン200本、ユーフォニウム80本、スーザフォン90本、パーカッション200人という編成のバンドを、生で、正面から聞くと、想像を絶するサウンドがします。

「ツァラトゥストラ」の最初のテュッティで、まず全身に鳥肌が立ちます。「こんな音、聞いたことないぞ」という感じ。「歓喜の歌」のフィナーレで、フィールドいっぱいに伸びたラインが、前から順々にニーダウンしていくシーンなど、思わず立ち上がりたくなるほどの迫力です(残念ながらこの部分はテレビではカットされましたが)。


> <兵庫のTYさんから>
> オリンピックバンドのお仕事、お疲れさまでした。

> さて、私もテレビで拝見しましたが、なかなか素晴らし
> いものでした。あれだけの人数が、フォーメーションを
> 作り、しかもズレずに演奏するということは、本当に素
> 晴らしいことだと思いました。
> 私も、これが10年前だったらシドニーに行ってたのか
> と思うと、今の学生さんがうらやましく思います。学生
> 時代はマーチングは好きではありませんでしたが、オリ
> ンピックの開会式なら喜んで参加してたと思います?
> あのようなビッグイベントに関わることができるという
> のは本当に素晴らしいことですね。私も何らかの形で関
> わってみたいものです。

TYさんとも、1991年に「シドニー・オペラハウス国際音楽祭」でご一緒いたしました。最近も、ジャズの仕事で何度かお世話になっています。今後ともよろしくお願いいたします。


> <東京のKKさんから>
> 御無沙汰しています。SydneyのReportありがとうござい
> ました。私のバンドはolympicの混乱を避けて丁度1年前
> のManly Jazz Festivalに3度目の出演をして来てTVに写
> るSydneyの風景がついこの間のように思われる今日この
> 頃です。TrumpetのJames Morrisonとも話をして写真も
> 撮ってきました。確かにolympicで大きな仕事があると
> いうことはどこかで耳にしていましたが,開会式の中継
> を見て全身に鳥肌が立った時点ではWorld Projectとは
> 全く繋がっていませんでした。あの中に日本人の姿は確
> かに見えましたが200人もいたとは思いませんでした。
> 彼等は素晴らしい経験をしましたね。もう一つすっかり
> 忘れていたこと。Bill Lutt....大変でしたね。1日も早
> い回復をお祈りします。

KKさんとは、1992年にカリフォルニアの「モントレー・ジャズ・フェスティバル」へご一緒させていただきました。KKさんのバンドは、シドニーへも3回行っておられ、国際的に活躍されています。ビルは退院し、ゆるゆると仕事を再開しています。ご心配をおかけしました。


> <埼玉のHOさんから>
> シドニーオリンピック開会式ご成功おめでとうございま
> した!! 私はいつもながら部活で見ることができませ
> んでしたがクラスの皆も親も凄かった、っと言ってまし
> た。シンガポールで友達になった人も出ていたそうで
> す。いまだにまだシンガポールの友達とEmailを続けて
> います。今回の開会式はマーチングということで私も
> マーチングバンドとしてとても興味がありました。私も
> いつかやってみたいです。オリンピック開会式成功、本
> 当におめでとうございました!!!!

HOさんとは2000年の3月に、ハワイの「環太平洋音楽祭」でご一緒しています。某有名高校吹奏楽部の現役奏者です。ご声援、ありがとうございます。


> <大阪のMNさんから>
> 本当にお疲れ様でした。15日が休みだったおかげでリア
> ルタイムで開会式を見ることが出来ました。すごかった
> ですね!2000人のマーチングバンド! たまたま実家に
> 帰っていて祖父と見ていたのですが、祖父はあまり誉め
> ない人なのですが、"ほー、すごいのー"と感激してお
> りました。万人の心に響いたあの演奏は今世紀最大の音
> 楽イベントと言えると思います。
> レポート読ませて頂いて、本当に大変な、想像を絶する
> ご苦労があったのだと確信致しました。ショーは一時で
> も、それまでの過程・準備は大変で、でも全く表には出
> ないんですよね。
> また、日本にバンドを呼ばれる際は何なりとおっしゃっ
> て下さい。

MNさんは旅行会社にお勤めで、1999年6月にカリフォルニアのユース・シンフォニー・オーケストラおよびジャズ・アンサンブルが来日公演したおりに、たいへんお世話になりました。今後ともよろしくお願いいたします。


> <石川県のKTさんから>
> SYDでは、大活躍でしたね。
> ビルさんは、災難でした。お話によると、不幸中の
> 幸いに、良くなっているそうですね。
> でも、大変でした。お見舞い申し上げます。

KTさんは、七尾市和倉温泉で開催されている「モントレー・ジャズ・フェスティバル・イン能登」の実行委員長で、毎年お世話になっています。先にも申し上げました通り、ビルはめでたく退院して仕事を開始いたしました。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。

ワールド・プロジェクト・ジャパン 黒坂洋介

投稿者 kurosaka : 2004年3月15日